第5話 自主練

 昼休み、それは学校生活で一番楽しく賑やかな時間である。

 友達となかよく机を並べてお弁当を食べたり、中庭のベンチに腰かけてジュースを飲みながらおしゃべりしたりと、みんな思い思いの昼休みを過ごしている。


 僕もいつもなら川原と一ノ瀬の男子3人でお弁当を食べながら、漫画やゲームの話をしながら楽しく昼休みを過ごしていた。

 でも今日は早々とお弁当を食べ終えると、一人教室を出た。


 日陰に覆われ、少し薄暗い体育館裏。そこは学校の中でもっとも静かな場所だ。僕の足のつま先で地面に一本の直線を描く音、ガリガリと響き渡る。


 テキストを読み直しながら、昨日本田先生に教えてもらった女の子っぽく見える歩き方を思い出した。

 膝をすり合わせるようにして、平均台を歩くようにまっすぐ歩く。

 手はまっすぐ振らずに、少し弧を描くようにして後ろのふり幅を大きくする。


 これも先週の立ち方同様、細かい注意点がたくさん書いてあり一度では覚えきれない。


「まあ、とりあえずやってみるか」


 自分に気合を入れるため独り言をあえて口に出した僕は、テキストをパタンと閉じると、先ほど引いた直線の上を歩き始めた。


 肩は揺らさず、頭も上下させず、テキストに書いてあったことを思い出しながら歩みを進める。

 上半身に注意が行けば足の運びがぎこちなくなってしまい、足に注意が行けば肩が揺れてしまう。

 今まで歩くという動作にこんなに気を配ったことはなかったが、男と女でこんなに歩き方がちがうとは思わなかった。


「何してるの?」


 突然話しかけられ、びっくりして振り向くと紗耶香が優しいほほえみを浮かべて立っていた。


「いつから、そこに?」

「いつからって、全部よ。お弁当を急いで食べてどこに行くのかなと思って、後をつけてみたの」


 別にやましいことはしていないが、それでも一人で歩き方の練習しているところを見られていたと思うと、恥ずかしさで顔が赤くなるのが自分でもわかった。


「へぇ~、『女性らしい歩き方』か。何、これ、いっぱい注意点が書いてあるね」


 放り投げていたテキストを拾い上げ、付箋が貼ってあるページを開き興味深そうに読み始めた。


「そうだろ、女子ってこんなに気を使って歩いてるのかよ」

「意識してなかったけど、手の振り方とか足の運び方とかテキストに書いてある感じで歩いてるね。それより、女の子になるんだったら、その言葉遣いも直さないとね」


 恥ずかしさを隠すあまり雑になった言葉遣いを注意され、それ以上何も言えなくなり黙ってしまう。

 無言の僕を見つめ、紗耶香はテキストをパタンと閉じた。


「それじゃ、練習続けてみてよ。私見といて上げるから」

「え~、恥ずかしいよ」

「恥ずかしいもなんも、来年になってできない方が恥ずかしいよ。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥でしょ。ほら、休み時間なくなっちゃうよ」


 紗耶香が見守る中、歩き方の練習を再開した。もう一度、テキストに書いてあったことを思い出しながら一歩一歩線の上も進んでいった。


「もうちょっと後ろに体重掛けた方がいいよ。前かがみになり過ぎ、視線ももう少し上げた方がいいよ」


 指摘された通りまっすぐ歩こうとして、つい足元を見るため下を向いてしまっていた。


「ありがとう、自分じゃ気づかなかったよ。足の運びはどうだった?」

「歩幅が小さすぎてわざとらしすぎる。ほら私の方が身長小さいけど歩幅これぐらいだよ」


 紗耶香は実際に歩いて見本を見せてくれた。足跡を比べてみると、確かに身長の高い僕の方が足幅が短い。


「これぐらいでもいいかな?」

「そう、それぐらいでも大丈夫だよ。じゃ、もう一回行ってみよ」


 紗耶香は僕のお尻をポンと叩き歩くように促し、僕は歩き始めた。

 その後も紗耶香におかしなところを指摘してもらいながら、歩き方の練習を続けた。


「だいぶん、良くなってきたと思うよ」

「ありがとう」


 紗耶香に褒めてもらえると、嬉しくなり自然と笑顔がこぼれてきた。そんな僕をみて紗耶香も満足げな笑みを浮かべた。


―——キンコーン、カンコーン


 昼休みが終わる5分前の予鈴が聞こえてきて僕らは教室に戻ることにした。

 教室に戻る途中渡り廊下に差し掛かったところで、紗耶香が話しかけてきた。


「明日も練習するの?」

「うん、そのつもりだけど」

「じゃ、明日も練習に付き合ってあげる」

「え~いいよ」

「遠慮しなくていいからさ」

「それじゃ、お願いしようかな」


 一度は断ったものの、紗耶香と一緒に時間を過ごせるのは嬉しかったし、何より女子からアドバイスもらえた方が上達も早い。


「じゃ、明日もやるならスカートの着替えなよ」

「え~」

「実際履かないと、分からないこともあるでしょ」


 練習に付き合ってもらっている紗耶香に反論するのも気が引けた僕は、紗耶香の提案を受け入れた。


◇ ◇ ◇


 翌日、体育館の更衣室で着替えて体育館裏に行くと、紗耶香の他に同じクラスの石川友加里の姿があった。


「石川さんもきたの?」

「紗耶香に誘われてね。なんか面白そうだし」

「勝手に誘ってごめんね。二人いた方がいろいろアドバイスできると思って。ひょっとして、私と二人きりが良かった?」


 僕の心を知ってか知らずか意地悪っぽく訪ねてくる紗耶香に、僕はかぶりを振った。


 確かに二人いた方が練習は捗った。上半身と下半身それぞれ担当に分かれてチェックしてもらえるし、お手本として前を歩いてもらうこともできる。


「だいぶん、自然な感じだと思うよ。ほら、動画見てみる?」


 友加里のスマホを3人でのぞき込んだ。まだぎこちなさがあるが、女の子っぽく歩けていた。


「百田さん、その立ち方、かなり女子っぽいね」


 片足を半歩引いてつま先立ちにしてふくらはぎをくっつけ少し腰をひねっていた僕を見て、紗耶香が褒めてくれた。


「照れてるところも、かわいい」


 友加里が揶揄ってきてますます照れる僕をみて、紗耶香は口角をあげて笑みを浮かべた。


―——キンコーン、カンコーン


「あっ予鈴がなったよ、教室戻らなきゃ」

「じゃ、着替えてくるよ」

「着替えてちゃ、間に合わないよ。そのまま、行こうよ」


 紗耶香が更衣室へと向かおうとした僕の手を握り、引き留めた。

 初めて触れる紗耶香の手。小さくほっそりとしたなめらかな手を振り払うことは僕にできなかった。


 僕の右側には友加里、左には紗耶香と女子二人に挟まれながら、教室へと向かう。

 お互いの距離は肩が触れ合うほど近い。


「あら、百田さん、授業以外でもスカート履くようにしたの?」


 途中すれ違った本田先生が、僕の姿をみて声をかけてきた。その目は子供を見守る母親の様に暖かく優しい。


「え、まあ、なりゆきで」

「まあ、慣れだから、頑張ってね」


 本田先生はロング丈のプリーツ姿を優雅に揺らしながら去って行った。


「ほら、先生も言ってるから、明日からは朝からスカートね」

「学校で着替えれば恥ずかしくないでしょ」


 紗耶香と友加里がわざと肩をぶつけてきた。このじゃれあう女子高生特有のコミュニケーションが心地よかった。

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