第21話 アドバイス

 寒空の中、ホットコーヒーを飲んだ本田先生の口からは白い吐息が漏れている。

 僕の話を一通り聞いた先生は、静かに話し始めた。


「まあつまり百田さんは、栗山さんに男であることが理由で振られたのがショックだったけど、同じ理由で今度は一ノ瀬さんの告白を断ろうしている自分が嫌ってことなの?」

「まあ、要約するとそんな感じです」


 読者のために状況を整理してくれた本田先生の優しさに感謝しながら頷いた。


「先生のパートナー、今は女性だけど昔は男性だったんですよね?先生も最初から男性が好きだったんですか?」


 繊細で触れてはいけない部分なのかもしれないが、先生が好意的に話を聞いてくれこともあり、思い切って聞いてみた。

 数秒の沈黙の後、先生は口を開き始め白い吐息が漏れている。


「私も最初はスカート履きたいだけで、別に男子が好きって訳じゃなかった」

「僕も同じです。だから、隼人に告白されて困ってるんです」

「雄ちゃんが1年生の時に、スカートの位置が違うのを見かねて声をかけたのを機に知り合いになって、それからいろいろと教えるようになって、可愛く思えてきたの」


 憧れだけでは女の子になれない僕たちのために、本田先生が授業を始めるきっかけになったエピソードは以前にも聞いたことがある。


「雄ちゃんも私のことを慕うようになって、ちょうど、この中庭でバレンタインデーに告白されたの」


 先生は恥ずかし気に人差し指で地面を指さした。


「私も最初は男子と付き合うなんてと思ったけど、私の場合意外とすんなり告白受け入れられたね。性別なんて、好きになれば気にならないものよ。それで、百田さんは一ノ瀬さんのことを好きなの?」

「好きというか、気が合うというか、一緒に居たいと思うのは確かですけど、男同士の友達と恋人だと関係性が違いませんか?あの、その、愛情表現というか、恋人同士だとイチャイチャするし」

「好きになれば自然とできるよ。できないってことは、好きじゃないってことだと思うよ」


 それだけ僕に伝えると、先生は「今日はありがとう」と言って、飲み干したコーヒーのカップをゴミ箱に捨て職員室へと戻っていった。

 一人残された僕はベンチに腰かけたまま、飲みかけのココアから立ち上る湯気を見つめていた。


◇ ◇ ◇


 時計の針は午後七時を回っている。

 完全下校の時間も過ぎ生徒たちは学校には残っていないが、

 3年生担当は共通テスト、2年生担当は1月下旬の修学旅行に向けての準備があり、職員室にはまだ大半の教職員が残っていた。


 まだ残っている先生たちに「お先に失礼します」と声をかけて、1年生担当の本田圭佑は申し訳なさそうに職員室を後にした。


 帰りの道はいつものことだが、帰宅ラッシュの車で混み合っている。

 仕事の疲れと空腹感で集中力がきれそうだが、事故を起こすわけには行かないので慎重に運転をつづけ自宅のマンションにむけ車を走らせる。


 30分後、自宅マンションの駐車場に車を止めると、ようやく仕事が終わった解放感がわいてきた。

 2階の自室まで階段をのぼりドアを開けると、いい匂いが食欲を刺激し始める。


「ただいま」

「おかえり」


 キッチンで料理をしているパートナーの雄ちゃんが、にこやかな笑顔で出迎えてくれる。

 テーブルの上にはブロッコリーと卵のサラダがすでに置かれており、雄ちゃんが混ぜている鍋からはビーフシチューのいい匂いが漂ってくる。


「グラタンももうすぐ焼けるから、着替えてきて」

「今日どうしたの?平日なのに、豪華すぎない?」

「まあ、後で話すから、着替えてきなよ」


 市民病院で看護師として働く雄ちゃんが夜勤明けに食事を作ってくれるのはいつものことだが、今日はちょっと豪華だ。

 何かの記念日だったかなと、着替えながら頭を働かせる。


 誕生日、付き合い始めた記念日など、いろいろ頭に浮かべるが多分違う。付き合い始めて3000日とか言われたら、どうしようもないなと思いながらリビングへと向かった。


 テーブルの上には、ビーフシチューが置かれ、焼き立てのグラタンも美味しそうな焼き目がついている。


「お待たせ、美味しいそうだね。で、何かの記念日だったけ?忘れてたらごめん」


 雄ちゃんは嬉しそうに一枚の書類を私に手渡した。


「女性への戸籍変更手続きが認められたの。ようやく女性になれたよ」


 適合手術、面倒な法手続きを経てようやく体も戸籍も女性になれた雄ちゃんの顔は、こぼれんばかりの笑みであふれていた。


「おめでとう」

「ありがとう」


 残った酒による酒気帯び運転が怖くて平日には飲まないようにしているビールを、1本だけ開けて祝杯をあげた。


「これで、圭ちゃんと結婚出来るね」

「でも、今更だけど、結婚って言う形にこだわらなければ養子縁組とか他にも方法あったけど、結婚のためだけに女性になってよかったの?」

「圭ちゃんと結婚したいと思って女性になりたいと思ったけど、それ以外も胸は欲しいし下半身のアレもなくして女性の体が欲しかったし、そうなると戸籍も女性にしておいた方がいいでしょ」


 あっけらかんとした表情で雄ちゃんは話しているが、かなり悩んだはずだ。

 そんな雄ちゃんが愛おしく思える。


「でも、名前は『雄子』なんだね」


 男っぽい雄の字を残すとは思わなかった。


「雄と雌の雄って意味以外にも、優れている、秀でているって意味もあるからね。実際、『雄子』って女性の人もいるし、それに、親からもらった体を変えたから名前の一部だけでも残したかったからね」

「今日は、雄子の誕生日だね。おめでとう」


 半分残ったビールで乾杯して、飲み干した。


 ベッドの隣で眠る雄ちゃんは、規則正しい寝息を立てている。

 そのかわいい寝顔を見ながら、今日相談を受けた百田さんのことを思い出した。

 百田さんが一ノ瀬さんの告白を受け入れるかどうかは分からないけど、後悔しない選択をしてほしいと願いながら、私も眠りにつくことにした。

 

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