第25話 風に追われて

 馬鹿カップルが仲直りをしたところで、俺たちは再び当面の問題に立ち向かわないといけない。ここまでの状況を振り返ると、一階は水没してもう使えない。服もずぶぬれ。しかも休みすぎたせいか、身体も段々冷えて来た。というのに服は乾いていない。このままでは体力を持っていかれるだけだろう。消耗戦は控えたい。

 だとすれば、この状況から逃げるために何ができるのか。俺たちをこの空間に閉じ込めてるのは誰か。どうすれば抜けられるのか。しかし話し合う時間も猶予も、既に無くなっている。


「それで、これからどうする」


 全員も似たような事を考えたんだろう。穏やかになった空気が、再び凍り付いたように重くなる。でも全員この空気を受け入れたように、各々頷いた。そこへ涼野が手を挙げる。


「トオルくんが会ったっていう女子生徒に話を聞くっていうのはどうかな」

「うん。私もその方がいいと思う」


 秋希も頷く。


「いるかは知らねぇけど」

「でもそれしかないでしょ、今出来る事って」


 坂橋、杏子も同調した。最後に小暮の方へ向くと、どうにも納得がいかない様子でいた。


「小暮、まだ信じてないのか」


 俺が問いかけると、小暮は一層眉間にしわを寄せる。


「……分かんねえよ。今おれ達がどういう状況にあってるのか」


 分からないはずもないだろう。ここまで散々怪奇現象に会っているんだから。ならばやはり、信じたくないだけか。


「いい加減、覚悟を決めたらどうだ」

「そんなの……」声を荒らげかけたが、小暮は勢いを弱める。「……とにかく、本当にその女子生徒がいるってんなら、好きにすればいい」


 納得はしてなくても、同意はしてくれた。それだけでいい。


「ありがとよ」


 小暮は返事を寄越さず、顔をそむける。これで構わない。


「でも問題は、その女子生徒がどこにいるか……だよね」


 涼野が話を戻す。


「トオル、今までどうやって会ってたの?」


 秋希は上半身をわずかに倒して尋ねる。


「ってもなぁ。どこにいるって感じじゃなかったし」

「何かきっかけとかは?」


 涼野も首をかしげてくる。


「さっきも会ったけど、ホントたまたまって感じ。けど、この状況について何か知ってそうなのは間違いない」


 そう答えると、涼野は顎に手を当てて思考を巡らせ始めた。


「何か言ってたの?」


 変わって秋希が質問を続ける。


「言葉じゃねえけど、実はそん時、嵐が弱まったんだよ」


 覚えがないようで、一同は一斉に首をかしげる。


「マジで? こっちはずっと暴風に晒されてたぜ」


 坂橋はわざとらしく抑揚をつけて来た。


「ああ。しかも外の様子もはっきりと見えた」

「で、何か言ってたの?」


 俺は尋ねて来た秋希の目をじっと見つめる。言うべきかどうか迷ってしまった。でも結果的には見捨てなかったんだし。


「……今なら逃げられるって」


 瞬間、場が固まる。おそらく全員が、そう言われたらきっと逃げるだろうと考えたに違いない。すき好んでこんな事に巻き込まれたわけじゃないからな。ただ、秋希なら俺と同じく首を横に振るだろう。そんな気がする。


「……一応聞くけど」恐る恐るといった感じで、涼野が俺を見つめる。「トオルくん、なんて答えたの」

「今俺はここにいるだろ? つまりそういうこった」


 そう告げると、全員が分かりやすいように胸をなで下ろす。こいつら、少しは俺に気を使ってもいいんだぞ。そう思っても口にはしなかった。


「その後、女子生徒は何か言ってた?」


「言おうとしたとこで、貯水槽が破裂したんだよ。んでそのままどっか行っちまった」


 ふうん、と涼野は視線を地面に落とす。しばらく沈黙してから、俺たちのまえに立つ。


「これは仮説なんだけど。もしその女子生徒が自殺した花菱葉子なら、会えそうな場所の見当がついたかも」

「まだそうだって決まったわけじゃないだろ。あの写真にはトオルが見たっていう女はいなかったし」


 反論する坂橋。ただしさっきまでの頼りない発言と違い、その指摘は的を射たものだ。


「確かに。お母さんも知らないって言ってたから」


 昨日秋希の家に上がった際、おばさんは間違いなくそう言っていた。卒業文集にも自殺した生徒に関する話はなかったし。しかし同時に、切り抜きには花菱葉子がおばさんと同年代だという確実な証拠が残っている。だとすれば、考えられるのは一つ。


「誰かが嘘ついてんのかもな」


 ぽつりとつぶやくと、途端に沈黙が流れる。雨はうるさく窓へと辺り、その度にがたがたと揺れる。少したって、涼野が秋希の前に座り込む。


「秋希ちゃん。本当に、秋希ちゃんのお母さんは何も知らないの?」


 涼野も同じ事を考えたんだろう。もしこの件で誰が嘘をついているのかとなれば、可能性が最も高いのがおばさんだった。聞けば高校の話はあまりしたがらないみたいだし、それはつまり隠し事があるからだろう。


「……分かんない」


 しょぼくれるように、秋希は顔を膝へうずめる。涼野も責めるつもりはないようで、頷いてから立ち上がり、再び先ほどまでの場所に立つ。


「じゃあひとまず誰が嘘ついてるかの是非は置いといて、トオルくんの会ったっていう女子生徒に会えそうな場所についてだけど」

「結局ドコなの?」


 杏子が眉間にしわを寄せて尋ねる。


「花菱葉子が亡くなった場所。そこに彼女の魂が強く結びついているかも」

「それって……」


 俺は切り抜きを取り出そうと、ポケットを探る。だが先ほど水浸しになったせいか、インクが滲み切って見えなくなった。


「きっと彼女が最後に見た景色は、屋上から見た街の風景のはず」だがその必要はなかった。涼野の頭にしっかりと入っていたからだ。「彼女の霊が強く憑いているのだとしたなら、間違いなく屋上だと思う」


 この手の話でよくあるのが、霊は死に場所に居憑くという。特に現世への心残りがある場合、魂はあの世へ向かえず現世と結びつかれる、って聞いたような。

 ふとそこへ、誰かが嘲笑する。小暮だった。


「涼野……お前ってさ、得意な話になると饒舌になるよな」


 すると涼野は頬をかっと赤らめて、肩を抱く。


「べ、別にそんなことないって」

「よく言うぜ。普段はしどろもどろなくせに」

「うっ……」


 涼野は反論し損ねた。確かに普段はゆったりしたり、あるいはぎこちない会話をしているが、得意分野の話では水を得た魚すら遅く感じるように口が回る。まあ単純にオタク気質なんだろう。


「でも、お前の話が本当なら、屋上へ行けってんだろ」


 小暮は立ち上がり、ぬれてしわしわになったシャツを伸ばす。


「小暮くん……」


 涼野は手を降ろして、感銘したように声を洩らす。


「別に全部信じた訳じゃねえって。でもそれ以外何もできないんだろ」


 でもツンケンはやめないってか。ったく素直じゃねぇな。一方で涼野は、その反応が嬉しかったんだろう。段々と表情が綻んでいく。


「よしっ」そこへまとめるように、秋希も勢いよく立ち上がる。「とにかくその女子生徒に会ってみよう! 何か分かれば、ここから逃げ――」


 その時だった。雷と同時に、教室の戸がひとりでに開く。唐突な出来事に、秋希は言葉を止めた。同時に全員が、窓側へと逃げるように後ずさる。開いた戸から入って来たのは、あの人体模型だった。

 先ほどと違い、俺たちに武器といえる物はない。持っているのは香り以外何の役にも立たないスプレー剤だけ。かなてこは水の中に沈んでるだろうし、マッチも濡れて使い物にならない。

 人体模型はよほど有利と見て、余裕綽々といったふうに遅い足取りで詰め寄ってくる。まるでこの状況を楽しんでいるようだった。


「おい、どうすんだよ!」


 叫ぶ坂橋。そうだ、外へ出ればいい。一階部分は浸水しているし、泳いで別の場所に渡れるはず。そう思い振り返ると、俺の考えは意味をなさなくなっていた。水面には無数のネズミの死骸が浮かんでおり、わずかに見える水の色も禍々しい色になっていた。熱を帯びているのか湯気を放ち、ぽこぽこと泡のようなものが浮かんでいく。明らかに飛び込める状況ではない。


「うぁ……あ……」


 ふと、小暮がその場へへたり込み、青ざめた顔つきでわなわなと震える。人体模型は間違いなく奴の方へと向いていた。すると秋希が意を決したように駆けると、俺らから少し離れた場所で止まり手を鳴らす。


「ほら、こっちに来てみなさい!」


 おーい、と叫んだりしながら挑発を行っていた。すると人体模型は秋希の方へ向き、少しずつ迫っていく。


「秋希ちゃん、危ない!」


 叫ぶ涼野。


「みんな、今の内に反対のドアから逃げて!」


 秋希のお陰で、反対側の入り口から抜け出せそうだった。けど俺たちを逃がした後で、どうやって逃げる気だ。いや、恐らくは自分を犠牲にするつもりなんだろうか。

 丁度奴が背中を向けていて、こちらの動きに気づいていないようだ。俺は雄たけびを上げて、勢いよくヤツの背中へタックルをかます。


「早く逃げろお前ら!」

「トオルは!?」


 秋希は壁をつたいながら、俺たちを避けるように歩く。


「いいから!」

「……分かった!」


 秋希は全員に声をかけて、逃げるよう指示――したところで、小暮が立ち上がると一目散に逃げだしていく。


「ちょっと、小暮くんっ!?」


 あわてて追いかけていく秋希に、他もついていく。一方で人体模型はタックルのおかげか、動きが鈍くなっていた。今の内にと俺も離れて、すぐに皆の元へと駆け出す。

 廊下に出てすぐ、小暮の甲高い叫び声が聞こえた。ライトを照らすと、廊下の奥にガイコツの模型が立ちはだかっていたのだ。アイツは秋希が倒したはず。


「早く、こっち!」


 秋希が叫んで、手を大きく振り回す。 だが教室からは人体模型が起きあがりつつあった。俺は戸を閉めて、両手でふさぐ。


「トオル、何やってるの!?」


 通りがかって、秋希が足をとめる。


「アイツがまた起き上がってんだよ! 誰か、反対側のドア塞げ!」

「分かった、私がやる!」


 秋希が頷いて、反対側の戸を塞ぐ。その間に他のヤツは逃げようとしていた。

 だが外で、雷が背後に落ちる。すると耳をつんざくような突風が吹きすさび、それらはやがて窓と戸を一斉にぶち破った。俺は戸と一緒に吹き飛ばされて、廊下の壁に背中を打ち付けてしまう。意識がもうろうとする中で、大勢の叫び声が聞こえた。皆は無事だろうか。

 意識を取り戻して、そちらを向く。幸い他のヤツは破片などから免れていた。というより、風が強すぎるあまり全て外へ出てしまったのだろう。ふと飛ばされて行く人体模型とガイコツも見えた。外へと投げ出されて行くのを見ようと頭を少し出すと、風の勢いで外へ引っ張られるようになってしまった。


「トオルっ! 大丈夫!?」


 秋希も戸を盾にして無事だったようだ。四つん這いになりながら、戸で身を守りながら尋ねてくる。


「ああ! あとこの風やべぇぞ! 姿勢を低くしとけよ!」

「分かってる!」


 奥にいる奴らは、身動きが取れないらしい。まるで壁に貼り付けられたかのようにいた。俺と秋希は風でうまく身を守りながら、そちらへと向かう。全員無事ではあったものの、このままここにいては身が持たない。


「ちっきしょう、マジでどうすんだよこれ!」


 坂橋は息を切らしながらも叫ぼうとする。


「とにかく、こいつを盾にして三階へと逃げんぞ!」俺は示すように、戸を軽く叩く。「坂橋、小暮、こいつを支えながら進むぞ!」

「ったく、しょうがねぇ!」


 愚痴をこぼしながらも、坂橋は戸の下部分を持つ。


「小暮! 来い!」


 だが肝心の小暮は、縮こまりながら首を横に振る。


「い、いやだ……」

「なにィ!?」

「もう嫌だぁ! 誰か助けてェ!」


 とてもじゃないが、それが小暮の口から発せられた言葉とは思えなかった。普段はややニヒルな面もある小暮。だがあまりにも過酷な状況に飲まれて、壊れてしまった。あまりにも意外な出来事に、つい戸を支える手に力が入らなくなりかけた。あわてて支え直す。


「……分かった、私がやる!」


 そこへ秋希が寄ってきて、真ん中を抑える。そうだ、慰めている時間はない。


「いいか、合図したら進むぞ!」


 戸を支える役の坂橋と秋希が頷く。


「杏子ちゃん、わたしにつかまってて」

「ごめん、コトっち」


 一方で涼野は、杏子を支えて歩く。それから小暮へと声をかけた。


「小暮くんっ! 行くよっ!」

「助けて……!」


 相変わらずな様子だが、涼野が手をかけると立ち上がるそぶりを見せた。これで何とか移動は出来るだろう。

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