第28話 ねらわれた少女

 小暮も落ち着きを取り戻して、赤くはれた目を浮かべながら壁に寄りかかる。


「どう? 落ち着いた?」


 秋希が顔をのぞかせると、小暮は頷く。


「……なんか、かっこ悪いとこ見せちまった」


 坂橋も同じことを言ってたような気がする。本人も覚えがあるのか、苦笑をうかべていた。


「気にしないで。誰だって普通嫌になるよ」

「……そうだな」


 すると涼野が、小暮の脇へ寄る。


「言い忘れてたけど、助けてくれてありがとう」


 そして万遍の笑みを浮かべた。


「……無事でよかった」


 小暮も笑みで答える。だが涼野の無垢な笑みは、段々と邪悪に変わっていく。


「ところで、幽霊についてはどう思う?」

「いきなり何だ」


 小暮は眉間にしわを寄せて、残っていた目ヤニを親指で拭う。


「まさか、この期に及んでも信じてないとかはないよね」


 涼野は一層邪な感情を乗せて、尋ねる。後では杏子と坂橋が呆れており、秋希も苦笑をうかべていた。少しの間沈黙が流れて、小暮が頷く。


「……まあ、否定すんのは難しいかもな」

「じゃあ信じたって事だね!」


 よほどうれしいのか、涼野は小暮の肩を掴むと強めに揺らす。


「涼野、何が言いたいんだよ」

「この前言った事覚えてる?」

「いつのだよ」

「昨日、図書室で言ったでしょ? 『もし幽霊に出くわしたら、わたしがおすすめするホラー小説を全部読む』って」

「いや言って――」


 残念ながら言ってんだなこれが、という必要もなく、小暮は思い出したようだ。表情が一気に青ざめる。


「でもせっかくなんだし、二人で夜通しホラー映画のほうがいいよね! ねぇ!?」


 強く念を押すように、涼野は目をかっと光らせる。暗やみでもわかる位の輝きだった。先ほどまでの空気とうって変わってこの始末。小暮も困惑を隠せずにいた。


「いや、アレは冗談で……」

「ほら、助けてもらったお詫びもしたいから……ネ!」


 ウインクで問いかける涼野。てか助けてもらったお詫びにホラー映画とか、そんなのお前しか喜ぶ奴いないだろうが。俺でもうれしくねぇぞ。


「頼むからやめてくれ……秋希、何とか言ってやってくれよ……」


 すがるように秋希の腕を掴む小暮。しかし秋希も返事に困った様子でいた。


「あ、三人でもいいよ! いや、こうなったらここにいる全員で……」


 すると坂橋、杏子が一斉に小暮を睨む。


「わ、私はいいけど……」


 と告げる秋希も、何となく乗り気ではない気がした。お前、普段二人で見にいったりしてるだろうが。


「くそ、あん中に取り残されれりゃ良かったか……」


 冗談で、小暮が呟く。そろそろ雰囲気もいつも通りに戻ってきたところだし、そろそろ助け舟を出してやるか。俺は立ち上がり、身体の痛みをほぐすように軽くストレッチをする。


「どっちにしろ、まずこっから全員無事に脱出しねぇと……だろ」


 すると全員が真っ直ぐな目をこちらに向ける。そして誰一人駆ける事無く、しっかりと頷いた。


「そうだね。まずは目の前の事から頑張ろう」


 秋希も同調して、全員が立ち上がる。


「んで、次はどうする」


 小暮は呼吸を整えて、尋ねる。


「三階の様子を伺っておこう。もし二階みたいな状況なら、またそん時考えるか」

「そうだね。とりあえず――」ふと俺は、階段側から人影が動くのが見えた。そちらへライトを向けると、そこには風で吹き飛ばされたはずの人体模型がこちらへやって来る。「――トオル?」


 位置的に見えるのは俺だけだった。だが全員が俺の行動に疑問を持ち、振り返る。そこでようやく、目の前に迫っている者の姿に気が付いた。


「……ああまたこの状況かよぉ!」


 再び取り乱す小暮。泣かないあたりはまだましだった。俺は周りを見回す。廊下の奥に丁度バットがあるが、その前に人体模型が立ちふさがっている。さらに背後には、今なお強く吹く風の壁。逃げ場所はない。


「ちっきしょう、しつこすぎるって!」


 坂橋もいらだちを隠せずに愚痴をこぼす。


「ねぇどうすんの!」


 杏子が問いかける。よくみると人体模型はぼろぼろで、片足が取れかけていた。そのせいかうまく歩けないのだろう、取れかけた足を引きずる形だった。ここはひとまず、女子を逃がすべきか。俺たちが奴を引き付けて、その間秋希にあのバットを拾わせてもう一回ぶん殴ってもらう。よし、これでいこう。


「秋希!」俺は叫ぶ。「俺たちがひきつけるから、その間に奥にあるバットを拾ってぶちのめせ!」


 ライトをそちらの方に向けて、指で示す。俺の言っている事を理解したようで、秋希は頷いた。


「分かった!」


 すると秋希は杏子の肩を支えながら、涼野と共に近くにあった便所へ逃げる。


「嘘だろトオル。失敗したらどうすんだ!」


 小暮は後ずさりながら叫ぶ。腰に力が入らなくなったのか、しりもちをついてしまった。


「駄目なら俺が先に飛び込むから、その間に逃げろ」

「んだよトオル、そうやってカッコいいとこばっか持っていこうとしやがって!」

「そんな事言ってる場合じゃないだろ坂橋!」

「ちっきしょう、誰でもいいから何とかしてくれぇ!」


 各々叫ぶ男子。そうしている間にも人体模型はおもむろながら、着実にこちらへ向かっている。段々と女子便所へと近づき、そのまま通り過ぎてくれる――はずだった。奴は突然その場で止まる。


「おい、アイツどうしたんだ」


 訝しむ坂橋。


「何でもいいから、もうやめてくれよぉぉぉ!」


 小暮はさらなる悲劇を予感したのだろう。みっともない悲鳴を上げる。しかし何故奴は止まったんだ。つい呼吸が止まったのに気が付いて、再びゆっくりと息を吐く。次に起こる出来事に備えるため、じっと目を凝らす。

 すると奴は、俺たちの想定を否定するように、女子便所の方へ向く。そしてゆっくりと、秋希たちのもとへと歩き始めた。


「嘘……どうして……!」

「ちょ、何でこっちにくんの!」

「こ、来ないで!」


 女子便所から、三人の叫ぶ声が聞こえた。俺は目を覚まして、ライトを坂橋に預けると急いでバットを拾う。力の限り走り、女子便所へ飛び込むと勢いそのままに人体模型の脳天めがけてバットを叩き付ける。奴は破片を街き散らして、その場へ倒れ込んだ。

 俺はその感触に驚愕を隠せなかった。まるで人の頭を打ったような感覚がしたからだ。といっても、実際に殴った事なんてない。でも明らかに、この人体模型は人間らしい感触があった。さっきもあのガイコツにタックルした時感じたが、これは一体どうなってんだ。


「ト、トオル……」


 ふと俺は、秋希の声に気が付く。どうやら三人との距離は寸でのところだったようで、三人とも腰を抜かしている様子だった。俺は我を取り戻して、ため息をつく。


「おい、無事か」

「う、うん」


 秋希はスカートの後をはたきながら立ち上がる。困惑した表情はそのままだった。それから杏子を立ち上がらせるために手を貸す。


「トオル、マジありがと」

「あ、あと少しのところだったね……」


 杏子、涼野も感謝を述べてくる。背後からは、坂橋と小暮が呼ぶ声も聞こえた。


「トオル!」

「お、おいっ! どうなったんだよ!」


 俺は振り返る。二人の呼びかけには応じられなかった。手に着いた感触が、今も鮮明に残っている。ふと人体模型を見おろす。頭の部分が完全に割れて、内部が見えるようになっていた。何もないと分かっていながら、まるでおぞましいものが見えるような気がする。むしろ俺の手やバットに血が付いていない事に違和感すら覚えた。人を殺してしまった。そんな感触があったからだ。

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