二章 ネオ・アヴァロン④

 銃撃を受けて国際指名手配犯を取り逃したことを報告した後、悠仁たちは違法アプリ絡みの聞き込みを七件ほどこなしてから局へと戻った。ただし、七件のうち五件は〝バタフライ〟の影響で人事不省になり入院している者の様子を見て回るというものだったため、情報収集という観点から見ると収穫はあまり多くない。


 先のウルフムーンが肉体的な拡張を試みたものであれば、バタフライは精神的な方向から新境地を目指したものであったらしい。使用者の多くは〝なんの変化もない〟〝一瞬意識が途切れた〟で終わるらしいが、一部の人間は完全な意識の消失や錯乱、目は覚ましているが無反応などの症状が出て、そのまま回復していなかった。


 ちなみに製作者はまだ捕まっていない。バタフライはウルフムーンとは違ってアプリの出現や取得に何か条件づけがあるようで、ウェブ上の捜査はなかなか難航していた。


さなぎって呼ばれてるらしいんですよね、あの状態」


 宙を見つめたまま無反応で横たわっている女子高生の病室から出た後、ルカがぽつりと呟く。


「……これから羽化でもするっていうのか?」

「さぁどうでしょう。自然界におけるセミの羽化の成功確率は四十%、アゲハ蝶が卵から無事に成虫として羽化できる確率に至ってはわずか〇.六%だなんて言われてますからね。もし彼女が正気に戻って話してくれたら、きっと色々とわかるんでしょうけど」

「……九州支局の管轄で、一人きた使用者がいるらしいんだが、トラウマになったのか、まだなにかの影響を受けたままなのか、ひどく怯えた様子で完全に引きこもっちまってるらしい。とても話を聞ける状態じゃないそうだ」

「……一体何を見たんでしょうね、その人は」


 結局、状態が改善している被害者は一人もおらず、悠仁たちはそのまま病院を後にした。霞が関の端の方にある本局の建物に着き、自動販売機に寄るというルカと別れ、悠仁はひと足先に二課に戻る。


「お帰りなさい、嘉口さん。これ、広報の高見さんから預かりまして。ネットの方はすでに昨日から差し代わっているみたいですよ」


 そう言って堀内ほりうち正樹まさきが紙筒のようなものを差し出してきた。


「……なんだこれ?」


 広げてみると大判のポスターだ。〝局員大募集〟の文字と先端技術犯罪対策局ACBのシンボルマークが印字され、そしてその中央には……


 ———あの野郎……!


悠仁の驚愕は、すぐに怒りへと取って代わった。


 ポスターの真ん中にでかでかと印刷されていたのは、空中に飛び出した大型バイクだ。乗っているのは黒いジャケットの男と、ミルクティー色の髪をなびかせた青年だった。どこからどう見ても、あの日の首都高の悠仁とルカである。


 なぜこんなドンピシャな瞬間が撮れたのか。原因はひとつしか考えられない。


「いやぁ、コーンスープとかならまだわかる気がするんですが、飲むカレーとは。日本の人は面白いことを考えますね。これはたとえ自爆になるのだとしても、敬意を表して試さなくては」

「わかるなぁ。仮に不味まずい思いをするのだとしても、未知には挑戦したくなるよね」


〝カレーは飲み物です〟という色々とおかしい缶飲料を手にしたルカが、途中で会ったらしい小林純こばやしじゅんと共に話しながら部屋に入ってくる。


「でしょう?気になったなら体験しない方がもったいないかな、って思っちゃうんです」

「僕もやらずに後悔するより、やって後悔する方がいい派だな」

「さすがじゅん君、話がわかりますね」

「おい、朝倉ちょっと来い!」


 悠仁は不機嫌そのもので、楽しげな会話に割って入った。


「何ですか、やぶからぼうに。私はこれから小休憩をとって、飲むカレーなるものを堪能しようと……」


 その眼前に、ポスターを突きつける。


「あ、もうできたんですね。なかなか良い出来じゃないですか。これで優秀な志願者がちょっとでも増えてくれると良いんですけど」


 あっけらかんとルカが言った。


「うわ、今回の募集のやつめちゃくちゃ格好良い……! さすが嘉口さん、様になりますね!!」

「だよね、これ普通にポスターとして部屋に貼れるレベルだと思うんだ」


 きらきらした目で小林や堀内たち後輩がこちらを見ているものだから、余計に始末におえない。悠仁は一層眉根を寄せて、己の副官を睨みつけた。


「お前どういうつもりなんだ!!」

「捜査協力に留まらず人材不足の解決の一手まで提供した私に、ねぎらいどころか怒るとは何事ですか」


 たじろぐことなくルカが言い返してくる。


「なんであの時の写真が撮られてる!? お前の仕業しわざだろ!!」

「撮ったのは私じゃないですよ。広報の高見さんのお友達のフリーカメラマンです」

「そんなことを聞いてるんじゃない! なんで俺たちの動きを勝手に漏らしてんだお前は!!」

「だって広報部と人事部の人に、インパクトのある絵が撮れそうな時はぜひ教えてほしいって頼まれてたんですもん。深刻な人手不足を何とか打開するために、今回はいつもより派手にいきたいって。だからいいものが撮れるかもって、教えてあげただけですよ」

「頼まれてたんですもん、じゃないだろうが! なんで被写体の俺にひと言もないんだ!!」

「だってあの日、『もう黙ってろ』って言われましたし?」

「都合の悪い事ばっかり黙る方針になるんじゃねぇよ! お前ときたら、あれもこれも勝手に動きやがって……!!」

「それ悠仁さんにだけは言われたくないですよ! 私を置き去りにして、何回勝手に動いたと思ってるんです!?」


 言い争いになった悠仁とルカを見ても、もはや課の人間は誰も狼狽うろたえなかったし、止めに入ってもこなかった。こういうやりとりが、今や恒例になりつつあるからだ。


「二人ともすっかり仲良しですねぇ」

「待て小林! これのどこが仲が良いんだ!?」

「いやぁ、本当によかった。嘉口さんがひとりで現場に行くの、前から心配だったからね」


 悠仁の反論を華麗にスルーした小林と堀内は、ほがらかな顔で頷き合っている。


「ルカ君、嘉口さんをよろしくね」

「はぁい、この優秀な副官にお任せあれ!」

「勝手にお任せされるな! いいか朝倉! 俺とお前は遠からずバディ解消だ! わかってるだろうな!!」


 そう声を荒げながら、悠仁は内心で頭を抱えていた。いつの間にやら名前で呼び合うようになっていたり、出張に行ったメンバーが当たり前のように土産の頭数にルカを入れていたり、なんなら飲みに連れて行ったりして、尋常ではない勢いでこのアンドロイドは課に馴染んでいっている。もはや侵食と言っても差し支えないだろう。


 外堀から着々と埋められている気がして、悠仁が思わずゾッとしたその瞬間に、


「嘉口君、ルカ君、すまないがちょっと来てくれ。話がある」


 二課の課長である百瀬巧真ももせたくまが、扉から顔を覗かせて二人を呼んだ。

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