四章 ジョエルの福音②

「まったく、なんだってんだろうな……あの衰えない悪意は」

「本当、嫌な方向に粘り強いですよねぇ。そんなことができる能力があるなら、素敵なものでも開発すればいいのにって思っちゃいます。そうすれば稼ぎにもなり、人のためにもなり、ついでに名声も手に入れられるかもしれませんのにね」


 通報を受けた警察からの応援要請で、悠仁とルカを含む二課の四名が現場に駆けつけると、英雄ゲートの新しい擬態先と思わしきアプリの存在が発覚した。開き直ったのか、もはや生体干渉アプリですらないものの皮をかぶっていたのだ。なぜわかったのかというと、通報してきた神崎かんざきつかさは被害者の高校の友人で、使用時にその場にいてどのアプリを起動したのか知っていたのである。


 なんでも日頃の憂さ晴らしに、そのアプリの情報を仲間内に持ち込んだのは神崎だったのだという。もちろん、騒ぎになっている英雄ゲートが化けの皮を被ったものだとは知るよしもない。いかにも不良然とした出立ちをした彼は、友人の惨状に責任を感じたようでかなりしょげていて、ルカがそっとフォローを入れていた。


 錯乱して暴れていた方の高校生は、二課の面々が到着するまでの警察官たちの奮闘により、何とか人間にはほとんど被害を及ぼすことなく取り押さえられた。器物破損という意味では色々とやらかしていたが、それでも物は直すことができる。彼自身の身体の状態については病院で要検査だ。それでも知らない間に殺人犯になっているよりは、まだましな状態だろう。


「もう金輪際こんりんざい、ダークウェブのものに手を出すのはやめるっス。友達ダチになにかあったら意味ないんで」と、ルカに真っ直ぐな目で約束した神崎は、詳しい事情を聞くために百瀬と鈴木が先端技術犯罪対策局ACBへと連れていった。


 このところ残業が続いていた悠仁とルカには、直帰するよう指示が出ている。せっかくだから美味しいラーメン屋に寄って帰ろうというルカの主張により、二人は店へと向かっているところだ。


「しかも前例にならって以前の強制停止じゃ効かないように、また絶妙なアレンジを入れてきてるんですから……本当にいやらしい奴ですよぅ!」


 ルカが憤慨したように呟く。


「これで私はまた坂本さんのところに行かなきゃいけないじゃないですか!」

「ミスター・ヒューマンハラスメントか? いいじゃねぇか、すっかりお前の信奉者なんだろ?」


 そのいきどおりの理由に、悠仁は思わず笑った。普段はあまり技術課から出てこない坂本春彦が、このところやたらと二課へ御用聞きにやってくる。明らかにルカとの接触が目的だろう。ルカがドクター・エイビスの手によるものだとは知らないだろうが、技術者である以上、そのずば抜けた完成度や特異性が強く興味を引いているに違いない。


「悠仁さんも一度体験してみればいいんですよ。一挙手一投足にまとわりつくようなあの目を。毛嫌いやさげすみじゃなくて、大いなる興味と好意だからこそかえってやりにくいんです」

「うまく使ってわがまま聞いてもらえばいいだろ。なんなら坂本と組んだ方が、お前にとっても都合がいいんじゃないのか?」


 まだバディ云々言うのか、という顔でルカが睨んでくる。


「そりゃわがままはきいてくれると思いますよ。たぶん法的に触れそうなことさえ、頼めば多少は目をつむってくれるでしょう……でも、言わなくてもわかるでしょ? あの人は、奉仕すること自体に喜びを見出すような人種ではありません。当然、対価を求めます」

「お前のネジをくれってか?」

「ネジで済めばいいですけどね。まぁとにかく、悪魔に血肉を捧げるような手は、本当になりふりかまっていられない時の最終手段ですよ」


 彼はそう肩をすくめ、二人はしばらく黙って歩いた。


「……なぁルカ。ひょっとしてこの件、ネオ・アヴァロンが絡んでいたりするんじゃないか?」


 沈黙のあと、悠仁はひっそり思っていたことを口に出す。


「可能性は否定できません」


 ルカはそう頷いた。


「ただ、これまでの事例を見た限りでは……あの英雄ゲートを直接ネオ・アヴァロンがつくった、ということではなさそうな気がするんです。どちらかというと、実現できる能力がある人をそそのかして作らせるとか、そういう方向性みたいなんですよね、あの組織は」


 そうなのかと言いかけた悠仁の視界に、道の向こうから歩いてくる小柄な人影が映り、思わず反射的に立ち止まる。


「悠仁さん?」


 振り返ったルカの向こうから、ビビッドピンクの服を着た小太りの老女が近づいてきた。堀の深い顔には生きてきた年月を示すように多くのしわが刻まれ、しかしその目は爛々らんらんと光り年齢を感じさせない。


「チャオ、ジーン坊や。五年ぶりかね。元気にしてたかい?」

「……メレディ?」

「おおそうとも。愉快なメレディばあちゃんさ」


 老婆は悠仁に向かって親しげに片手を上げると、にっとその顔を笑ませたのだった。

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