第27話 少年たちの覚悟
「嘘、どうしよう……!」
秋希は冷静さを失ったように、慌てふためく。目元には涙が浮かんでいた。風は廊下から教室へと流れており、壁伝いではとても通れない。ホースも風にあおられてしまい、うまく渡せないだろう。ならばと振り返ると、その先にもいくつか教室があった。そこは窓がないので、風もやってこない。おかげでドアなどは無事だった。
「坂橋、戸を持ってくるぞ」
「で、どうすんだよ!?」
坂橋は頭を抱えながら尋ねる。
「手前の入り口をふさぐ! うまくいきゃ通れるかもな!」
「だといいけどよォ!」
坂橋は立ち上がり、早速俺たちは奥へと向かい、ドアを引っぺがす。持ってきて、一旦壁側に立つ。
「いいか? 普通にやったら風で飛ばされる。そのへんも計算してやれば、うまく引っかかってくれるはずだ」
「んなもんどうやって計算すんだよ!?」
「勘しかねぇだろ」
無茶は承知だが、そこまでしないと涼野はたすけられない。それにまだ戸の予備は残っている。早速一回目と、俺は戸を押し込む。当然風に吹かれて、持っていない部分が煽られる。そのまま入口へと縦方向に流されてしまい、ドアは消えてしまった。
「くそっ、もう一回」
「本当にこれでいいのかよ!?」
「これしかないんだって!」
「オレは頭悪いから無理だ! 戸は持ってくるから、トオルは塞ぐ係頼む!」
「よし、持って来い!」
俺は坂橋から戸を譲りうけると、早速抑えようとする。これもダメだった。まだ角度が上手く入らない。
「私も持ってくるね!」
秋希もいてもたってもいられなかったのだろう、立ち上がり、急いで駆けだす。
「頼む!」
返事を待たずに、戸を外しにかかる。そこへ坂橋が一枚持ってくる。貰うと、もう一度。ぎりぎりうまく行きそうだったが、それでも風にあおられて位置がずれてしまい、そのまま消えていく。でもうまくいきそうだ。さっきのように引っかかってくれれば、その内に向こうへ進める。今回は廊下の壁が死角となっているので、そこを通れればいい。
秋希が一枚戸を渡してきて、もう一回。うまくいった――と思ったら、やはりズレて吹き飛ばされてしまう。どうやら一斉に塞がないとズレるっぽいな。また坂橋が持ってくると、俺は貰ってから止める。
「待て! 三人でふさいだほうがよさそうだ」
「マジで?」
「ああ。どうにもズレちまうみたいで、一斉にやらないとダメみたいだ」
「どっからやりゃいいんだ」
「今俺が立ってるとこあたりが一番いい」
示すように、自分の足もとを指さす。やがて秋希も来て、同じことを教えておいた。三人で声を合わせながら、一斉に戸を放す。やや危ない部分もあったが、上手く嵌まってくれた。
俺は急いで身をかがめて、廊下の壁をつたいながら涼野の元へ寄る。塞いだ入り口部分を抜けて、身を低くしながら壁際へ。やはり風はこちらまで来るようで、俺も打ち付けられてしまう。だが幸いホースはすぐそこにあったので、それを掴んで涼野と自分の体へと巻き付ける。
「手ェ空いてる奴は引っ張ってくれ!」
固く結べたところで、俺は手を挙げる。向こうで秋希と坂橋、それに歩けないだろうに、杏子も手を貸してくれていた。
「行くよ、トオル!」
ああ、と返事をすると、早速引っ張り始める。塞いだ戸にぶつからないよう、俺は持ち手を短くしながらなるべくそちらを避ける。俺も風にあおられながら、しっかりと地面を足で握るよう踏みながら耐える。だが風の勢いは増すばかりで、ついに塞いでいた戸もわずかにズレて、結果的に吹き飛ばされてしまった。あと少しという所で、俺たちは教室へと吸いこまれそうになる。その分重さも増したのか、秋希たちも引っ張っていた手が緩まっていく。
「くそっ」
俺は片手を入り口のレールへと置いて、もがく。それでも力が足りないのか、ホースはなかなか引かれなかった。
「小暮……手ぇ貸せっ」
先頭で歯を食いしばりながら、坂橋は呼びかける。あと一人いれば、引っ張れるだろうに。
「お願い小暮君っ! 二人を死なせないで!」
「マサト!」
呼びかけには答えるように、小暮は顔を上げる。そして俺たちを交互に見やってからまた目を丸くした。
「バカヤロー! トオルと涼野を死なせる気か!」
「小暮ぇっ!」
腕も限界に達し、つい叫んでしまう。筋肉がけいれんして、地面を支える脚も水滴で滑ってしまう。雨を一身に受けるせいで、身体も冷えていく。さらに手もかじかんできて、上手く力が入らない。
不運はまだ続いた。手伝ってくれていた杏子が手を放してしまう。どうやらケガしていた足に力を入れてしまったようで、つい傷を抑えてしまう。お陰で均衡していた力が、風側へと流れていく。俺たちも教室へと入っていき、段々と窓へ近付いていく。
ふと突然、力が入らなくなった。ホースを持とうにも、手が上がらない。それどころか、目の前が霞んできた。ああ、こりゃちょっと力を使いすぎたな。この風に抵抗するのが、あまりにも馬鹿らしくなってきた。
何もかもがどうでもよくなってきた。その時分かった。これが死という奴なんだと。でも悪い気はしない。もっとひどい死に方を想像してたからな。一緒に縛った涼野には悪いが、俺はもう無理っぽい。本当に悪いな。
眼を閉じかけた時、ふと廊下側へ引っ張られて行くのが分かった。何とか目を開けていくと、段々と入り口の角が迫っている。もう少しで手が届く距離までやって来た。俺たちは助かるんだろうか。やがて目前まで来て俺は今一度力を振り絞り取っ手部分へ手をかける。そのまま転がるように、教室を抜ける。
すると先頭で、べそをかきながらロープを引っ張る小暮が見えた。その姿はあまりにもだらしがなく、鼻水は口まで垂れているし、目も頬も暗やみながら真っ赤だと分かった。やがて風の影響が少ない場所までやってきて、俺たちはその場に倒れ込む。
段々と意識も戻って来た。肺が風船のように膨らむくらい息を吸って、体中の血を出し切る勢いで息を吐く。ままならない呼吸は段々と戻っていき、わずかな気だるさだけ残る。
一方で秋希たちは、涼野の意識を回復させようと試みていた。といっても先ほどの杏子みたいなのではなく、頬を叩いたり状態を起こして背中を叩いたりなどだった。他にも濡れた手ぬぐいを絞って、額から流れる血を止めようともしていた。傍らで、小暮は四つん這いになりながら同じ言葉を何度もつぶやいていた。声こそ聞こえても、あまりにも早口で何と呟いているかは分からない。
ふと涼野が大きく息を吐くのが聞こえた。
「コトちゃん!」
振り返ると同時に、秋希は感銘の声を上げる。向いたときには、涼野の胸元へ飛び込んでいた。
「……あれ、どうなったの」
意識が戻っても、ボケはまだ治ってないらしい。涼野は俺たちを何度も見まわす。
「コトちゃん、気絶してたんだよ。飛んできたバットに頭をぶつけて」
言われて涼野は、額を撫でる。手についた僅かな血を眺めて、自分がさっきまでいた教室側へと振り向いた。風は尚も吹き荒れて、既に壁のように立ちふさがっていた。
「それで……わたしは……」
「トオルがね、助けようとしたんだけど……」秋希は涼野の胸元から離れて、鼻をすする。目に涙を浮かべているあたり、嬉しすぎて泣いてしまったのだろう。「風が強すぎて、二人ともあと少しで飛ばされそうだったんだよ」
「じゃあ一体誰が……」
涼野は俺のほうを見て、首をかしげる。俺は顎を小暮の方へ向けた。すると涼野は二度俺たちを交互に見やり、苦笑を浮かべる。
「まさか」
「本当だよ。小暮君のお陰なんだよ」
正確には全員が頑張っていただが、小暮が手を貸してくれたおかげで救出できたのは間違いないだろう。涼野はひざで歩きながら、小暮の元へ寄る。
「小暮くん、わたし達を助けてくれたんだね」
呼ばれて、小暮は呟きを止めて顔を上げる。目はわずかに振動しながら、呼吸も荒くなっていた。
「おれは……おれは……」
「大丈夫だよ。落ち着いて」涼野は小暮の両肩に手を置く。「誰だって、こんな状況をそう簡単に受け入れられないよ。わたしだって同じ。いざ自分が映画みたいな状況に置かれた時は、嬉しいなんて思わなかったし、不安で押しつぶされそうだった」
「涼野……」
心なしか、小暮が落ち着きを取り戻しつつある気がした。段々と呼吸が整っている。
「きっと秋希ちゃんやトオルくん、坂橋くんに杏子ちゃん、それに小暮くんがいなかったら、わたしも同じ事になってたよ」
「涼野……」
壊れたオモチャのように、もう一度その名を呼ぶ。
「だけど、みんなで力を合わせれば、この状況を乗り越えられる。今回ので分かったよね? ならきっと、皆無事にこの状況を抜けられる」
涼野は自身の篭った表情を浮かべて、重くしっかりと頷く。すると小暮は顔をくしゃくしゃにして、唸り声を上げると顔を伏せる。
「おれは……ただ信じたくなかったんだ。助かりたかったんだ。もう嫌だったんだ。どうしておれはこんな目に合わなくちゃいけないんだ。何も悪い事なんてしてないのに……」
「そうだね。わたしもそう思う」
「おれは……こんなとこで死にたくない。死ぬのは嫌だ……」
うん、と涼野も頷く。すると側へ坂橋と杏子がやって来る。
「んなのたりめぇだろ。こいつと仲直りしたばっかだってのに」
「こいつって何?」指されて坂橋は、頭をかく。「んまああたしだって、こんなトコで死ぬつもりないし」
「坂橋……桐原……」
再び顔を上げる小暮。既に目は赤くはれて、鼻水もだらしがないくらいに垂れていた。でも俺は、微笑ましく思う。
さらに脇へ、秋希がしゃがむ。
「だから、みんなでこの状況を乗り越えよう。私たちならきっとできるから」
「秋希……」
俺も一言付け足そうと、小暮の肩へ手を置く。すると奴はこちらを振り向いた。
「俺もうんざりしてきたし、いい加減このクソみたいな状況を終わらせようぜ」
「トオル……」
再び顔をくしゃくしゃにする小暮。すると顔を伏せながら、力の限り哭く。今はただ見守ってておこうと、全員顔を見合わせた。
誰だってこの状況を楽しんでいる奴なんか一人もいない。俺は自分の姿を見つめる。散々傷ついて、堪えるような寒さを身にまとわせて、俺だって本当は小暮のように、声を上げて喚きたい。でもそうしなかったのは、単純にカッコつけたかったからだ。それに幽霊だって怖いし、身の危険にさらされても誰か別の奴にやらせたいとすら思ったりもした。けれどその度に勝ったのは、全員で無事にこの状況から抜け出したいという気持ちだった。俺が今も頑張れるのは、この二つの感情があるからだろう。
もしこいつらの葬式に出るとしたら、お互い十秒前に飯を食べた事すら忘れるほど老いてからがいい。でなきゃ毎日学校まで死体を負ぶって、授業を受けさせたり下らない話に付き合わせてやる。何ならカラオケやボーリングにも付き合わせてやるからな。恋人だって候補を見つけて応援してやる。そんなアホなこと考えて、俺も幾分か気が晴れた。絶対に誰も死なせないと、改めて心に誓う。
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