第19話 噂の張本人
教室まで戻ってくると、不思議なことが起こっていた。いたはずのネズミたちが、姿形もなく消え去っていたのだ。もしかして隠れてるのかと辺りをペンライトで照らしても、影すら見えない。
「アイツらどこ行ったんだ?」
小暮も同じ疑問を抱いたようで、辺りを見回す。
「さあな」
ふと部屋の方から、秋希が声をかけてきたのが聞こえた。俺はドアの方を向く。
「秋希?」
「トオル。外はどうなってるの?」
恐らく女子陣も、突然ネズミのかじる音が聞こえなくなって不気味に思ったのだろう。戸の小窓からも廊下は見えるだろうが、開けるまでには至らなかったようだ。陰に隠れている可能性を考えたに違いない。
「分かんねぇ。ネズミが全員消えた」
「開けても大丈夫?」
「多分」
自信はない。もしかすると、開けた瞬間潜り込んでくるかもしれない。秋希は慎重に慎重を重ねるよう、おもむろに戸を引いていく。普段ならがたがた鳴る戸のレールは、コロコロと静かにスライドする。終始警戒を怠らなかったが、最終的に戸を開ききってもネズミはやってこなかった。
「大丈夫みたいだな」
「みたいだね」
俺も秋希も、互いに安寧を抱くように胸をなで下ろす。中でも小暮は、一層安心したように深いため息をついた。
「全く、なにがどうなってるんだか」
「何でいきなりネズミが消えたし」
相槌をうつように、松葉杖にもたれかかりながら杏子が出て来た。
「分からない。どうして……?」
涼野はこの状況をあまりよく思っていないのか、眉間にしわを寄せていた。これが穏やかな事態ではないってのは、何となく分かる。突然目の前の問題が消えるってのは、大抵何かしらの窮地が待っている時だもんな。
「ネズミたちがいなくなったのはいつごろだ?」
俺は女子陣全員を見回して尋ねる。三人はそれぞれうんうん唸りながら思い出そうとして、涼野が最初に手を小さく上げる。
「確か……どこかからすごく大きな音が聞こえて、それから三分か五分くらい経った後だと思う」
「その音ってのは、こう――」俺は半分くらい力を入れて、戸を掌で押す。いきなりすぎたのか、女子陣が一斉に肩を上げた「こんな感じの音だったか?」
「ちょっと、おどかさないでよトオル」
特に杏子は、片方の松葉杖をを落としてしまった。
「ああ悪かったな。多分この方が早いと思って」
気恥ずかしく頭を乱雑に掻きながら、落ちた松葉杖を拾い杏子に返した。
「トオルくん達、何したの?」
涼野は顔をのぞかせてくる。同じ図書委員である手前、かなり後ろめたい気持ちになった。といっても音が俺達のせいだって知ってもらう以上、正直に答えたほうがいいだろう。
「ホラ、図書室は俺達がカギ閉めたろ? んでカギは職員室にあって、拾いに行けねぇし。だから、戸をぶち破ってさ」
「……まあ有事だからね、しょうがないよ」
その手の話に理解がある涼野は、渋い顔をしながらも納得してくれた。
「でもトオル、ちゃんと司書さんに謝っておいた方がいいよ。どうせ言い出しっぺなんだろうし」
「ご明察」流石秋希。こちらも話が早い。無論、小暮や坂橋に責任を擦り付けるつもりなんか毛ほどもなかったが。「んで話し戻すけど、俺たちが戸を破って五分くらいで、ネズミが消えたんだよな?」
「確かそうだったと思う」再び涼野が答える。「んーでも、かじる音が聞こえなくなったのはもう少し後だったかな」
戸をぶち破って五分くらいの時に、俺たちは何をしていたか。そうだ、確か他校の生徒と会ってたんだよな、俺。
「実はそん時な、俺、他校の生徒に会ったんだよ」
とりあえず話しておいた方がいいだろう。女性陣はかっと目を見開いてこちらへと注目した。一方で小暮と坂橋に至っては、頭を抱えていた。
「他校の? どこの学校?」
秋希がくびをかしげる。
「分かんねぇけど、その女はセーラー服で、髪はおかっぱみたいな感じだったな、こう、後ろが刈り上げられてて」
俺は後ろ髪と首の境目当たりに手のひらを向けて、切るように見せた。
「セーラー服? その子、中学生だったの?」
「いや、年は俺たちとそう変わんねぇよ」
すると秋希は女子たちに顔を向ける。
「ねえ、この辺で制服がセーラー服の高校ってあったっけ?」
「あたし知らないよ」
杏子はぶるぶると首を横に振る。
「うん、わたしも」
続いて涼野。
「坂橋君と小暮君は?」
聞かれて坂橋は、黙ったまま杏子以上に首をぶるぶると横に振る。
「時たま通学途中の電車で見たりするけど、学校近くまで来たらまず見かけないな」
小暮と同じく、俺も時々セーラー服の女子生徒を電車で見かける。といっても背丈からして中学生くらいだろう。高校生くらいとなると全く見ない。
「私もたまーになら見るけどね」
「そういえばトオルくん、その女の人の髪型って……」
秋希が話し終えてすぐ、涼野が言葉を入れてくる。
「ああ。後ろ髪がきっちり揃えられた感じのおかっぱで……」
改めて言葉にして、妙な感じになった。今時そんな髪形の女いるだろうか。いくら高偏差値校のうちでも、そんな感じの髪型をしている女子生徒はいない。
「なんかそのコ、センス古くない? 昭和って感じ」
嘲笑するように、杏子はくすくすと笑う。
「それだよ杏子ちゃん」
「へ?」
涼野に指されて、一瞬我を失う杏子。
「前にこの学校の資料で見たんだけど、昔はここもセーラー服だったんだよね」
「確かお母さんも『昔はセーラー服だった』って言ってたっけ」
そうか、おばさんもここの生徒だったんだよな。
「で、今のブレザーに変わったのがちょうど九十年代あたり。つまりトオルくんが見た女の人は……」
瞬間、寒気がした。全身の毛穴がこわばり、まるで小さな虫がはいずり回るような感覚。言葉は続かなくても、涼野が言わんとすることは分かっていた。
「じゃあ俺は、誰と話してたんだ……」
答えが分かっていながらも、尋ねたくなった。自分の感覚が正しいのか、それとも間違っているのか。誰も言葉にはしなかったが、女子三人の止まる呼吸から、同じものを想像しているのは分かった。
だがそれを吹き飛ばすかのように、小暮が大きな笑い声をあげる。俺たちはいっせいにそちらへと向いた。
「全く懲りないなお前達。こんな時に怪談なんか話して、ホント呑気だな」
「おい小暮。俺はマジで見たんだぞ」
「じゃあ教えてくれよトオル。その女子生徒は、どうやっていなくなったんだ? ちゃんと人間らしく、ドアから出たのか? それともまさか、目の前で消えたなんて言うんじゃないだろうな?」
反論したいが、出来る材料がなかった。小暮の言う通り、あの女子生徒はドアから部屋を出て行ったのではなく、どこからか突然現れて、突然消えたのだから。
「小暮くん、トオルくんの事も信じられないの?」
「だったらそんな幽霊だの怪奇現象だのとバカバカしい話はやめろよ。いい加減うんざりだ」
それは俺だって同じだ。この状況からさっさとおさらばして、早く飯食ってひとっ風呂入って、何も考えずさっさと寝たい。だがこれは夢の出来事ではないし、現実に起きているんだ。
「それはみんな同じだと思う」ふと秋希が返事を寄越してくる。「けどさ、今私たちが置かれている状況について、知らない事が多いでしょ? もしかするといろんな偶然が重なっただけで、小暮君の言う通り何でもないのかもしれない」
「だったら――」
「でも、目を背けてたら何も変わらないよ」小暮の言葉を遮って、秋希は強く言い放つ。「今はどんなことでもいい。少しでも自体が良くなる方法があるなら、私はやるよ。この状況から抜け出したいなら、まずは動かなくちゃ」
俺も同じような事を言ったんだが、その時にはまるで聞く耳を持ってくれなかった。普段からおちゃらけてたりするからだろうか。でも秋希の口から発せられると、その気になろうと思える。俺とは違い、普段からちゃんとしているからだろう。だからこそ小暮も、渋い顔をした後で頷く。
「おれはただ、少しでも早くここから抜け出したいだけだ」
「うん、分かってる」
「別に協力しないとは言ってない。だが、頼むからバカな話はやめてくれ」
それでも、信じない者は信じない。どうあっても、怪奇現象という点は否定したいようだ。
「……分かった」
これを進歩と言っていいのかは分からないが、秋希はひとまず頷いておくことにしたようだ。静まり返る場だが、それを破ったのは涼野だった。
「そうだ。トオルくん達、図書室で何か見つけたの?」
忘れかけたが、俺たちが図書室へ向かったのは、自殺した生徒に関する手がかりを探すためだった。目的は果たしているので、結果を三人に見せないとな。
「ほら、これだ」
俺はポケットから、折りたたんだ切り抜きを取り出して見せる。俺ではなくて件の女子生徒が見つけた、という話はしないでおいた。小暮と秋希が話し合った直後に、この話はマズいからな。
切り抜き秋希が受け取る。暗やみでも見えるようにペンライトも渡そうとすると、それは涼野が受け取った。二人のあいだから、杏子が顔をのぞかせる。三人ともブツブツと内容を呟いていた。涼野と杏子はなるほどと言って記事から目を離したが、秋希は食い入るように見続ける。
「待ってコトちゃん」
丁度涼野がライトを俺に渡そうとした時、秋希が声をかける。
「どうしたの?」
「ちょっとライト貸して」
うん、とすぐに頷いて、涼野は秋希へライトを渡した。それから俺たちへ、切り抜きの面を見せる。
「ここ見て」
秋希が指さしたのは、記事があった年月の部分だった。今からちょうど三十年近く前の話だってのは、俺もさっき確認したが。
「どうかしたのか?」
「この亡くなった花菱葉子って人、お母さんと同級生だよ」
「まさか……」
おばさんの年については、エチケットというのもあり聞いてはいない。ただ四十後半だとは秋希から聞いていたが。
「もしかして自殺した生徒について何か知ってるの!?」
声を荒くして、涼野が尋ねる。
「でも昨日訪ねた時は、何も知らないって言ってたけど」
俺もそれは聞いた。となると、おばさんは嘘をついたのだろうか。
「もしかして、何か隠しているとか」
できればそう思いたくないが、事態が事態なだけに疑わざるを得ない。
「だとしてもどうする? ここから出られないなら話を聞けないだろうし」
なあ、と秋希へ同意を求めたが、向こうは返事を寄越さずに顔を伏せていた。どうしたのかと見つめていると、間を置いてから顔をあげる。
「……卒業文集」
「何?」
返事の代わりに、アイデアを寄越してきた。
「卒業文集だよ。確か文芸部の部室に、参考の為っておかれてたはず」
「そういえば、わたしも見た事ある。前の課題で、文芸部の人に見せてもらったんだった」
涼野も思い出したかのように付け加える。文芸部かー。あの辺知り合いいなかったな確か。いや、図書委員だから接点こそあるし、文芸部員も皆いいやつなんだけどな。なんつーのか、あんま親睦は深くなかったな。
「何で卒業文集なんかを?」
小暮が不服そうに、腕を組んで尋ねる。
「もしかすると、誰かが死んだ生徒の事について言及してるかもしれないからだよ」
涼野が解説したものの、小暮は首を横に振った。
「それが何だってんだ」
「できればトオル君があったって言う女子生徒から話を聞きたいけど、多分会えないと思う。探しに行こうにも、こんな状況じゃあ危ないし。それに、会えるかどうかだって分からないから」
涼野はこちらへ顔を向ける。涼野は俺が会った女子生徒が、幽霊だと考えているんだろう。あの部屋で坂橋と小暮に気づかれず、音もなく消えたとあれば、幽霊であると思ったほうが納得いくし。
「うん。だから少しでも手掛かりになるような事が書いてあるかもしれないから、卒業文集を探しに行かないと」
「そうだね。もしかすると、お母さんが何か書いてるかもしれないし」
自殺した女子生徒本人の卒業文集は、恐らくない。そういうのは卒業の三カ月くらい前に書くものだし。第一彼女が死んだ年とおばさんの学年から考えて、卒業なんてまだ頭の中にない学年だったはず。
おばさんがその女子生徒の事を知っていれば、何かしら書いてあるかもしれない。今の俺たちには、その限りない確率を信じるしかなさそうだ。
「んで、文芸部室に行くのか?」
すると小暮が待ったをかけるように尋ねる。
「そのつもりだけど……」
秋希は段々と語気を弱くしながら返事を寄越す。
「別に構わないが、秋希の母親のはちゃんとあるのか? いくら卒業文集を置いてるのだとしても、古いのは捨てられてるかもしれないだろ」
確かにな。学校も、よほど有名人になった生徒でもない限り、卒業文集をいつまでも残すわけもないだろう。だがそれを知る方法は一つ。
「でも、行かなきゃ分かんねぇだろ」
それ以外に方法はない。小暮も分かってくれたのだろう。一瞬そっぽを向きつつも、頷いてくれた。これで俺たちが次に向かう場所が決まった。
その前に俺は、廊下にネズミたちが来てないかを確かめる。あちこちをライトで照らしてみたが、姿はない。安全を確認して、全員に来いと手で合図をする。そのまま俺たちは、文芸部室のある一階へと向かう。
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