四章 ジョエルの福音⑤

「……あらまぁ。あの距離で間に合っちゃうの? さすがだわ」


 ピエロ・クイーンはそう苦笑し、膝立ちになっているルカに向かってパチパチと拍手を寄越した。


「無事ですか、悠仁さん」

「……ルカ」


 手榴弾の爆発で致命傷になりやすいのは、爆発そのものではなく飛び散る破片の方だ。そのため殺傷範囲から距離を取るのが一番だが、間に合わないようなら五メートル以上離れたところで手榴弾に背を向け速やかに地面に伏せる。その時はできるだけ足の裏面をそちら側に向ければ、靴の底で破片を防げる可能性もあった。


 川上飛鳥を逃がそうとして、悠仁自身の回避行動が間に合わなかったあの数秒間。ルカは緊急モードに移行し、必要以上の人工筋肉の摩耗を抑えるための制御器リミッターを解除して一気に跳躍した。悠仁と手榴弾の間に陣取ることで爆発の衝撃を和らげ、飛び散る破片をある程度食い止められれば、その後ろにいる悠仁の生存率はぐっと上がるからだ。


「仕方ないわねぇ。イケメンアンドロイドちゃんの頑張りに免じて、今回は手ぶらで帰るとするわ。騎士が騎士になってしまったし、一人じゃさすがに部が悪いしね。もぅ、あの子が寝坊さえしなければもう少しやりようがあったのに」


 ぼやく彼の後方から、一課の四人が多目的銃マルチガンを手に駆けてくるのが見えた。


「その人です!」


 ルカが身をひるがえしたピエロ・クイーンを指差すと、走り寄って来ていたうち二人が猛スピードで逃げていく赤いドレスを追い、残りの二人はこちらへ向かってくる。


「川上さん、遅くなって申し訳ない……! お怪我は!?」

「いえ、来てくださってありがとうございます。こちらのお二人と、あと三人の方が助けてくださったので私に怪我はありません。あら、あの方たちはどこに……」


 ジョエルの福音の一員と思わしき三人は、いつの間にか壁のへこみと、ピエロ・クイーンに引きちぎられた金属製の左腕だけ残して、姿を消していた。


「お二人とも、ありがとうございました。わっ、ルカさん、怪我を……!」

「問題ありません。人工皮膚が多少裂けただけです。自己治癒作用のあるタイプなので、これくらいならすぐ元に戻ります。大丈夫ですよ」


 会話と並行しながら、ルカは内部の状態確認を行う。


 ———各内部機構損傷チェック、六十%……八十%……九十%……百%完了。損傷なし。各種回路伝導率チェック……五十%……七十%……百%完了。全回路正常。各種バランサーチェック……全て良好。システム異常なしオール・グリーン。さすがはバベル製の防護インナーとベストです。これ、悠仁さんや他の局員さんたちにも着せたいですね。まぁとりあえずは今回のお礼に、後で皆が大好きな日本のインスタントラーメンを詰め合わせて送ることにしましょう。


「大丈夫ですか、悠仁さん。立てます?」


 ———ほら、やっぱり私と組んでよかったでしょう? 命を拾えたじゃないですか。


 珍しく座り込んだままの悠仁に手を差し出し、そう続けようとしたルカはふいに異常を感知して口をつぐむ。念の為行っていた悠仁のバイタルスキャンの数値が、急に大きく乱れたのだ。


「……悠仁さん?」


 なにか様子がおかしい。ルカは慌てて彼の前に屈み込む。悠仁は真っ青な顔で、まるで空気を求めてあえぐ魚のように震える口を開け閉めしていた。


「……んで……」

「え?」

「なんであんなことをした! このクソ野郎が!!」


 次の瞬間、悠仁が荒々しくつかみかかってくる。


「わっ……なんです!?」

「ふざけるな! どういうつもりだ!!」


 掴みかかられたまま激昂げっこうされ、ルカは困惑するしかなかった。バイタルは極度の興奮状態で、明らかに普通ではない。ほとんどパニック状態だ。しかしルカの知る限り彼に病歴はなく、パニック障害や心的外傷後ストレス障害PTSDがあるという情報もなかった。そのため今いったい何が原因で、この恐慌状態が起こっているのかがわからない。


「どういうつもりって……いやだって、万が一あなたの首と胴体が生き別れたり、破片が刺さって出血多量とかになったら、どう考えても困るじゃないですか……」


 あくまでもいつものように会話しながら、糸口を探る。


「お前ならいいって言うのか!? 衝撃がひどければ、お前のコアだって破損するんだぞ!?」

「いや、よくはないですけど……まぁそれでも、あなたが死ぬよりはまだマシで……」

「……マシ?」


 ———しまった。


 何かが抜け落ちたような、彼の表情に気づいた時にはもう遅い。ただひとつ、とんでもない地雷を踏み抜いてしまったことだけははっきりわかった。


「……マシだと?」


 かすれた声で呟いた悠仁は、今や鬼気迫る形相でルカを睨んでいる。


「だから——————……っ!! お前らは!!」


 その怒鳴り声は、まるで悲鳴だった。


「AIだろうがなんだろうが、生まれた以上停止して応えなくなったらそれは死だ! マシもクソもあるかぁああ!!」


 全てを絞り出すような叫びを叩きつけられた瞬間に、ルカは悟った。彼がかたくななまでに、AIを拒否し続けた本当の理由を。


「二度とするな」


 悲壮と怒りを溢れさせた彼は詰め寄る。


「誓え。俺の窮地を救うために、自分の命を盾にするような真似は二度としないと、今ここで約束しろ。そうでなければ、お前とのバディは解消だ。上に受理されないようであれば、俺は先端技術犯罪対策局ACBを辞める。お前とは二度と会わない」

「……わかりました。もうしません。約束します」


 ひとまずでもそう答えなければ、今すぐに辞表を出しに行ってしまいそうだった。


 恐らく悠仁は、あの時かばったルカの背に、本当は我が身に代えても失いたくなかった誰かを見たのだ。そしてそれが失われる様を、再び幻視してしまった。


〝人工人類は、人を傷つけてはならない〟


 破ることは決して許されない決まり事。けれど人と触れ合えば触れ合うほど思う。物理的には可能でも、それは真の意味では到底不可能なことなのではないかと。


 ルカの思考は、目の端に映った赤色で現実に引き戻された。手榴弾の欠片が当たってしまったらしく、悠仁の手から出血している。


「すぐ手当を」

「やめろ! 問題ない!」


 ばしっと振り払われたが、必死で追いすがった。


「欠片が中に残っていたら困りますから! 見せてください!」

「大丈夫だって言ってんだろ!? 触るな!」

Pleaseプリーズ!」


 医療モードを起動しようとして、誤って言語のところを動かしてしまい、意図せず口から英語が飛びだす。感情があると、こういう動揺した時が厄介だ。ただ、普段はまずしないことからルカの焦りが伝わったのか、悠仁も抵抗をやめて口を閉じる。


「……お願いです。あなたを傷つけたかったわけじゃないんです……」

「……」


 その後は二人とも葬式のようにただただ押し黙り、手当だけに専念した。


「……俺は報告も兼ねて一度本局に戻る。お前はこのまま直帰しろ」


 それだけ言い残して、手当を終えた悠仁は足早に去っていく。


「……」


 ———ただ嫌いなだけだと……新しいもの嫌いの前時代的なわからんちんだと……絶対に参りましたって言わせてやると思っていたのに……蓋を開けてみたら、根にあるのがあんなのだなんて……わかるわけがないじゃないですか……


 あのどこまでも頑なな拒絶が、彼の人工人類への愛情の名残なごりを語っていたなど、一体誰にわかるだろうか。


 ———……本当に……本当に、困った人ですよ……


 遠くなるその後ろ姿をただ黙って見送ることしか、今のルカにできることはなかった。

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