二章 ネオ・アヴァロン⑤

 百瀬に連れられて、悠仁とルカは小さな会議室に入った。


 わざわざ二課の部屋から場所を移したということは、あまり人の耳があるところで話さない方がいいことだからだろう。十中八九、ネオ・アヴァロンの件に違いない。


「単刀直入に言おう。嘉口君、君は副官解除の申請を出していたが、現状をかんがみると却下せざるをえなくなった」


 扉を閉めるなり告げられたことに、悠仁は戸惑って百瀬を見た。


「ブライアン・ブラウンは君のことをオロチの息子と呼んで、会うことを待ち望んでいたそうだね?」


 通話で報告した時には、まだそのあたりの細かなことまで触れていなかったはずだ。顔をしかめてルカを見ると、彼は涼しい顔でブライアン・ブラウンと遭遇した間の会話記録を提出しました、と告げてくる。


「彼が君との接触を望んだ理由がわかるかい?」

「……いいえ」


 悠仁は首を振った。そもそも彼が、嘉口悠仁という人間の存在とオロチの息子であるということを把握していたこと自体が、大いなる想定外なのだ。ましてやルカに言われるまで、悠仁はブライアン・ブラウンという男がこの世にいることを知らなかった。そんな相手に出会いを望まれる理由など、わかるはずもない。


「君がオロチの養い子であることが、彼らにとってどういう意味があるのかはわからない。ブラウンの個人的なものなのか、組織的な目論もくろみがあるのか、それさえ不明だ。だが現状、君に〝同志〟になりうる可能性を見出し、接触を持とうとしていた事実を見過ごすことはできない」

「俺は」

「たとえ君にその気が全くなくても、だよ」


 百瀬は静かに続ける。


「警察に問い合わせたら、実は今年に入ってすぐの頃に国際刑事警察機構インターポールから、ネオ・アヴァロンの構成員が何人か日本に入国するかもしれないという警告がきていたらしい。管轄はあちらだから連絡する必要はないと考えていたようだが、うちの局員に接触があった旨を伝えて、今後は互いに協力体制を組むことで合意した。あの地下組織はテクノロジー犯罪とも無縁ではないからね」


 悠仁はしばらく考えてから、口を開く。


「……ネオ・アヴァロンは何のために日本へ?」

「それはまだ把握できていないらしい。目的も潜伏場所もはっきりしないが、どうやら各地で人材勧誘が行われているのは確かみたいだな。警察の方で、勧誘を受けて拒否した技術者や職人を何人か保護しているそうだ。あるいは、この国に拠点のひとつでも作るつもりなのかもしれないが……」


 百瀬は視線を床に落として、かすかにうれうようなため息をついた。万が一拠点ができてしまえば、今後の火種になることは間違いない。


「とにかく、そういうことだから……再び接触がある可能性を考えると、君に一人で動いてほしくないんだ。あちらが強硬手段に出てこないという保証は、どこにもないからね」

「俺は自分の身くらい、自分で守れます」


 食い下がる悠仁に、百瀬は首を振る。


「確かに君は戦闘力が高い。経歴を考えれば、実戦においては局内の誰よりも対応力があるだろう。だが一人でできることには、どうしても限りがある。相手が一人ではなく、組織であればなおのこと」


 普段はどこまでも物静かな上司の目から、底知れない圧を感じた。


「よって、君の申請は却下せざるを得ないんだ。君とルカ君には、仮契約を終えてこれから正式に組んでもらう」

「……ですが!」

「これは局長決裁だ。普段は君に甘いあの人がそう決めたということが、どういうことなのかは理解できるね?」


 反論しようとした悠仁は、ぐっと言葉に詰まった。先端技術犯罪対策局ACBの局長が決定したのであれば、局内の他の誰にもくつがえすことなどできない。不満そのものの顔で、しかし押し黙った悠仁にうなずくと、百瀬はルカへと視線を移した。


「本来であれば、君の試用期間はひと月の予定だったけれど、今この時をもって繰り上げ満了となる。これからは嘉口君の励んでもらうよ。もしまたネオ・アヴァロンからの接触があれば、手配犯の確保ではなく彼の身の安全を最優先に頼む」

うけたまわりました」


 ルカはうやうやしく頷く。


「嘉口君、君のことだから部屋は余っているはずだね? 特殊事態につき、住居を共同で使ってもらうことになった。彼に一部屋譲ってくれ」


 悠仁は今度こそ絶句した。


「……一緒に住めと!?」

「ルカ君、すまないがもう一度引っ越しをお願いするよ。それもできるだけ早急に」

「了解しました。荷物はスーツケースひとつ分ですから、用意はすぐ済みます。悠仁さんの方の準備もあると思うので、明日の仕事終わりに移る形でどうでしょう」

「それでいいね? 嘉口君」

「……いや、それは」

「こと今回に関しては、君に一切の拒否権はない。わかったね?」


 普段は穏やかで人の話をよく聞く百瀬だが、いざという時には有無を言わせない絶対的な決断力がある。平時であれば頼もしいのだが、それが自分にとって不都合なことに絡むと厄介なことこの上なかった。


『この世界のありようはおかしい。オロチの息子である君なら、きっと心のどこかでそう思っているはずだ』


 ふいにブライアン・ブラウンの真っ直ぐな眼差まなざしと声がよみがえり、悠仁は唇を引き結んだ。ルカの出現によって揺らぎ始めた仮初かりそめの平穏が、いよいよ取り返しがつかないことになって崩れていくような不穏を、ひしひしと感じていた。

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