第16話 つかの間の平穏
悲惨な結果を考えつつ、再び壁の方にもたれかかるように座る。ふとペンライトとアルコールランプを交互に見た。いざという時に電池切れは勘弁してほしいし、ひとまずはアルコールランプで代用しておくか。
そこでもう一つ、いいことを思いついた。俺はひとまずマッチ棒がないかと、机を探してみる。教師側の机に、ちょうど十本程度あるものを見つけた。
「トオル、どうするの?」
秋希が尋ねてきた。
「明かりをつけたくてな」
俺はペンライトをかざして、意図を指す。秋希は汲んでくれたようで、頷いた。
「手伝おうか?」
「いや、休んでていい」
いつもなら否定して、手伝おうとして来るだろう。だが秋希も疲れているようで、しょぼくれた様子でと頷いた。ガイコツを撃退するために走ったり、杏子の怪我を縫合したり、坂橋をぶん殴ったり、こいつもいろいろ忙しかったもんな。
とりあえず使えそうなアルコールランプに火をつけておく。うち六つを残して、他は部屋全体を照らせるように配置しておく。数が少ないので、せいぜい足元がわずかに明るくなっただけだが。それでもペンライトの節約にはなりそうだ。
次にビーカーを六つ用意する。後は……と、まず水が出るかを確認しておく。電気は使えないが、はたしてどうか……と、机の横にある流し台の蛇口をひねる。つー、と水が普段通りに流れてくれた。俺はビーカーを持って、水を入れていく。およそ百五十ミリリットルほど入れて、次のビーカーへ水を入れる。それを六つほど終えると、アルコールランプの上に台座を配置して、そこにビーカーを置いていく。
「なあトオル、何するつもりなんだ」
「小暮、いいから休んでろって」
「何か解決策でも思いついたのか?」
「いや」
「なら何やってんだよ」
「いいから」
それでも小暮は納得してくれない様子でいた。まあそれは置いといて、湯を沸かしている間にもう一つ探さないといけないものがある。
以前理科の教師の手伝いをしたことがあるが、終わった後で理科の教師がビーカーで作ったコーヒーをごちそうしてくれた。何でも教師はコーヒーも好きらしくて、いい豆を取り揃えているという。
もしかしたら置いてくれてるかもしれない、そう願って探してみる。だがあちこち探したものの、コーヒーらしきものはなかった。せめてインスタントでもあればよかったんだが。
「何探してるの?」
秋希も気になったんだろう、身を乗り出して尋ねてくる。
「いや、なかった」
「なかった、じゃなくて」
「気にしなくていいって」
「トオル、さっきからどうしたの? 何か思いついたんなら、私たちにも言ってほしいよ」
「別にこの状況を打開するもんじゃねぇから、気にしなくていい。とりあえず、湯が沸くまで待ってろ」
秋希は信じてくれたようで、再び杏子の横へ座り込む。まだビーカーの水は、湯気を湧き立てていない。しばらく時間がかかりそうだったので、俺もその場に座る。
待ってる間、雨風もネズミも俺たちに優しかった。いくらか強い風が吹きつけていたものの、窓を割る勢いではなかった。ネズミたちもまだドアをかじっているようで、耳障りなもののこちらまで来ていない。そうしているうちに湯も沸いたので、俺はやけどしないように一つ持ち上げて、それをまずは杏子へと渡す。
「……お湯? 何で?」
「いいから飲め。特にお前は、身体冷やしちゃまずいからな」
夏が終わったこの季節で、夜に雨が降った日は冷える。この面子を見ても、やっぱり女子は寒さが堪えているようだった。
「あ、ありがと」
「持ち方に気を付けろよ。やけどするからな」
ビーカーはコップと違い、よく熱を通す。そもそもコップとは違い、ビーカーは薄いガラスで出来ているからな。杏子も受け取る際にコップの要領で振れてしまったせいか、一瞬手をひっこめる。しかし要領を理解すると、しっかりとやけどしないように気を付けて受け取る。
「もしかして、皆の為に?」
秋希が嬉しそうにしていた。
「本当はコーヒーのが良かったんだけどな。置いてってくれてなかったから、白湯で我慢しろ」
と言いつつ、秋希の分も取って渡す。
「ううん、ありがとねトオル」
「秋希も、お疲れさん」
秋希は頷いて、ビーカーを受け取ると水面をじっと眺めた。次に涼野の分も取って渡す。
「ほら、飲んどけ」
「ありがとう。わたしもちょっと寒くなってきたところだし」
涼野も受け取って、軽く一滴程度飲んでいた。後は野郎どもか。ビーカーを一つ手にして、まずは小暮から。
「お前も、身体あっためとけ」
だが女子陣とは違い、小暮はそっぽを向いてしまう。
「そんな事して何になるってんだよ」
「ったって、今できる事なんて何もないだろ。なら今のうちに休んでた方がいい」
「トオル、よくそんな呑気でいられるな」
小暮の発言で、気を休めていた女子陣が再び張り詰めたような表情になる。坂橋に続いてこいつもかよ。
「ったく、坂橋に続いてお前もかよ」
「おれ達がいま、どういう状況に巻き込まれてるのか知ってるだろ? だったら悠長に湯なんか飲んでられないだろ」
「なら切羽詰まって焦ってりゃ、いい案が思いつくとでも?」
「それは……」
言葉に詰まる小暮。そこを分かっているあたり、坂橋よりかは諭しやすいな。
「今出来んのは、水分補給と身体を温めておく事だけだろ。この後に何があってもいいようにな」
小暮は何も言わず、しばらくうつむいたままでいた。しばらくして、無言で手を伸ばしてくる。俺も特に伝えず、そのままビーカーを渡した。全く、湯が冷めちまうだろうが。
最後に坂橋の分と、ビーカーを持って近づく。
「もしまたさっきみたいにごねたら、頭からぶっかけてやるからな」
もちろん冗談のつもりだ。坂橋も俺の冗談に軽く笑いつつ、手を伸ばす。
「やめろってさすがに。やけどしちまうだろ」
「なら、ほら黙って飲め」
半ば強引に押し付けると、坂橋は少しの間水面を見た後で水を口に運ぶ。これで全員分は行き届いた、と俺は自分の分を手にとり、軽く一口飲んだ。
「正直、コーヒーが良かったな……」
ふと涼野が漏らす。
「俺もそう思う」
勿論俺だって、コーヒーの方が良かった。これは他のヤツも同じで、頷かなくともため息なりですぐに分かった。
「あ、ごめん。せっかくトオルくんが気を使ってくれたのに」
「気にすんな。何なら俺が一番がっかりしてる」
せっかくサプライズ的にやろうと思ったのに。俺が生徒会長になったら、理科室にコーヒー豆――あるいはインスタントコーヒーを常備させてやる。勿論生徒会長になる気はない。そういうのはもう中学でこりごりだ、と秋希の方を見る。向こうも俺に気が付いて、首を傾げた。
「でもビーカーで飲んで大丈夫なのかな。こういうのって、化学薬品とか残ってるって聞いたけど」
ふと気づいたように、涼野はビーカーの縁を見回す。
「大丈夫だよ」俺の代わりに、秋希が答える。「あの先生、器具の洗浄は入念にやってるから。そう言うの気にするみたいだし。それにこうやって、ビーカーにコーヒー淹れて飲んだりするからね」
俺も確かコーヒーをごちそうした時、口を酸っぱくして言われてたな。それ以外にも、こびりついた薬品のせいで思い通りの実験結果にならない場合もあるとか、やたらと神経質なんだよな、あの人。
「あー、何かマジだるいよねあのセンコー」
どうやら杏子はあまり好きじゃないようだ。
「でもそんなに悪い人じゃないよ。割と面倒見いいし、それに……結構女子からモテてるみたい」
最後の方は、ここだけの話という感じでひそひそと話す秋希。
「あーなんかあたしのトモダチも、ケッコー気になるって言ってた。なんかすっごい大人の男って感じが好きみたいで」
まあ確かにな。ぱっと見は理系って感じなんだけど、何て言うか男の色気みたいなのはあるよな。
ひとまず話を終えて、しばらく黙ったまま白湯を飲んでいく。風はまだ窓を突き破りそうにないし、ネズミの方は……まだドアをかじっているようだ。
「そういえば気になったんだけど……」まるで思い出したかのように、涼野が俺たちに向けて尋ねてくる。「電気は使えないけど、水は出るんだね」
「屋上の給水塔からじゃないかな」問いには秋希が答えた。「こんな雨だし、水に関しては困らないかもね」
そういや、杏子の看病をしている際も水はちゃんと出てたな。電気は使えないのに。
「電機は使えないみたいだけど」
涼野も同じ事を考えたようで、天上を見あげて光のない電灯を指さす。
「でもさっきは明かり付いたよね?」秋希はこちらを見てくる。「ほら、あのガイコツに追われてる時」
確かに。全員の反応を見る限り、誰かがスイッチを押したりしたって感じではなさそうだ。照明が消えたのも、職員室で突風に晒される直前だったし。
「でもそれ以降は使えないだろ」
確認のため理科室の明かりをつけようとスイッチをつけたが、反応がない。
「ならこの学校は今、別の世界に飛ばされたって事……?」
涼野は首をかしげる。現実感のない意見ではあるが、納得してしまう理由がいくつもあった。一つは帰ろうと校門まで行ったところで、普段なら見えるはずのビル群は見えなかった。過去に霧が発生していた時でも、ちゃんとビル群や駅の明かりは見えたというのに。校舎を確認する際に振り返った時は、わりかし遠くでもうっすらとは見えたはずだが。
「何が言いたいんだよ涼野」
不機嫌そうな小暮。
「えっと、今電気が使えないのは、わたし達が電気のない世界に隔離されたって事だと思う。水が使えたのは、屋上に給水塔があるからで……」
「隔離? 馬鹿馬鹿しい。そんな事現実にある訳ないだろ」
小暮は見下して、嘲笑する。隣で坂橋も、小さく頷いていた。
「でもそれしかありえないよ。もしそうじゃなかった。両方使えないか、どっちも使えるかしかないから」
「そんなこと考えてる余裕あるなら、打開策くらい思いつけよ」
小暮の心無い発言に、涼野は肩を落としてしまう。
「小暮、言いすぎだぞ」
「トオルもトオルだ。何か思いついたわけでもなく、ただ湯を沸かせるくらいだもんな」
「そんで休もうにも、お前がさっきから愚痴しかこぼしてないから休めねぇよ」
すると小暮は呆れたように、ため息をつく。
「まあいいさ。どうせおれ達はここで死ぬんだからな」
悲観に対して、返事を寄越す者は誰もいなかった。皆がその結果を望んだり、考えている訳ではない。ただ、否定できないだけだった。俺も言いそうになった下らない愚痴を、湯と共に喉へ流し込む。体は温まって来た。今はそれだけでいい。
湯を飲み終える頃には、心もちもだいぶ落ち着いていた。その間誰一人口を利かなかったが、それは絶望的な状況で世間話なんかできないからだろう。ネズミたちは相変わらずドアを齧って、穴を掘っている様子だ。外の風も数回ほど豪風が吹き荒れたものの、窓を割るには至らなかった。これがもし誰かの仕業だというなら、みじめな俺たちを見てほくそえんでいるんだろう。ネズミが先か、風が先か。なぶり殺しもいいところだ。
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