三章 ルカの正体①


 *   *   *



 命のにおいがする。

 そして、命を終わらせるにおいもする。

 いつだってここは、そういうもので満ちていた。


「ジーン」


 大きな影が、すぐ目の前に屈み込んだ。


 ———嫌だ……!


 その黒い手が伸びてくる。


 ————嫌だ……嫌だ!


 この後どうなるかを知っている。

 今あらがわなければ、望まないことになるのをわかっている。


 それなのに身体は動かない。

 まるで人形になったみたいに。

 手も足も動かない。

 声さえ出ない。


 ———嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だぁああああ……!!


 迫り来る絶望への拒絶で身の内をいっぱいにして、ただただなす術もなくそこに立っている。

 それしかできなかった。



 *   *   *



 ハッと目を覚ますと、見慣れた天井があった。


「……っ……」


 まるで全力疾走した時のように心臓が暴れ、全身が嫌な汗で濡れている。


 カーテンの隙間から光は漏れ込んでいなかった。まだ夜明け前らしい。


「……」


 上体を起こした悠仁はしばらく顔を手で押さえて呼吸を繰り返し、それから大きなため息をついた。


 ———……久しぶりに、名前を聞いたからな……


 オロチ。


 それは穿うがたれたくさびの名だ。悠仁がこの命を終えるまで、決して消えることのない。

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