第18話 図書室の少女

 外の様子はほとんど変わっていない。雨風は窓を打ち付けているし、勢いも変化なし。まるで時が止まっているようだ。

 足取りは決して順調ではない。あのガイコツみたいなのと出くわしたら、なすすべがないからだ。せいぜい野郎三人が、勢いよくタックルをかませば多少打開はできるかもしれない。だが身を危険にさらすくらいなら、歩みを遅くして警戒していったほうが安全だ。

 不思議に思ったのは、小暮も坂橋も、急げだの早くしようだのと言わなかった点か。むしろ小暮に至っては、俺以上に警戒しているのか、やけに腰が低い。怖いんだろうか。だからって俺にも、そんな野暮を聞く余裕はない。出来る限り音を立てないよう、ひっそりと歩く。普段やらないような動きってのは、かなり労力を使うからな。

 普段ならもうとっくについていただろう図書室までの道も、まだ半分にすら到達していない。暗やみの奥に何が潜んでるか分からないし、他の足音みたいなので判別するって手も難しい。降りしきる雨は、こういう時に気のまぎれになるどころか、むしろ帰って邪魔だった。突然背後を取られたとしても、きっと気が付かないだろうな。それもあり、俺は時々後ろを振り返ってみる。その度に二人もつられて振り返り、何もなければ眉間にしわを寄せる。言葉で聞けば早いだろうに、二人は何も言って来ない。俺の意図を理解してくれているのか、あるいはビビって声も出せないのか。そうじゃなくても、静かにしてくれているのは有り難い。

 警戒も杞憂に終わり、無事に図書室までたどり着いた。いつも以上に気を使ったせいか、既にくたくただ。出来れば休みたいところだが、その暇はない。

 早速中に入ろうと、戸に手をかける。だが鍵がかかっており、戸は固く閉ざされていた。


「……鍵かかってんのかよ」


 呆れたように、坂橋が声をかける。


「そうだな。かけたのは……」


 図書委員である俺達。もしこうなると分かっていたなら、鍵を開けておくべきだったか。いや、後の祭りってやつか。


「鍵はどこにあんだ?」

「職員室……」


 さらに気が滅入ると知っても、そう伝えざるを得なかった。つまり、俺の案はここで潰えるってか。


「引き返すしかないな」


 小暮が肩をすくめる。いや、ここで諦めるべきか。せっかく見えた脱出の糸口なのに、戸に鍵がかかっているだけで諦めるのはもったいない。


「いや。野郎が三人もいるんだ。必死で押せばこじ開けられるかもな」

「本気か、トオル」


 小暮は疑るようなまなざしを向けてくる。


「ここまで来たんだし、やるしかないだろ」

「お前まさか、涼野の話信じてるんじゃないだろうな」

「むしろ外れててほしいと思ってる。どっかのバカが俺たちを閉じ込めて楽しんでるってな」


 だが、これまでの過程からして、怪奇現象という方が腑に落ちる場面が多い。ここまで舞台やらをセッティングするなんて、よほど腕のいいマジシャンでもやすやすとは出来ない。何なら俺達がドッキリにかけられているのだとしても、杏子が大けがをした時点で止めるはず。ならば、やはり怪奇現象に巻き込まれたと考えるのが妥当だろう。


「坂橋、お前もまさか信じてないよな?」

「んなの……分かんねぇよ」

「秋希に殴られて弱腰になったのか。言っとくがあれは自業自得だぞ」

「るせぇな、分かってるよ」

「お前らじゃれ合いはいいから、やるかやらねぇのかはっきりしろよ」


 ここで言い合いをするのは無駄だし、ガイコツみたいなのを呼び寄せる原因にもなりかねない。二人も、いろいろ考えてはいるのだろう。だが俺の言葉に従うように頷く。

 俺は出来る限り戸から離れて、勢いが付けられないかを試す。二人も俺の横に並んで、こちらを見つめる。


「いいか? 一、二、三、で突っ込むぞ」

「それはいいけど、何か言われたらトオルがやれって言ったってチクるからな」


 茶化し半分に小暮が肩を軽く叩いて来る。


「分かってる。そん時は司書さんに土下座でもしてやらぁ」


 その時は、俺たちがこの状況から逃げられたって意味でもあるからない。俺は二人に声をかけて、合図を出す。一、二、三、で同時に駆け出し、肩を突き出して渾身のタックルをかます。意外にもドアは固く、そう簡単に倒れてくれない。もう一回と合図を出して、再度突撃。すると衝撃の後にふわりと浮いた感覚がやってきて、すぐに地面へと投げ出される。顔をあげると、図書室に入りこめられたそうだ。だがその喜びよりも、身体の痛みの方が上回った。


「くっそ、いってぇ」

「ったくよぉ」


 他二人も受け身をミスったのか、身体の一部分を抑えていた。


「お前ら、無事か」

「ああ。でも」小暮が上体を起こしながら、深く息を吐く。「次鍵のかかった戸を開ける時は、ちゃんと鍵を使ったほうがいいな」

「確かに」


 俺は脇腹の痛みをこらえて立ち上がる。まあ杏子の怪我に比べたら、これくらい怪我でも何でもねぇしな。他二人もそこまでの負傷ではないようで、立ち上がってこれた。


「んでどうすんだよ。図書室なら委員会のお前らが詳しいんだろ」


 坂橋が傷む部分をほぐすように動かしながら尋ねる。


「そうだな。おれは新聞のコーナーを見てみるから、トオルは準備室の方を頼む」

「ああ」

「なあ、歴史のコーナーにはねぇの?」


 こいつバカだろ。と思いながら言い出しっぺである坂橋へと目を向ける。小暮も同じように、細い目で奴を睨んでいた。


「坂橋。歴史っつってもな、ジャンル的には日本史や世界史なんだよ。ウチの学校の歴史なんか取り扱ってないぞ」

「うっせぇな。分かってたって」


 情けない知ったかぶりをする坂橋。こいつやっぱもう一回殴った方がいいんじゃないか。

 と言ってもあまりやりたくないし、秋希みたいに頭に血がのぼる前に、俺は準備室へと足を向けた。準備室にはこれから出すかもしれない本や、痛んだりしている本の修繕の為に控えられた本が並んでいる。図書委員である俺達は、司書さんから閲覧自体は許可されている。当然、持ち出しなどは出来ない。

 その中からこの学校の過去に関する本があるかもしれない。あるいは記事を切り取って作ったスクラップブックか何か。ウチの学校は格式高いトコだから、そういったものを残してると思うんだけどな。本校から排出された有名人だとかに関する記事とか、ここの生徒が成し遂げた偉業に関する記事とか。

 涼野も言っていたが、中でも自殺ってのは都合が悪い話でもある。そもそも図書委員である俺が、この学校で起きた自殺に関して何も知らないんだ。やはり無いと考えるのが妥当か。

 棚を端から端まで眺めて、机の引き出しなども調べてみた。すると机の引き出しから、鍵のかかった箱が出て来た。持ち上げてみると、それなりには重い。だが中を揺らすと、金属の音などは聞こえてこない。まるでファイルか何かが入っているように、紙の擦れるような音だけだ。

 しかし開けるためには、鍵が必要らしい。箱を閉めているのは、古く錆びた南京錠のようなものだったからだ。いやよく見ると、閉めている部分が錆び切ってぼろぼろになっている。もしかするとこじ開けられるかもしれないな。俺はベルトに挟んだかなてこを持って、箱と錠前の間にかなてこをねじ込む。カーブのところまで入ったうえ、丁度よくこじ開けられそうな位置に入ってくれた。俺は力を振り絞って、てこの原理を上手く使いながら南京錠のつなぎ目を曲げようとする。さび付いていたおかげか、思ってた以上にあっさりと開いてしまった。拍子抜けしたのもつかの間、かなてこをベルトにはさみなおして箱を開ける。

 音の通り、箱にはいくつかのファイル――のような、題名のない冊子が三冊あった。一冊を取って開くと、思ってた通り新聞記事を切り取ったスクラップブックになっていた。自殺に関する記事がないかと、いくつかページをめくってみる。

 だが殆どは高校野球だとかに関する話題ばかりで、他にはたまに活躍した部に関する記事だとかしかない。一冊目はそれで終わり、二冊目も同じような内容しかなかった。三冊目も覗いてみたが、これに関しては途中までしか作られていない。ちょうどウチの学校が甲子園常連校ではなくなった時代だろう。現代でも、ウチの野球部は甲子園出場手前までしか行けてない場合が殆どだ。今年は確か、地区大会の準決勝手前で負けたんだっけか。以前の年でも、だいたいそんな戦績で終わっている。

 で、肝心の自殺に関する話題だが、やはり学校側からすれば都合が悪かったんだろう。三冊のスクラップブックには、一つとしてネガティブな記事は張られていなかった。アテは外れたってワケだ。俺はとりあえず、鍵を開けたままにして箱を戻す。もし司書さんに何か言われたら、すっとぼけておくか。どうせどっかの誰かが盗みに入ったって思うだろう。本ではなくて、謎の箱をこじ開けたんだから。


「何かお探し?」


 突然、背後から聞き覚えのない女の声が聞こえた。驚くあまり後ずさりながら振り返ると、そこには他校の制服らしきものを来ていた女子生徒が立っていた。今時珍しいセーラー服姿に、古臭いおかっぱヘアー。顔つきにも化粧っ気はなく、顔に数個ニキビができていた。しかしぱっちりとした二重にしゅっとした鼻、薄く整った唇からかなりの美形であるのは分かった。


「だっ……誰だよお前っ」


 女子生徒は質問に答えなかった。その代わりに振り返って、本棚の中から一冊を取って俺に差し出してくる。


「もしかして、これを探してるの?」


 その本は古代ヨーロッパに関する辞典であった。控えに入っているのは、ひどくぼろぼろで修繕不可だったからだ。それに図書室の方に、誤訳の訂正や新訳の入った方があるため、そちらの方が役に立つ。

 だがそれ以前に、何故この女は俺に見当違いの本を渡してきたのか。


「いや、全然違うんだけど」

「そう? この本でしょ」


 いやだから、勝手に決めつけんなって。そう心の中で思いながら、両掌を正面に構える。


「手伝ってくれるのはありがたいんだけどさ、俺はその、新聞の記事みたいなのを探してるんだよ」

「だから、これ」


 この女、人の話を聞いてないのか。腹は立ったものの、八つ当たりする訳にもいかないしな。そもそもこの女は誰なんだよ。とりあえず受け取ってくれたら、自己紹介ぐらいしてくれるんだろうか。そう思って、黙って受け取る。


「んで、あんた一体誰なんだ? 何で他校の生徒が勝手に入って来てんだよ」

「そういう君だって、鍵のかかってた図書室に無断で入ってるじゃない」

「俺は図書委員だからいいんだよ」


 言って、ギャクになってると気づいた俺は出かけた笑いをこらえる。だが女子生徒はくすくすと口元に手のひらを当てて、上品に笑う。


「もしかして狙ってやった?」

「いや、偶然だって」くそ、ちょっと場が乱れちまったな。「んで、結局のトコ誰?」

「雷が鳴りはじめたら分かるよ」

「は?」


 何詩的な台詞吐いてんだか。


「とにかく、本を開いてみて」


 女子生徒は笑顔で、手を差し向ける。受け取った手前、読むしかないよな。こういう時、つい律儀になるのは親父の性格だろう。親父って、使わない様なものを受け取っても無理くり使おうとするもんな。その結果、俺は多くのおさがりを貰ってるんだが。

 試しに開いてみると、埃っぽい紙の匂いがただよってくる。鼻がむずがゆくなったものの、顔をゆがませながら堪えるとなくなっていった。さてさて一体何を見ればいいのだろうか。

 この本に書かれている内容は、新しい方の文献と比べると筆者の癖が強いな。新しい方は教師が話すように、優し気な口調で語られる。だがこっちの本は、体言止めを多用したり、時折筆者の主観が混ざっている。ぱらぱらとめくりながら見流しただけでも、かなり独善的な語り方だ。中には、今では間違いだと指摘される様な話も堂々と書いてるし。こりゃあぼろくなくても、処分確定だろうな。

 なんて読んでいると、ふとページ抜けがある部分に気が付いた。使われているうちに抜けたのか。だがページのめくれ目を見る限り、抜かれたような跡はない。もしそうなっていれば、多少開きが良くなる。

 よく見ると、一ページだけ妙に紙が分厚い気がした。まるでページがくっついているような。試しに爪を使って、紙の中心部あたりを擦ってみる。するとわずかに裂け目が出来て、その先をライトで照らすと文字が続いていた。どうやら、誰かが意図的にくっつけたらしい。こじ開けると、ふと紙切れのようなものが落ちる。本を机に置いて、落ちた紙切れを拾ってみると、そこにはウチの学校で女子生徒が自殺したという見出しの記事があった。

 事件が起きたのは三十年くらい前。被害者は当時ここの生徒だった『花菱葉子』という女子生徒であり、屋上から飛び降りて亡くなったそうだ。それ以外に詳しい事は何も書いておらず、インタビューを受けた学校側の無関心な定型文くらいしかない。後はお決まりの「警察が捜査を続けている」で、この記事は終わっていた。

 記事になったのは、ウチが名門校だからだろう。当時なら、名門校から自殺者が出たというのは、新聞記者にとってこれ以上ない特ダネだったに違いない。ただこの切り抜きを見るに、めぼしい情報はなかったようだが。

 短く小さい切り抜きではあったが、一体誰がこれをやったのだろうか。そもそもなぜそれを他校の生徒が知っていたのか。


「なあ、なんで――」


 顔をあげた瞬間、俺はわが目を疑った。いたはずの女子生徒が、影も形もなくなっていたからだ。一体なにが起きたんだ。俺は幻覚でも見ていたのか。

 そこへいきなり、背後から肩を掴まれる。驚愕のあまり、ついこしをぬかしてしまった。だがそこにいたのは、小暮と坂橋だった。


「……トオル、幽霊と勘違いしたとか言うなよ」


 呆れた様子で、小暮が首を横に振る。


「いや、さっきまでここに他校の女子生徒が……」


 と言いかけたところで、小暮がもういいと手で制止してきた。


「一体どうしたんだ? 一分くらい棒立ちしてて、声かけてもゼンゼン反応なかったぞ」

「マジで?」


 なあ、と小暮は坂橋へ首を向ける。


「石になったみたいに動かなかったぜ、トオル」

「だって、マジでいたんだよさっきまで。ここに他の女子生徒が……」

「トオル。オレたちをびびらせるつもりなら意味ないぞ。嘘にしてもバカバカしい」

「いたんだって。ほらこれ見ろよ」


 俺は立ち上がって、持っていた記事の切り抜きを見せる。二人は顔を近づけてみると、やがてうんうんと頷く。


「これか? おまえ達が言ってた『自殺した生徒』ってのは」

「多分間違いないと思う」

「そんで、この女子生徒が化けて出て来てるとでも?」

「そりゃまだ分かんねぇけど、関係なくはないはず」


 だが小暮は、ため息をついた。


「もう好きにしろよ。勝手に幽霊の仕業だと思ってりゃいい」


 同意するように、背後で坂橋も頷いた。


「待てって。この切り抜きはな、この本に挟まってたんだよ。これは俺が見つけたんじゃなくて、他校の女子生徒が見つけてくれたんだって」

「一応聞いとくけど、その他校の生徒ってのはどんな感じだった?」


 信用してないのだろう、小暮は頭に手を当てて尋ねてくる。


「服装はセーラー服で、おかっぱって感じの髪型で――」

「トオルよぉ。トイレの花子さんは小学校で卒業したほうがいいぞ?」

「トイレの花子さんはセーラー服じゃないだろ」

「あーはいはい。そういう話は涼野にしてやれよ」


 完全に話を聞く気がないようで、小暮は振り返ると坂橋を連れて立ち去ろうとする。本当の話だったってのに。

 とはいえ目的は完全に果たした。切り抜きを涼野に見せれば、何か閃くかもな。にしては情報が少なすぎるし、だめかもしれない。いや、そういうのはよそう。俺は落ちないようにブレザーの胸ポケットに切り抜きをしっかりと仕舞い込んで、先に廊下で待っていた小暮と坂橋と合流した。

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