第22話 いつもと変わらない?
家庭科室はチョコレートの甘い香りと生徒たちの笑い声に満ちていた。
家庭科の調理実習でチョコレートマフィンを4人ずつのグループに分かれ作っているが、多くのグループはチョコレートの湯煎に苦戦していた。
僕もなかなか溶けないチョコレートにいら立ちながら、湯煎用のお湯を取り換えることにした。
「これって、もっと熱い温度にしたらすぐに溶けるかな?」
「それダメって、先生が言ってたでしょ。チョコレートは温度が高いと、油脂分が分離して触感が悪くなるよ」
隼人に注意され、素直に指示通り50度のお湯にチョコレートの入ったボールをつけた。
「砂糖の量、えげつないな」
「でもレシピ通り作らないと、上手くできないのがお菓子作りの悲しいところよね。砂糖の量減らすと上手く膨らまなかったり、焼き色が悪かったりしちゃう」
マフィンに使われるバターと砂糖の量に恐れおののく悠ちゃんに、紗耶香が悟った表情で砂糖の量を減らせない理由を教えている。
振られたとはいえ紗耶香のことは気になってしまう僕は、湯煎を続けながら横目で二人のやり取りを見ていた。
「アッツ!」
よそ見していたこともあり、溶けたチョコレートがハネてしまい顔についてしまった。
「大丈夫?」
紗耶香が自分のハンドタオルで、僕の顔についたチョコレートを拭ってくれた。
「ありがとう。ハンドタオル汚しちゃったね」
「どうせ洗濯するから、気にしないで」
恐縮する僕に紗耶香は優しく微笑んでくれた。視線を感じて振り向くと、隼人がにこっり微笑んでいる。
その視線に嫉妬や羨望のような感情はなく、ただ仲の良い友達同士の見守るもの優しい笑顔だった。
◇ ◇ ◇
外は寒いがカフェ、ロテュス・シュクレの店内は心地よい暖かさで満たされており身も心も安らげる空間が広がっている。
日曜日の昼下がり、友加里の希望で本田先生の同級生が経営するロテュス・シュクレを再び訪れていた。
もうすぐバレンタインデーということもあり、メニューにはフォンダンショコラやガトーショコラと言ったチョコレートを使ったスイーツが、期間限定という文字とともに並んでいた。
「期間限定って言われると、今食べなきゃって言われているようだよね」
「いや、そこまでは思うわないけど、食べたくはなるよね」
友加里の意見に完全に同意はできないが、この機会を逃すと食べられないと思うと食べようかなという気にはなってしまう。
「でも、定番のチーズケーキも食べたいし、どうしよう?」
「じゃ、このカフェ・グルマンってやつにしたら、スイーツ3点とコーヒーだって。チーズケーキもガトーショコラもあるし、いいんじゃない?」
「うん、それにする。今日もおまけのプリンくれないかな」
友加里は店内を見渡して、卒業生でもあるオーナーを探し始めた。
「ひょっとして、今日私たち誘ったのそれが目的?」
「まあね」
友加里は悪びれることもなく店員さんを呼んで注文を告げて、ついでにオーナーがいるのかも尋ねていた。
しばらくすると、オーナーでもある佐藤さん自ら注文したスイーツとドリンクを持ってきてくれた。
いつもながら背筋がきちんと伸びた姿勢の良さに惚れ惚れしてしまう。
「あら、久しぶり。今日も来てくれてありがとう。二人とも、この前会った時よりもかわいくなったね。そちらも、ハクジョ男子かな?」
佐藤さんは悠ちゃんの方に視線を向けた。
「川原悠祐です。噂には聞いていたけど、予想以上にきれいな方で驚いています」
長く艶めく黒髪にすっきり通った鼻筋、シャープな感じの輪郭に笑顔が素敵な佐藤さんを悠ちゃんは羨望のまなざしで見つめている。
「ありがとう。あとで新作のティラミス持ってくるね」
「やったー!」
狙い通りおまけのスイーツをもらえ喜んでいる友加里を、みんな笑い声が漏らしながら暖かい視線で見守った。
佐藤さんが「ゆっくりして言ってね」と言い残し去って行ったあと、友加里は早速お皿に盛りつけられた3種のスイーツのうち、チーズケーキを口に運んだ。
「う~ん、美味しい。欲を言えば、ミニサイズじゃなくて普通サイズで食べたかったな」
「友加里、それ食べ過ぎだから。ところで、昨日のアニメ観た、最近知ったんだけど面白いね」
紗耶香は話題の深夜アニメの話をし始めた。僕もそのアニメは好きで、原作の漫画も全巻持っている。
「あ~面白いよね。原作にないエピソードもいくつかあって……」
そこまで言いかけたとき、この前の本田先生の授業で習った女子トークの基本を思い出した。大切なのはうんちくよりも、共感だ。
「面白いよね。アニメの作画がよくて、戦闘シーンはかっこいいよね」
同じアニメスタジオが手掛けた他の作品も知っているが、あえて黙っておく。一つのテーマでじっくり話し込むことはなく、女子トークの話の話題はコロコロ変わっていく。
現にちょっと黙っている間に、友加里と紗耶香は別の話題で盛り上がり始めた。
「それで今度、美玖の彼氏の友達紹介してくれるって言うけど、紗耶香どうする?」
「美玖の彼氏って、去年インターハイに出た学校のバレー部でしょ。筋肉ゴリラに興味はないから、遠慮しとく」
「そうなんだ。私は彼氏にするなら、やっぱり頼りがいのあるマッチョが好きだけどな」
「それ、スカート履いている私たちの前でする話?」
「ごめん、ごめん」
隼人と友加里がじゃれているのを横目で見ながら、紗耶香の方に視線をむけると紗耶香は自分の手に持っているコーヒーを見つめうつむいていた。
友加里の話しぶりだと、紗耶香が女性しか愛せないことは知らないようだ。
バス停で帰るという隼人たち3人とは駅前のバス停まで別れて、電車で帰宅する紗耶香と一緒に改札をくぐった。
「美味しかったね」
「うん」
冬休みに紗耶香と隼人とはいろいろあったが、今日の感じだと何も変わらない。いつも通り、学校の中でも外で楽しく過ごせている。
紗耶香と付き合う希望は捨てきれないし、隼人の告白を断って悲しませることもできない僕は、結論を出さないままこの関係が続くことを願っている。
駅のホームに上がり電車を待っていると、紗耶香は真顔な表情で話し始めた。
「ねぇ、私自分で言うのもなんだけど、可愛い方でしょ」
「うん、女子の中でもトップクラスだと思うよ」
「それで、彼氏いないと今日みたいに友加里とか他の女子から男子紹介されるんだけど、知っての通り男子には興味ないの」
改めて男子に興味はないと言われ、僕は悟られないように振る舞いながらガクッと肩をおとした。
「それでね、お願いだけど、紹介されて断り続けるのも不審がられるから、光貴、私の彼氏ってことにしてくれない?」
突然の思いもよらない提案に、僕は言葉を失った。
「私のことを好きでいてくれているのを利用して悪いけど、お互いにメリットあると思うんだ」
偽装恋愛とはいえ、紗耶香の彼氏ポジションは望外の喜びだ。それに、紗耶香と付き合うことにしたと言えば隼人の告白を円満に断ることもできる。
断られるとは微塵も思ってもいない純粋な瞳で僕を見つめる紗耶香の申し出に、僕は首を縦に振った。
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