第26話 生き延びた先で

 三階への怪談までは、教室三つ分ある。うち六回は、強風にあおられるだろう。戸が突き破られて、風が吹き抜けるからだ。なので一回一回を丁寧に突破しながら、入り口のあいだにある壁で小休止をはさみながら進んでいくしかない。

 風は弱まる気配がない。まるで巨大な扇風機でもあるかのように、一定の強さで吹いている。待っていても無駄に体力を使うだけだし、意を決して進む。


「よし、行くぞ!」


 早速声をかけて、中腰になりながら全員で一斉に移動する。ペースは深手を負っている杏子に合わせた。一番心配だった小暮も、涼野に押されるように進む。早速突風に差しかかる。ブルドーザーか何かに押されているような感覚だった。雨粒の打ち付ける音も、銃弾でも食らっているかのよう。それぞれ片足や肩を使い、壁によりかかりながら三人が這って歩けるスペースを作っていく。通り過ぎたのを確認して、俺たちも急いで風下へよける。

 一回目だというのに、既にくたくたになっていた。これでも元運動部なんだし、今も軽くではあるがトレーニングしてるんだけどな。同じ経歴の坂橋と秋希ですら、息が荒くなっていた。


「これあと何回やるんだよ」


 嫌そうに、坂橋が涙声になる。


「あと五回だ」


 そう教えてやると、坂橋はくそがぁ、と叫ぶ。誰も咎めなかったのは、全員が同じ心境だったからだろう。涼野も杏子と小暮を支えながらだったし、杏子だって怪我を負いながらも必死で進んでいた。小暮は……今は放っておこう。


「みんなの体力があるうちに進もう」


 秋希が手を叩いて促す。これまでもいろいろあったし、体力なんて使い果たした気もするけどな。それでもここから逃げのびるためにも、俺は鞭を打つように自らの体を鼓舞して立たせる。準備が整って、声で知らせてから二回目。今回は早く済んだ。それもあってか、三回目の突入までも早く、突破も直ぐに済ませられた。そして続く四回目、これも直ぐに済ませようと……焦ってしまった。

 涼野達三人が抜け出したのを確認して、俺はすぐにその場を離れようとした。同時に誰かが、うめき声を上げる。


「待って!」


 気が付いたときには、俺は進んでしまっていた。すると止まっていたのは秋希で、どうやら目に水滴が入ってしまったらしい。それにつられて、手の力も抜けてしまったようだ。

 俺自身も気を抜いて力が抜けたのだろう。すると一人で支えていた坂橋が、飛ばされそうになってしまう。幸い奴はすぐに諦めたように戸を放して、難を逃れた。それからすぐさま身をひるがえすように風下へと逃げてくる。だが秋希は、風で身動きが取れなくなってしまった。暴風は楔のように、秋希の体を壁へ押し付ける。


「秋希!」幸い、互いの手は届く距離にあった。俺は秋希の手を掴む。「誰か、支えろ!」


 すると坂橋と涼野、杏子までもが俺の体を支えてくれた。俺は力いっぱい腕を引き、秋希を引っ張る。腕がはち切れそうなほどだったが、ぎりぎりで救出に成功した。

 俺たちは息を切らしながら、それぞれ再び四つん這いになる。


「あ、ありがとうみんな」


 秋希は呼吸を整えながら感謝を述べる。


「いいって、さんざん助けられてきたし」代表するように、謝辞を受け入れる「それより」


 問題はあと一つ、どうやって抜けるかだ。階段まではすぐそこなのに、風を避ける方法がない。このまま進んでも、身動きが出来ずに終わるだけだ。

 ふと、風を抜けた先に消火栓ホースの入っているだろう扉が見えた。もしあれを使えれば、この状況を突破できるだろう。だがそのためには、誰かしらが向こうにたどり着かないといけない。


「あそこにホースがあるだろ? アレ使って何とかできそうだ」


 俺は全員に示すよう、そちらへ指を向ける。


「向こうまでどうやって渡るつもり!?」


 秋希が尋ねる。後ろに戻る事も出来ず、持っている者もない。だが壁のそばにいれば、吹き飛ばされる心配はない。後はもう自力でどうにかするしかないな。


「俺が先に行く」

「そんな、無茶だよトオル!」


 進もうとした俺を止めるように、秋希の手が肩に乗っかる。


「仕方がないだろ。こうするしかないんだ」


 俺はその手を振りほどいて、止められない内に暴風の中へ突っ込む。恐らく俺は、風の勢いを心のどこかで舐めていたんだろう。だが入った瞬間、風は体を壁に打ち付けんとしてくる。身動きはおろか、呼吸すらままならなかった。後で秋希たちが俺の名を叫び、手を伸ばそうとして来る。だが俺の体は既に風の中心部にあり、伸ばせば自分らも抑え込まれてしまう位置にいる。

 体が重たくなる理由はそれだけではない。まだ乾ききっていない服は重しと同時に、繊維の間にも水が滴っているために風を避けられない。そこへ付け足すように、冷えた風が体を急激に冷やす。

 進むべきじゃなかったと後悔するには、もう遅い。前へ進むにも後ろへ戻るにも、全く同じ距離。ここまで来たからには、進むしかない。俺は這いずらせるように腕を伸ばして、壁へしっかりとつける。そのまましっかりと摩擦を利用しながら、腕の力を振り絞って体を進める。筋肉が悲鳴を上げているのが分かる。だが不思議と痛みは感じなかった。いわゆるアドレナリンって奴だろう。こんな感覚、地方大会の準決勝以来だ。

 言葉にならない声を出しながら、あと一歩までという所までやってきた。だが腕を伸ばした先には風がなく、手は壁に吸着してくれなかった。ならばと必死の思いで身をひるがえして、今度は足を壁につける。そして同じような動きを、今度は足で行う。ここで元サッカー部の本領発揮だ。黄金の右足――は俺じゃないが、徹底的に鍛えた足腰を見せてやる。その思いで曲げた膝をめいいっぱい伸ばしていく。やがて体も風を避けられて、後は消火栓ホースの戸に手をかけてそのままひいてやると無事に抜け出せた。

 俺は急いでホースを取り出して、それを……どうやって向こうに届けるか。下手すると風で飛ばされるかもしれない。だが風下を上手く利用できれば。


「今からホースを渡すから、捕まえろよ!」


 声をかけると、秋希が頷いて前につく。ホースの先を壁と床のつなぎ目に合わせて、そのまま勢いよく押し出す。だがやはりうまく行かず、途中で風に押し付けられてしまう。ホースを引っ張って、もう一度。先ほどよりは距離が出た。この方法で行けるかもしれない。もう一回と残った力を振り絞るように投げると、ぎりぎり秋希の手が届いた。何度かかすめたものの、でっぱりを捕まられて引っこ抜く。すると坂橋が、ホースを貸すようにと手を伸ばす。


「秋希、杏子頼む。先行かせてやれ」

「分かった」


 秋希は坂橋の言葉が嬉しいのだろう。微笑んでいた。杏子も奴の脇腹を肘で軽く突く。じゃれ合いながらも、坂橋はホースを持って支える準備を整えていた。


「ほら、早く」


 秋希は頷いて、杏子の手を腰に回す。俺は幾分かホースを伸ばして、引く余裕を持たせておく。ある程度伸ばしきって、ホースの入っていた庫内へ足を引っかける。


「トオル、頼む!」


 秋希と杏子が綱を引く体制でホースを持つと、坂橋が手を挙げて促す。俺は頷いて、ホースを支える。二人が進んですぐ、風にやられる。それでも秋希は力を振り絞って、ホースを伝っていく。俺は出来る限り引いて、二人へ力添えを行う。腕の筋肉は心許ないが、足はまだ使える。出来る限り負荷を足腰へと向けるよう、力の入れ具合を調整しながら引く。

 うまく連携が取れたおかげで、無事に二人を救出で来た。俺は二人を出迎える。


「よくやったな、ふたりとも」


 とはいえ秋希もかなり力を振り絞ったのだろう、返事が出来ない程に息が切れていた。


「ホントありがと、アキ」


 杏子の呼びかけにも応じられなかった。ホントこいつは……。と感銘を受けている場合でない。次もまだあるんだからな。


「次は誰だ?」


 尋ねると、坂橋は涼野を見る。だが涼野は、縮こまる小暮へと目を向けた。


「小暮くん、先に行って」


 マジかよ。そんな気を遣わんでもいいのに。と思っても、小暮ももう限界なんだろう。頑張れば俺と秋希で引っ張れば、出来ない事はない。だが小暮はホースを掴むのを拒む。


「嫌だ、できない」

「小暮くん、頑張って! お願いだから!」

「できないっ! もう無理!」


 小暮はたまらず、泣きじゃくってしまった。涼野は何度もホースを持たせようと押し付けても、びくともしない。


「小暮ぇ! いつものクールさはどこ行ったんだよォ!」


 坂橋も叱咤するが、これでも動かない。


「小暮君っ! あと少しだから、頑張って!」

「マサトっ! あたしだって頑張れたんだから、早く」


 全員が叱咤しても尚、小暮は頑なにホースを握ってくれなかった。すると涼野が無理やり振り向かせると、頬へ平手打ちを浴びせる。暴風が吹き荒れている中、一瞬全ての音が聞こえなくなった気がした。そして涼野は、小暮の胸元を掴む。


「しっかりしろ小暮雅人!」


 らしくない口調に驚き、俺はつい口を開けてしまっていた。当の小暮も、思いもよらない相手から平手打ちを食らい、鳩が豆鉄砲に当たったような表情を浮かべる。まさかこの諺通りの表情を見る機会が訪れようとは、思ってもいなかった。

 しかし、それでも小暮は動けずにいた。そこへ坂橋が声をかける。


「涼野もういい! 先いけ!」

「でも……!」

「小暮はオレが連れてくから!」


 かくいう坂橋も、最初はべそをかいたりしていたというのに。これほど頼もしくなるとはな。杏子と仲直りをしたからか。現状はその方が早いだろう。


「涼野、早く!」


 これ以上待ってても体力を無駄に消費するだけ。ならさっさと涼野を救出したほうがいいだろう。涼野も諦めて、ホースを掴む。


「じゃあ、先行くからね」


 不機嫌そうな声色ながら、涼野は小暮を睨む。準備も整い、俺と秋希もホースを引っ張る準備を済ませた。

 さあ行くぞと思った矢先、突然吹き荒れていた風がやむ。耳鳴りの中、どこかでバッドのようなものが落ちる音がした。驚愕の中、俺はすぐに冷静さを取り戻す。


「おい、今の内に全員こっち来い!」


 これ以上の好機はない。俺は大きく手を振り促す。坂橋は二人に声をかけたものの、涼野はやはり小暮を気にかけていた。


「ほら、早く立って!」


 それでも立たない小暮に、ついに坂橋がキレる。


「だぁーもうウザってェ!」


 坂橋は乱雑に小暮の腕をつかみ、無理やり引っ張る。相手も抵抗がなかったからか、すんなりと引かれたままでいた。続いて涼野が逃げようと立つ。

 だがその時、さっきとは逆の方から風が吹いて来た。勢いはすぐに強くなり、坂橋と小暮は飛び込むようにこちらへ倒れ込んだ。


「涼野!」

「コトちゃん!」


 俺が叫んだと同時に、秋希もつい叫ぶ。涼野は一足遅く、教室側の壁に押し付けられる。同じくやって来たホースを掴もうと、立ち上がった時だった。廊下から黒い線がこちらへ向かってくる。ライトを照らしてみると、それは秋希がガイコツを撃退した時に使ったバットだった。

 危ない、と声をかけたのもつかの間。涼野がそちらを振り返ってしまい、吹き飛んだバットが額に当たる。乾いた心地のいい音がして、涼野は身体を風に預けてしまった。俺たちは身を低くしていたおかげで当たらなかったが、涼野は壁に体を預けたまま動かなくなってしまった。

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