三章 ルカの正体③


 *   *   *



「君がどうしても嫌だって言うから、特別だよ」


 そう告げた上司を胡乱うろんな目で見上げたその男は、次の瞬間———ルカの襟元をつかんで引きずり寄せた。


「固体識別照会。識別番号と所属及び製作者情報を開示しろ」


 低い声が、威嚇いかくの響きを帯びて鋭く命じる。底のうかがい知れない真っ黒な双眸が、探るようにルカを見下ろしていた。


 ———なるほど。これは結構な筋金入りですね……


 出会ったばかりでいきなり胸ぐらを掴まれたルカは、『君が人工人類であることは、できるだけ気づかれない方がいい』という上司の警告の意味を身をもって知った。


 未知を恐れるからか、あるいは次々に生み出されるものについていくのが億劫おっくうになるのか、人間の中には一定数のテクノロジー嫌いが存在するものだ。


 その申し子であるルカからすると、厄介なことではある。それでも今悲観していないのは、これまで何度も人工人類を嫌う人間の元で仕事をして、その度になんとかなってきたからだ。別れるまでに相手の偏見がなくなることもあったし、そこまでいかずとも「君は例外だ」というなにかしらの信頼を勝ち得てきた。


 ———ましてや今回は、できればというご要望ですしね。


 それはある意味、ルカが最も得意とする局面だ。


「随分と荒っぽい先輩ですね。技術革新でどんなにスマートな生活が送れるようになっても、扱う側がこう原始的だと意味がないような気もしてきますが」


 皮肉まじりにそう言えば、


「……人間か」


 識別照会に応じなかったことで、彼はようやくその手を離した。


「安心してください。私は朝倉ルカ、正真正銘人間です。身分証明をご覧になりますか?」


 先端技術犯罪対策局ACBから任務に当たって与えられた〝人間用〟の証明ホログラフィーを出力する。手首にカムフラージュとしてつけているバンド型デバイスがあるから、照射しても不自然はないはずだ。


「……」


 しかしそれを見ても、嘉口悠仁はまだどこか疑わしそうな目を向けてきていた。さすがは特務捜査官と言うべきか。非常に疑り深いか、あるいは勘が鋭いのだろう。


「んもぅ、しょうがない方ですねぇ……出会ったばかりで私の隅々までご覧になりたいだなんて、大胆な先輩なんですから」


 ルカは笑いながら、シャツに指先をかけてみせた。


「誰がいつそんな要求をした。気味の悪いことを言うな」

「ではその熱烈な眼差しを引っ込めていただけます?」


 そう揶揄からかってみれば、興を削がれたらしい彼は憮然ぶぜんとして呟く。


「大体、脱いだところでなにがわかるってんだ」


 確かに人体と機械工学の融合である義体化サイボーグも珍しくない時代だ。人工胎盤、デザインベビーにクローン、人工知能AIにアンドロイド。人間とそれに手を加えたもの、そして作り出されたものの境目は年々確実に薄くなってきている。


「それにしても、よっぽどお嫌いなんですねぇ。アンドロイドが嫌なんですか? それともテクノロジー全般が?」

「俺はAI由来のものが嫌いなんだ。信用できるか、あんなもん」

「たとえその中身が理解を超えたブラックボックスだとしても、使えるものは使えばいいじゃないですか。大抵の人は電気の仕組みなんてろくに知らないまま使ってるでしょう?」

「それとこれとは話が別だ」

「そうですか? まぁ私は人間ですから関係ないことですけど……では、よろしくお願いしますね、先輩」

「……ああ」


 そう、握手を交わしたあの時は心配していなかったのだ。仮に不測の事態で正体がばれたとしても、きっとすぐになんとかなるはずだと思っていた。



 *   *   *



「百瀬課長、どうか隠さないで教えてください。もしかして悠仁さんの身内がAIとかアンドロイド関係で大怪我をしたり、亡くなったりしています? そうだとしたら、あのとりつく島のない塩対応にも納得です」


 一緒に暮らし始めればもう少し関係性が良くなるかと思っていたのに、一週間近く経った今も大して変わっていない。正式な相棒になったというのに気を抜けば置いていかれそうになるし、仲を深めようと休日に娯楽に誘っても断られるばかり。打っても響かないどころか、なんの音もしない。


 とうとう痺れを切らしたルカは、百瀬に情報を求めることにした。普段は信頼関係の構築のために、できるだけ本人のことは当人の口から聞けるまで待つのだが、この調子では百年経っても進展しないだろう。


「いや、そんな事実はないはずだよ」

「ないんですか? 控え目に見積もっても蛇蝎だかつの如く嫌われてるのに……恨みじゃなくて、ただの人工人類差別?」


 ぼやくルカに、百瀬は困ったように笑った。


「ただの差別……ではないかもしれないけどね、嘉口君の場合は。でもとりあえず、君が来てくれたおかげで、彼は随分とやわらいできているよ。本当にありがとう、ルカ君」

「……あれでですか? まぁ作ったお菓子は、私が渡しても口にしてくれるようにはなりましたけど。でもそれ以外は全然軟化しないなと思って……正直、進退に困っているんですが」

「いいや、少しずつかもしれないが間違いなく変わってきているよ」


 彼は首を振ってそう言う。


「嘉口君はね、君が思っているよりもずっと、ここに馴染なじんでいなかったんだ。もう十五年近くいるっていうのにね。それが君が来て以来、うちの課のメンバーに対しても前より壁が薄くなってきた。彼があんな風に感情を表に出すのは、私も初めて見たしね」

「……感情というか、おおむね怒っているような気がしますけど……」


 思い返しても、怒っているか、苛立っているか、不機嫌な顔の彼しか出てこない。


「そうかもしれないが、以前の嘉口君は全てを押し込めて蓋をしたような状態だったからね……これは確かな進歩だと私は思っている」


 窓の外を眺めながら、百瀬は静かに続けた。


「あの子も本心ではわかっているはずだ。いつまでも目を逸らし続けて、あのままでいるわけにはいかないと」


 彼はふいに表情を明るくすると、ルカに向き直る。


「だからね、ルカ君。君は君の思うようにやってくれていい。より踏み込むことが必要であれば、多少強硬な手段を取ってくれても構わないよ。許可が必要であれば、僕が許可しよう」

「……わかりました。もう少しやってみます」


 その後すぐに百瀬に緊急の呼び出しが入ってしまったため、もうひとつ聞きたかったことは次の機会にすることにして、ルカは小さな会議室から出た。


 廊下を一人で歩きながら、外からは見えない内部モニターに資料を展開して思考に沈む。


 ———きっとではないですよね……


 ここしばらく、ルカは仕事の合間にオロチが何者なのかを個人的に調べていた。悠仁がなぜネオ・アヴァロンの勧誘の対象になったのかは判然としないが、守るために情報は少しでもあった方がいい。


 ネットワーク上の膨大な情報から対象を選別していく中で目に留まったのは、〝黒鉄くろがねの死神〟の異名を持つ、Orochiオロチという呼称のアンドロイドだ。同じアンドロイドという名称で括られても、ルカとは方向性が大きく異なっていて、戦場に投入する戦闘兵器として生み出された個体だった。およそ二十年前に戦地で損壊し、廃棄処分となっている。


 ———悠仁さんの子ども時代と運用時期は被りますし、彼の実践的な戦闘技術から連想できなくもないですが……


 そうは言っても、戦いのための兵器だ。オロチを管理していた研究所の記録を見る限り、一応人に近い形はしていたようだが、現代の感覚ではアンドロイドよりロボットという言葉が思い浮かぶような硬質な外見をしている。そして当然、オロチにはルカのような感情機能はもちろん、人を育てる能力も備わっていない。人間の子どもの養い親になるには無理があった。その上、彼はずっと戦地である人工浮遊島にいたはずだ。まだ年端もいかない子どもの頃の悠仁と、接触する機会があったとは思えない。


「……」


 それにも関わらず、ルカはこのアンドロイドが妙に気になって対象から除外できないでいる。


 そして気になるといえば、もうひとつ不可解なことがあった。なぜか悠仁自身の痕跡も、十八歳で先端技術犯罪対策局ACBに入局する以前のものが見つからないのだ。ネット社会である現在は、たとえ仮に本人が一切なにもアップロードしなかったとしても、名簿や写り込んだ写真など、なにかしら関係したところに多少の軌跡が残るものだ。だが、それがまるで見つからない。厳重にロックされた極秘性が高いデータの中にある可能性もあったが、違法である以上それは最終手段だ。彼の謎は深まるばかりだった。


 ———そういえば……


 記録に刻印されていた研究所のマークを見ていたルカは、引っ越しの日に見かけてファイルに放り込んだままになっていた刺青いれずみのマークを画像検索にかけた。円形に文字が並んでいるところがよく似ている。


 ヒットしたのは〝ジョエルの福音〟という名前の団体だ。


 ———新興宗教かなにかですかね……?


 ルカがさらに検索をかけようとしたところで、ピロリロリン、ピロリロリンと設定してあったアラームが鳴った。


 この後は珍しく単独業務になる。悠仁は捜査報告書を作成し、ルカは技術課へ行かなくてはならない。ちなみにこれはルカの了解を得ることなく、勝手にそう決められていた。


 ていに言うと売られたのだ。無理やり組まされたことをまだ納得していない悠仁に、八つ当たりで。


 技術課に顔を出すと、相棒のつれない態度とは正反対で盛大に歓迎される。あそこの局員たちはルカのお気に入りの菓子を常備し、即座にクリームソーダを用意して運んでくるのだ。その溢れんばかりの興味と好意に悪い気はしないのだが、彼らには明かせないことも多くて気をつけなくてはならなかった。なまじその道の人間であるだけに、不用意なひと言で推測されてしまうこともあるからだ。そういう意味では、非常に気を使う業務であった。


 ———私があんまりあそこに行きたくないってわかってて行かせるんですから、本当に悠仁さんは意地悪ですよ。そろそろ何らかの対抗策をとった方がいいですかね……


 ルカはひとつため息をついてから、技術課に向かって歩き出した。

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