第21話 人体模型と竜巻

「うわっ、何だよ!」


 あまりにも突然の出来事に、坂橋がつい声を荒らげる。緊張を走らせながら、向こうの出方を伺う。だが人体模型は、決してこちらに来ようとはしなかった。


「……ったく、誰だよあんなもん置いたの」


 何でもないと知り、安寧したのか小暮が呆れて首を横に振る。すると戸へと近付いていく。


「待って小暮くん! どうするつもり!?」


 慌てて涼野が止めようとしたが、小暮は振り返り嘲笑するだけだった。


「誰かがいたずらでもしてんだろ? どうせおれ達をビビらせるようにな」

「まだそうと決まったわけじゃないよ!」


 叫ぶような口調になる涼野。すると小暮は身体ごとこちらへと向き直して、深くため息をついた。


「あのな涼野。さっきも言ったけど、おれは下らない怪談なんか――」


 小暮が振り返ったその時、戸がひとりでに開いた。人体模型をよく見ると、その手には包丁を手にしていた。

 突然の出来事に、声が出せなかった。力を振り絞ろうにも、それを頭が拒否する。これは正常なんだとバイアスがかかり、何もしない事を良しとしようとしていた。


「小暮くん!!」


 涼野の張り裂けるような叫び声でやっと、自分が置かれている立場を再認識した。既に人体模型は包丁を振りかざし、小暮めがけて振り下ろされようとしていた。ひどくゆっくりな動作ではあるが、無防備な人間相手には十分な早さだった。


「何だ――」


 小暮が苛立ちながら振り向き直し、そこでようやく自分がこれからどういう目にあうのかを理解したらしい。声にならない声を出して、その場で固まる。どうやってアイツを救う。

 一瞬のうちに辺りを見舞わして、秋希の持っていたかなてこに目がいく。方法を考えている余裕はなかった。


「秋希!」


 叫ぶと同時に、俺の手は既に秋希の手からかなてこを引っこ抜いていた。


「痛っ、何!?」


 無理やりだったせいか、わずかにひっかいてしまったようだ。


「悪い!」謝罪は後にするとして、小暮を助けないと。「小暮、伏せてろ!」


 いうまでもなく、小暮は尻もちをついいていた。丁度いい。俺は力の限り振りかぶり、かなてこをぶん投げる。野球は専門外なので当たるかは分からなかったが、かなてこは人体模型の首へと直撃した。プラスチックが砕ける音が響き、人体模型がよろける。


「今だ! 皆逃げろ!」


 俺は手を大きく振って、全員に廊下へ出るよう促す。我に返った秋希が二度うなずいた。


「みんな早く!」


 涼野と坂橋が一番最初に、秋希は杏子の肩を持ちながら、俺は怯える小暮を立たせてすぐにその場を離れる。廊下を走り、しばらくしてから後ろを振り返る。折って来てないかを確認するためだ。

 だが奴は足が遅いにも拘らず、既に俺たちへと迫っていた。


「嘘、追って来てる!」


 秋希が怯える声を出しながら、前へと振り返ろうとした。だがそこで別の何かを見つけたのか、叫び声をあげる。


「どうした!」


 前へふり向くと、廊下の奥から無数の小さい影がうごめいているのが見えた。間違いない、ネズミ共だ。


「は、早くどうにかしないと!」


 あわてふためく涼野は、その場で素早く振り向きなおしたりしながら足踏みをする。廊下は一本道となっており、分かれ道はない。だが正面には教室があった。


「とにかく教室ん中入れ!」


 そこがどこの教室かは分からないが、逃げ場はそこしかない。全員を中に入れて、最後に俺が入り戸の鍵を閉める。反対側の入り口は既に秋希が閉めてくれていた。たどり着いたのは一年の教室らしい。

 ためいきをつき、安心したのもつかの間。ネズミたちが突撃するように、ネズミたちが一斉に戸を埋め尽くそうとしていた。まるで逆さに上る滝のようだった。


「もう何なのマジ! 勘弁して!」


 背後で杏子が後ずさりながら、悲鳴を上げる。同時に、窓が風でかたかたと揺れる。俺はこの状況に置いて、最も気を付けなければならない鉄則を忘れかけてしまった。


「杏子! 窓から離れろ!」

「……え?」

「駄目、アン!」


 俺はすぐさま近くにあった机をなぎ倒して、即席の壁を作る。その間秋希は杏子の手を引いて、俺が作った壁の影へと二人で身をひるがえす。他の三人もそれに倣い、机の影へ隠れた。

 最後に坂橋が来たのと同時に、風は窓を突き抜けた。耳をつんざくような風切り音と、入り口のほうへ打ち付けられるガラスの破片。俺たちは足を守るように引っ込めて、破片が当たらないように身を丸くした。目を細めながら顔をあげると、ガラスの破片が踊るかのように舞っていた。これではどこに破片が落ちて来てもおかしくはない。俺は隙を見計らい、何とか風に耐えていた机を足で引きながら寄せる。いくつかは耐えきれず、壁へと直撃していた。中には戸へ当たるものもあり、もしかすると戸が破られてしまうかもという心配もあった。とはいえいくらネズミでも、この突風が相手では無事では済まないだろう。

 何とか数個の机を使い、全員の頭上を守れるほどの机を引き寄せられた。後は全部風で飛ばされた。俺たちは命綱である机をしっかりと支えて耐える。


「ねぇ、これいつまで続くの!?」


 杏子が声を張り上げて尋ねる。それでも突風の方が音は上だったので、かすかに聴こえる程度だった。


「今ここから離れたら……!」


 涼野も叫ぶが、杏子よりも風にかき消されそうなほどに聞こえにくかった。頭上ではガラスの破片が、机の面を削るような音も聞こえる。この状況で出たところで、ガラス片に切り刻まれるだけだろう。

 近くで雷鳴が響く。雷雲がこちらに近づいて来たという事か。どうにかこの状況から抜け出したいが、その方法が何もない。ガラスは少しずつ細切れになっていき、小さいながらも凶暴さを増幅させていく。

 ふと、目の前を星の輝きに似た光が通り過ぎる。同じく通り過ぎていった机のパイプには、明らかな切り込み口を残していた。すんでのところで避けたようだが、もし当たってたら明らかに眼をやられていただろう。

 そのうちガラス片はこっち側にやってくる。その前に何とかしないと。そう思っても、身を守る術がない。破片はさらに細かくなっていく。今はまだ目で追えるし、低く構えていれば当たる事はない。だが小さくなれば、風の自由さにたゆたいかまいたちとなる。その片鱗はさっき見た。

 戸にはネズミがたかっているが、こいつらが女子陣だけを狙っているのは図書室へ行く際にはっきりとした。なら女子をどうにかできれば、多少は自由になれる。辺りを見回して、使えそうなものがないかを探す。

 使えるかは分からないが、掃除用具入れが目についた。三人で入るには少し狭いだろうが、これ以外に方法はない。まだガラス片も目で見て避けられるくらいには細かくなっていないし、机を盾にして進めるかも。


「秋希!」迷っている時間はない。俺は早速秋希に声をかける。「いい事思いついた!」

「え、何!?」


 聞こえなかったのではなく、案を聞くためだろう。こちらを見ながら尋ね返してくる。


「女子三人でロッカーに入れ! そうすりゃガラス片とネズミから身を守れる!」

「無茶だよ! 二人ならともかく、三人で入れっこないって!」

「そうだよトオル! あたしなんかケガしてるし!」


 付け足すように、杏子が叫ぶように答える。


「このままでいてもガラス片にやられるだけだろ! ネズミたちは俺らを襲わないし、ひとまずこの状況から抜け出せる!」

「でもトオルっ……!」

「大丈夫だって! 三人ともスリムなんだから入れる!」


 涼野は俺らの中で最も背が低いし、杏子も体型維持のためにストレッチをやっているらしい。秋希は、若干ガタイが良い気がしなくもないが、その気にさせてやらないと。

 女子はそれぞれロッカーと俺を交互に見やる。こうしている間にもガラス片はあちこちにぶつかって、さらに細かくなっていく。風も丁度俺たちのいる場所をを目にするように回っている。だが外へ出ようとすれば、ガラス片にやられてしまうだろう。だが今ならまだ破片は大きいし、目で見える。


「頼む! 早く!」

「……分かった。手伝って!」


 少しの間考えたのち、秋希は首を縦に振る。涼野、杏子も同じく頷いてくれた。


「よし! 坂橋、小暮、お前らも手伝え!」二人とも頷いて、俺の指示を待つ。「いいか。一二の三で立つぞ。そしたら机を盾にして、三人がロッカーに入るまでガラス片から守ってやれ!」

「本当に大丈夫なのか!?」


 小暮が心配そうな声を出す。


「それしかない! いいかやるぞ、全員準備しろ!」


 声をかけると、全員立ち上がる二歩手前あたりの姿勢になる。俺の声を待っている。責任重大だな。もしタイミングを間違えれば、全員ガラス片で切り刻まれるからだ。

 俺はガラス片の軌道を目で追いながら確認していく。さっきよりも細かくなっているが、まだ目で追える。ライトを照らしてやっても、まだそこまで細かいのはないらしい。

 軌道が段々と読めてくるようになり、わずかな隙も見つけられた。


「いいか行くぞ!」恐らくこの瞬間しかない。そう思い、声をかける。「一、二の……」


 三、と叫ぶと同時に、全員立ち上がる。坂橋と小暮は机を盾にするように持ち上げて、その背後にそれぞれ杏子と涼野が隠れる。俺も二人と平行になるように机を持ち上げて、秋希が背後にやってくる。風は思っていた以上に強く、支える腕が辛い。


「ヤバい、手がしびれて来た!」


 一番前にいた小暮が、べそをかくような声で叫ぶ。すると涼野が急いでロッカーの取っ手に手をかけて、ドアを開ける。


「大丈夫! 小暮くん隠れて!」


 涼野が掃除用具入れに入ると、小暮は机をその場に置きながら身をかがめて、俺の作った机の防壁へと逃げ帰る。防壁も崩れそうだったが、小暮が支えてくれたおかげで無事だった。

 続いて杏子も入り、坂橋も防壁へと隠れる。


「ほら秋希、行け!」

「うん、分かった!」


 背後で秋希がロッカーへと入る。二人でもかなりぎりぎりだったが、三人ともなればやはりかなりきついらしい。背後で女子たちが唸り声をあげていた。


「トオル! もういいよ!」


 秋希の声で、俺も机を置こうとした。だがその際一層強い風が吹き荒れて、俺は机ごと吹き飛ばされてしまう。勢いのあまり戸を突き破ってしまい、廊下へ放り出される。幸いそこまでの勢いではなかったので、壁に打ちつけられたりはしなかった。


「トオル!」

「危ねぇ!」


 教室から小暮と坂橋が叫ぶ。どうしたのかとそちらを向くと、ガラス片が迫っているのが見えた。

 瞬間、俺はその場で転ぶ。身をひるがえそうとした際、下にいたネズミに足を救われてしまったからだ。だがそのお陰で、ガラス片を避けられた。破片は壁に当たり、粉々に砕ける。ネズミたちも大半は風に吹き飛ばされてしまったようだ。しかし無事だったネズミたちは、教室の前で陰に隠れたままでいた。こいつら、女子が出てくるのを待っているのか。賢い奴らめ。


「くそ、どうするトオル!」


 小暮が尋ねる。一応は安全が確保できた女子陣だが、一方でまだ俺たち男衆は危機的状況だ。だがこれ以上何か出来る訳でもない。戸がこじ開けられたというのに、突風は教室を渦巻くように吹きすさんでいた。ガラス片ももう目視では確認しにくく、ライトを照らして反射して、ようやく確認できるほどだ。もしガラス片がいくつか外にあふれてくれればいいが、風は逆方向に回っていたため入り口を通過してしまう。そのせいで、小暮と坂橋は完全に八方ふさがりだった。

 そこへ雷鳴が鳴り、つい光った方を向く。すると、あの人体模型がこっちにやってきていた。


「……まずい」


 つい言葉を漏らしてしまう。戸は破られており、小暮や坂橋はもちろん、身動きができない女子陣もかなり危ない。


「どうした! なんかあったのかよ!」


 なさけない叫び声をあげる坂橋。


「あの人体模型がこっち来てる!」

「なにィ!?」

「嘘だろ!」


 それぞれ顔が青ざめていく。


「いいか二人とも! 何とかして女子を守れ! 人体模型は俺がひきつけるから!」


 そう叫ぶと、掃除用具入れの中からドアを叩く音が聞こえた。


「駄目だよトオルくん! 無茶だよ!」


 声は涼野のものだった。


「こうするしかねぇんだって!」


 俺は何か使えそうなものがないかを探す。ふと地面を転がっていく戸が見えた。これなら奴を倒すのに十分だろう。俺は何とか拾い上げて、持ち直す。戸の窓から奴の姿を見ながら、目掛けて突進する。やがて人体模型とぶつかると、勢い余って滑り込むように倒れてしまった。だが人体模型を下敷きに出来たようで、奴は持っていた包丁を落として動かなくなった。

 それに気が付いて、俺はすぐさま立ち上がると戸を持ち直して、急いで教室の方へ立てかけ直す。


「おいトオル、どうするつもりだ!」

「いいか二人とも! ”目”の中に居りゃ安全だからな!」

「だからお前はどうするんだって!」


 ひどく心配する小暮。嬉しいが、今はそんな事をしている場合じゃない。


「俺は何か使えそうなものがないか探してくる! その間、女子を守れよ!」


 人体模型がどうなったのかを眺めながら、俺は戸を掛け追える。かけ終えたと同時に、奴は立ち上がって来た。俺は再度カギ閉めろと、中にいる男子二人に声をかけてからその場を離れようとした。同時に奴をひきつけなければならない。

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