第20話 母の卒業文集
雨はいつ止むのだろうか。廊下を歩きつつ、窓の外を見ながら思う。土砂降りの勢いは尚も続いて、そろそろどこかで洪水でも起きるんじゃないかと心配でならない。屋上の貯水槽は雨水をためてくれるが、これほど降っていればその内溢れるか、破裂するんじゃないか。
俺たちは遅い歩みながら、着実に文芸部室へと近づいていた。俺はペンライトを手に先頭を行き、側面にバールを持った秋希と、ガイドを務める涼野。後は背後に杏子と小暮、坂橋といった感じだ。
足取りが遅いのは警戒もあるし、杏子のペースに合わせるというのもある。時折背後を見ながら、誰かがやってくるかを確認したりもする。誰もいないと知る度に安堵しながら、今度は前にと警戒。これを何度も繰り返す。
ここまで警戒している時に限って、何もやってこない。今だに怪奇現象を信じない坂橋や小暮に、最も手っ取り早く状況を知らせるいい方法だってのに。だからって願っている訳でもない。板挟みの感情ではあるが、誰かが死ぬくらいなら知らなくていいかもな。
結局何事もなく、文芸部室にたどり着いてしまった。それだけではなく、鍵も開いている。雨音以外は穏やかな状況に、涼野は一層警戒心を強めていた。
「……なんだか、ここまで案内されている気分だね」
俺はポケットに入っていた切り抜きを取り出す。あの女子生徒は、俺たちに何を望んでいるのだろうか。そもそも関係あるんだろうか。
「とにかく、お目当てのもんを探そうぜ」
「それなら分かるよ」涼野がぱたぱたと駆け足気味に、窓の陰にあった棚へと向かう。「ほら、ここに全部置いてあるよ」
俺たちもそちらへ近付いて、棚をペンライトで照らしてみる。そこにはずらりとファイルが並んであり、ビラには全て年度卒業生の数字と、卒業文集と大きく書かれていた。
「えっと、お母さんの代は……」秋希が指でファイルを追っていく。やがて一つのファイルを指で突いた。「あった、これだよ」
秋希はお目当てのファイルを引っこ抜いて、開いて見せた。それは今から三十年以上前のものだった。ファイルはすっかり色あせており、ページを開く度に埃とインクの染みのようなきつい臭いが漂う。そこまで不快さはないものの、杏子と坂橋はあまり得意ではないようで顔を背けていた。
「うぇっ、ヘンなにおい。アキ、よく大丈夫だね」
「杏子は結構気になっちゃうんだ」
秋希も多少は埃が鼻についたようで、顔の前を手で仰ぐ。ただ坂橋、杏子と違い、埃さえどいてくれればすぐにファイルをめくり始めた。
「うん、何かいかにも昭和って感じ」
「あー分かる」
どんなものも劣化し腐る。それらが発する匂いというのは、未来に生きる俺たちにとってはあまり好ましい物じゃない。まあそんなのはどうでもいいとして、おばさんの卒業文集はあるんだろうか。
「そんで、おばさんのはあんのか?」
「うん、ちょっと見てみる」
秋希はすらすらとページをめくっていく。俺もライトを照らさなきゃいけない都合上、内容も見えてしまう。
ぱっと確認した限りでは、誰も自殺した生徒に関して書いている素振りはなかった。誰もが高校時代の思い出だとか、将来についてとか、ありふれた内容しかない。ただし、今の高校生と違い、どの卒業文集も固い文体だった。古い言い回しだとか硬い言葉遣いだとか、そういったものを見ているだけでも楽しめる気がした。
「……あった、これだよ!」
秋希がページをめくる手を止めると、そこには『東峰詩織』の卒業文集が掲載されていた。おばさんの名前は『詩織』だったから、これで間違いない。秋希は俺たちが見やすいようにと、卒業文集をテーブルの上に開く。俺も全員に見えるようライトを照らして、確認する。
『 これからの人生
東峰 詩織
私がこの三年間で得た物は、人に自慢できるものばかりではありませんでした。多く傷つき、悲しみ、その度に憂鬱になり、苦痛に打ちひしがれていました。私は社会という荒波について、その大きさや強さを全く知らずにこの学校の敷居をまたぎました。ですが、それは決して誰かの為だった訳ではありません。全ては、自らの人生の為でした。
入学したての頃、私は右も左も分からず、世の何たるかすら知りもしない不心得者でした。故に学級内で私は、劣等性の烙印を押され続けました。余りにも出来損ないである私は、学友たちから憐みや愉悦感の為の踏み台にされる様な学園生活を送っていきました。勿論それは全て、私が不甲斐ないばかりに起きた、致し方ない事態であるとは承知していました。だからこそ、誰よりも努力し、たくましくなる。その意志を貫けたのは、ほかならぬ学友や身を粉にしてご指導いただいた教師の皆さまのお陰でもあります。この場を借りて、お世話になった皆様に謝辞を送ります。お陰で、こうして卒業証書授与の場に立つ事が出来ました。
これから先私は大学へと入り、父や恩師たちの教えに倣い、医学の道を進もうと思います。この学校に入学した際の自分では、到底不可能だったでしょう。ですが皆様の助けもあり、私は自らの進むべき道を選ぶことができます。そしていつか、世話になった以上の命を助けられるようになる事をここに誓い、卒業証書を拝戴させていただきます。』
他の人と比べると短い気もするが、これで終わりのようだ。しかし意外だな。おばさんって確かに暗い感じな部分もあるが、普段はうちの親に負けないくらいはつらつしてるのに。この文集に書かれているものが、本当におばさんの書いたものなのかと疑ってしまう。
「……なんだか、思ってたのと違うなぁ」
特に秋希は、よほど印象と違っていたようだ。げんなりとした様子で、肩を落とす。
「秋希もそう思うよな」
「うん。なんか全然楽しい事か、もっと前向きな事書いてるのかと思ったんだけど……」
「確かに前向きではあるけどな……何だかなぁ」
実はこの根暗な面こそが、おばさんの本当の性格だったりして。俺たちには気丈に振舞っているんだろうか。それも大人に求められるスキルってか。
「でもこれなら、お母さんが高校の頃の話をしてくれないのも納得できるよ」
「言われてみれば……」
昨日もそうだったが、おばさんが高校の頃の話をしたことは一度もない。俺たちが同じ学校に入り、こうして世話になる機会が出来たというのに。それに実はこの学校に通ってたという情報ですら、秋希から直接聞くまで知らなかったもんな。
「なんかこれかいてるお母さん、楽しそうに見えないもん」
「むしろ教師に無理やり書かされたって感じだな」
特に教師への感謝だとか。ラッパーがよく歌詞にする親や友人、恋人に感謝とは違い、言われて仕方なく書いたように見える。
「そんで、結局自殺した生徒との関連は見つかったのか?」
小暮が指摘しなければ、俺たちはおばさんの思い出巡りを終わらせられなかっただろう。俺たちが卒業文集を探していた理由は、自殺した生徒との関連を調べるためだ。
「うーん、ぱっと見特になさそうだけど。コトちゃんはどう思う?」
秋希は涼野の方へ顔を向ける。
「もし自殺の件が学校に不都合なら、ほのめかすだけでも先生がダメだしすると思うし」
「やっぱそうだよねー」
というより、自殺に関して誰も振れていない当たり、学校としては隠ぺいしたかったんだろうな。
「こじつけだけど『得た物は、自慢できるものじゃなかった』と、最後の『世話になった以上の命を』って部分は何となく関わってそうな気はするけど……」
確かに気になる言い回しではあるが、別段指摘するような部分じゃないと思うけどな。
うんうん唸っていると、秋希が何かに気づいたように声を上げる。どうやら俺たちが頭を使っている間、向こうはページをめくって何かないか探しているようだった。
「これ見て!」
秋希が見せて来たのは、卒業文集の最後の方にあった、当時の卒業生が並んでいる集合写真だった。色褪せてはいるものの、カラーフィルムとなっており、顔の判断は充分付けられそうだ。
「これ、当時の卒業生?」
杏子が顔をのぞかせながら尋ねる。
「そうみたい」
「やっぱ昭和って感じ。何か皆髪染めてないね」
むしろ現在でも、この学校で髪を染めているのは一握りだけって言うか。
「待って! もしかするとこの中に、トオルくんが見たっていう女子生徒がいるかも」
涼野の言葉で、俺はどうしてじぶんで閃かなかったのだろうと自責の念に捉われる。
「そうだな。自信満々に言ってたもんなトオル」
小暮が茶化すように付け加える。
「ああ。嘘じゃねえって」
「だったら教えてくれよ。見たのは誰なんだ?」
「そうだな……」
俺はライトでしっかりと照らして、集合写真を見つめる。
おばさんは比較的早く見つけられた。髪形は短めだが、顔つきは瓜二つかっていう程秋希に似ていたからだ。ここに化粧をいくつか施して、髪を伸ばせば秋希にしか見えないだろう。
問題はこの中に、俺が図書準備室で合った生徒がいるかどうか。だが写真のどこにも、あの女子生徒はいない。彼女は一目で目立つほどの美人だったが、写真に写っている女子生徒は良くも悪くもその辺で見かけるおばちゃんみたいな感じだった。やっぱり校則のせいか、化粧はおろか髪形もそんなに弄れなかったのだろうか。今はかなり緩めだってのに。
「どう? いる?」
秋希も顔を近づけてくる。俺はすぐに結果を示すように、首を横に振った。
「いや」
「そっか……」
残念そうな秋希は、顔を離していく。
「もしもその写真が卒業直前に撮られたものなら、多分亡くなった女子生徒は映ってないと思う」
涼野の言葉で、またしても合点がいく。学校としては自殺の一件を隠したいみたいだし、本来ならあるかもしれない遺影すら持ち込まれてないもんな。もしかして死んだ花菱葉子って、学校中からいじめられてたんだろうか。
「そういう時って、遺影でも映らせようとするんじゃねぇの?」
試しに自分の考えを涼野に伝えてみると、向こうも納得したように頷く。
「確かにそうだね。普通、この生徒も卒業させたいって遺影を持ち込む時もあるよね」
「で、考えたんだけどよ。花菱葉子って、いじめられてたんじゃねぇの?」
当時で自殺ってなると、よっぽど気に病むことがあったんだろう。でなきゃ普通は選ばない。他も俺の考えについて、否定できる材料がないらしく一斉に顔を伏せる。でなきゃここまで自殺を隠したり、徹底して存在しなかったように扱うはずないだろうし。
「もしそうなら、何だか可哀そうだね」
ぽつりと秋希が呟く。
「そうだな」
俺には経験のない出来事だし、どれほど傷つくかは想像もつかない。ただクラスメイトだけならともかく、学校中から嫌われるってのは相当堪えるだろう。俺でもきっと、似たような感情を持つだろう。
「悲しむのは良いけど、結局手詰まりだな」
沈んだ気持ちを吹き飛ばすか、あるいは構っていられないかというように小暮が割って入る。
「……そうだね。自殺した生徒に関して、何の情報もなかったし」
涼野も同意はしているようだ。俺も、想定していたよりも最悪な結果になってしまったのは認める。もしかすると情報があるか、そもそも卒業文集自体がないかのどっちかのほうがまだましだった。むしろ卒業文集を開いた事で、一層謎が深まったと言うか。
「これからどうしようか」
秋希の一言は、空気を一層沈ませた。本人も悪気はないのだろう。だが手掛かりが見つからないとなると、俺たちはこの状況に弄ばれるしかないと意味するようなものだ。
静まる空気の中、遠くで落雷が見えた。空のずっと向こう、多分この辺ではない。雷鳴も小さく、全員音に気付いて振り返るも、そのさまはゆっくりだった。
「雨、ひどくなりそうだね」
一層口調が重くなる秋希。そういやおばさんが入院していると聞いたのだから、この中で誰よりも早くこの状況を抜け出したいだろうに。
「秋希ちゃん。お母さんの事、心配だよね」
同じ事を考えていたようで、涼野は秋希の顔を見あげながら尋ねる。
「そっか。確かアキのお母さんって……」
杏子も思い出したように告げる。
「うん。さっき入院したって聞いて」
「なら早くこの学校から――」
杏子の言葉は途中で止まり、大きく口を開けながら固まってしまった。
「……アン? どうしたの?」
心配そうに顔を近づける秋希。すると杏子は正面を指さす。
「……あれ……」
その手はひどく震えていた。呂律も回らないのだろう、言葉も少ない。どうしたのかと振り返ると、戸の窓から人体模型がこちらをじっと見つめていた。
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