第3話 姉になった兄

 午後6時過ぎ、帰宅時間帯の駅はサラリーマンや学生たちで混雑していた。

 改札を抜け階段を降りたところで、僕の名前を呼ぶ声がした。


「光貴、今帰り?いつもより遅いね」


 振り向いてみると一歳上の兄の遥斗だった。僕と同じ学校に通う彼は、2年生ということもあり当然スカートを履いている。


「ああ、特別授業があったからね」

「そういえば、今日からだったね。せっかくスカート履いたなら、履いたまま帰ってきたらいいのに」


 遥斗は屈託のない笑顔を浮かべて僕の下半身を指さした。

 遥斗の様に似合っていれば、僕もスカートのまま帰宅しただろうし、何なら朝からスカートで登校していた。


「まあ、来年からスカート履かないといけないんだし、早めに履いて慣れておいた方がいいよ。私なんか入学式の時から履いてるよ」


 隣を歩く遥斗の長い黒髪が風になびいていた。手入れの行き届いた艶やかな黒髪は、白いシュシュで一つに纏められ、ポニーテールが優雅に揺れる。

 3年前、白石高校を受験すると宣言した時から髪を伸ばし始め、いまでは肩下10cm程に伸びている。

 

 制服のプリーツスカートを揺らしながら歩く遥斗は、どこからどうみても女子高生だ。

 制服を買うときにあえてスラックスを購入しなかった遥斗は、入学の時からスカートを履き続けている。

 やっぱり慣れなのか、同じ兄弟だし僕もいずれ遥斗の様になれるのか不安と嫉妬の混じった視線で遥斗を見た。


「まあ、心配しなくても大丈夫だって」


 僕の心を見透かしかのように、遥斗は僕の肩をポンとたたいて励ましてくれた。


 遥斗と話ながら歩いていると、あっという間に家に着いた。


「ただいま」

「あら、今日は二人一緒なの?」

「うん、駅で会ってね」


 リビングにいる母に一声かけた後、遥斗はそのまま2階にある自室へと階段を昇って行った。


 僕は着替えるのも面倒なので、通学バックをリビングのソファに投げると僕もソファに腰かけてテレビを観始めた。


「お母さん、今日の晩御飯何?」

「今日は唐揚げよ」


 制服からルームワンピースに着替えた遥斗がリビングに降りてきた。


「お姉ちゃん、もうすぐ晩御飯で、ご飯食べたらすぐにお風呂なのになんで着替えるの?」


 3年前、白石高校を受験すると家族に伝えてから家ではスカートを履くようになり、呼び方も「兄貴」から「お姉ちゃん」と呼ぶようになった。


「スカートがシワになるからね。光貴もスカート履くようになったら、家に帰ったらすぐに着替えるんだよ」


 子供に教えるような口調で伝えると、遥斗は「お腹すいた」と言ってダイニングテーブルの椅子に座った。


 それから10分ほどして、キッチンの方からよい匂いが漂ってきた。


「光貴、ごはんよ」


 母に呼ばれてテレビを消して、テーブルへと向かった。

 仕事で帰りの遅い父親を待つことなく、夕ご飯が始まった。


「いただきます」


 お腹がすいた僕は、まずはニンニクの良い香りが食欲をそそる唐揚げに手を伸ばした。


「う~ん、美味しい」


 肉汁あふれる揚げたての唐揚げのあまりの美味しさに、二つ目に手を伸ばした。


「あれ、お姉ちゃん食べないの?揚げたてが美味しいよ」

「このサラダ食べたら食べるよ。最初に野菜食べると太りにくくなるからね。光貴もそろそろ気を付けないとね」

「貴方たちはまだ若いんだから、体形とか気にしなくていいからたくさん食べなさい」

「やだ~、お母さんみたいになりたくないから、気を付けてるの」


 母は「これでも若いころは痩せていたのよ」と言いながら唐揚げを美味しそうにほおばり、遥斗はドレッシングをかけていない生の千切りキャベツを口に運んだ。

 その様子を見ながら食べ過ぎることに罪悪感をいただいた僕は、いつもならお代わりするご飯をお代わりせずに箸をおいた。


◇ ◇ ◇


 髪の毛をリンスとシャンプーで洗った後にトリートメントを付け、蒸しタオルで巻いた後湯船につかりながら10分ほど待つ。毎日ではないが、定期的にトリートメントもしておかないと髪が傷んでくる。

 

 1年半ほど前、中学3年生で白石高校を受験すると決めたときから伸ばし始めた髪もようやく肩ぐらいまで伸びてきた。

 湯船につかりながら、髪を伸ばし始めたときのころを思い出し始めた。


 僕が中学3年生になったとき、兄の遥斗が白石高校に入学した。

 入学式の日嬉しそうにスカートの制服を着て学校に行く遥斗の姿をみて、僕の心は揺れ動かされた。


 性同一性障害の人みたいに自分の性に違和感はなかったが、白石高校のかわいい制服を嬉しそうに着ている遥斗の姿をみて、僕も着たいと思ってしまった。

 そう思うと中学の男子制服が色あせてみえて、女子の制服が輝いて見えてきた。

 そして1年後、遥斗のあとを追うように僕は白石高校に入学した。


 トリートメントを洗い流した後お風呂から上がると、リビングで遥斗が柔軟体操をしていた。


「光貴、ちょうどいいところに来た。背中押して」

「うん」


 毎日お風呂上りに柔軟体操をしている遥斗の体は柔らかい。

 あまり抵抗のない背中を押すと、水色のブラジャーからTシャツから透けて見えた。


「お姉ちゃん、胸ないのに何でブラジャーしてるの?」

「なんかしてる方が気合が入るというか、女の子であることを忘れないというか、って痛たた、光貴強く押しすぎ」

「ごめん」

「それに、学校に行くときはブラにパット入れるから朝付けないといけないから忘れないように寝るときも付けるようにしてる」

「やっぱり男でも胸は必要?」

「男だからこそ、必要だよ。まあ、そういうことは授業で習うから。ありがとう。もういいよ。光貴も宿題とか予習とか終わらせて、早く寝よ。睡眠不足はお肌の大敵だよ」


 柔軟を終えた遥斗はリビングのテーブルに移動して勉強を始めた。僕も数学のプリントをとりだし、勉強に取り掛かった。

 遥斗がスラスラと課題をこなしていく横で、僕は数学の問題に苦戦していた。

 見かねた遥斗が声をかけてきた。


「光貴、その問題、絶対値のなかが正と負で場合分けするんだよ。悩んでないで、まずは手を動かして、条件を数式で表したり、グラフに書いてみたりすると、わかりやすいよ」


 遥斗のアドバイスに従い、問題を解き始めた。僕と違い成績優秀な遥斗は、学校では生徒会活動もしており、何か何まで僕の上位互換だ。

 そんな兄をもつことで、誇らしい気持ちと劣る自分への劣等感が入り混じった感情が僕の中にある。

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