第15話 理科室へ避難

 きっとどこにも、安全な場所なんてないんだろう。そう思いつつも、俺たちは歩かなければならなかった。このペンライトがいつまでもつか分からないし、一か所に留まってもいられない。一体誰が俺たちをこんな目に合わせているのかさえわからないんだ。悪い夢であってほしい。だが手指の冷える感覚と暗闇に響く足音、不意に聞こえる心臓の鼓動は、嫌でも現実である事を実感させた。

 俺たちを取り巻く空気も険悪だ。秋希に殴られてから、坂橋は沈黙を続けている。杏子も褒めもしなければ貶しもしない。気まずくて声をかけられないんだろうか。小暮と涼野も同じだと思う。普段キレないやつが、目の前でキレて誰かをぶん殴ったからだ。こいつらにとっては、あまりにも衝撃的な光景だったのかもな。

 どちらを責める、なんてのは考えたくない。坂橋は自分が置かれている状況を飲み込めずに、錯乱してしまっただけ。普段なら何でもかんでも人のせいにしたり、わめきたてたりしないからだ。きっと俺たちと同じく、恐怖を抱いているんだろう。でも表に出したくないから、強がろうとして空回りした。それだけの話。

 秋希についても、褒められた行動ではない。だが坂橋をだまらせる上で、最も効果的なやり方だったのは認める。きっと俺も、遠からず同じ方法を取ったかもしれない。特に杏子のせいにし始めたあたりは、本気でムカついたからな。

 沈黙したまま歩く廊下は、一層不気味だった。止まない雨と風に、霧に包まれた学校。ライトを照らした先に何かがいるようで、少しでも怪しい物を見つけると息を飲んでライトを向ける。何でもないと知れば、安寧を覚えて足を進めていく。もし坂橋と杏子がケンカをしていなければ……いや、もうよそう。


「トオル、どこに進んでるんだ」


 しばらく歩いて、小暮が尋ねてくる。満足のいく答えはない。それでも振り返って、応じる。


「分かんねぇ」

「だと思った」誰だって、そんなのは分かってしまうんだろう。「このまま歩いててもらちが明かないだろ」

「ならどうすりゃいい? ここから出られないのはさっきので分かったし、安全な場所もない。また風で窓が割れたりするか、ネズミの大群やらが押し寄せてくるか。それ以外にも、動くガイコツみたいなのがまた現れるかもな」

「またそれかよ。もううんざりだ」


 うんざりしているのは、小暮だけじゃない。俺も……いや、全員がそうだろう。ホラーマニアの涼野もこの状況を楽しんでいるような表情ではない。こうしている間もずっと、この状況を打開する方法を考えてくれているんだろう。


「仕方ないよ小暮君。こうなった以上、私たちが何とかするしかない」

「そんなことは分かってんだよ秋希。おれが聞きたいのは、ここから抜け出す方法だ」


 それは、と言いかけて閉口する秋希。そもそもだが、俺たちが置かれている状況には謎が多すぎる。一体なぜこうなったのかさえ分からないし、本当に怪奇現象なのか、あるいはどっか別の世界に飛ばされたのか。現実的、非現実的両方の側面で考えても、らしい答えは出ない。だって何も分からないんだから。


「その前に、まずわたし達が置かれている状況の原因を突き止めないと」


 涼野は俺の考えと相違ない意見を述べた。でも次の問題がある。


「だったら涼野、その原因ってのは何なんだ?」


 俺たちはその原因すら分からない。誰も、何も知らないんだ。

 何より、この怪奇現象は俺たちに原因を探らせる気がないのだろう。耳を澄ませると、雨音に混じって擦れるような甲高い音が聞こえた。音は一つだけではなく、無数。一斉にそちらへと振り返り、俺もライトを廊下の奥へ向ける。明かりは届かなかったが、奥で黒い物体たちがうごめいているのが見えた。


「……ウソ、また来た!」


 杏子は後ろへ歩こうとしたが、松葉杖を落としてしまう。とにかく、近くへ逃げ込まないと。一番近い部屋は……とライトで探すと、理科室がすぐそばにあった。


「理科室へ逃げ込め!」


 俺はライトと手で誘導する。全員が急いで駆けこんだ。最後に残った杏子は、秋希に支えられていく。


「トオル、松葉杖!」

「分かってる!」


 二人が拾い損ねた松葉杖を持つ。すでにネズミたちはすぐそばまでやってきていた。教室に駆け込んで、廊下につながるドアのカギをすべて閉める。後はネズミが通れそうな穴がないかを確認してみる。無いと分かって、一息付けた。


「アイツら、まだ懲りねえのか」


 肩で息をしながら、小暮がつぶやく。


「みんな無事でよかったけど……」


 秋希の言葉は続かなかった。ネズミたちは入ってこれないが、それは俺たちもここから出られないという事になる。鍵を開ければ数十匹は間違いなく入って来るだろう。向こうさんも諦める気がないようで、廊下から聞こえる無数の金切り音は止みそうにない。


「ここからどうやって出ればいいの……?」


 涼野が言葉をつなげる。しばらくはここに居座る必要がありそうだが、その前に俺たちにはやる事がある。


「とにかく、窓を補強するぞ」


 雨だけではなく、風の脅威もある。ここで職員室みたいな惨事になれば、もはや生き残れる可能性はゼロ。その前に対策をしておかないと。全員俺の意見に賛成して、使えそうなものを片っ端から探し始める。

 いくつか机の中や棚を探して、ガムテープを見つけた。それを使って、窓を補強していく。他にも割れた際に少しでも時間を稼ごうと、カーテンを広げてその上からもテープで固定していく。最終的には風で飛ばされるだろうが、ガラスの散乱は数秒だけでも防げる。

 ひとまずは、ここが最も安全な場所になった。俺たちは椅子があるにもかかわらず、壁を背にそれぞれ横一列で床に並ぶ。そういや今何時なんだろうかと腕時計を見てみたが、時刻は下校しようとした時間で止まっていた。時が止まっているのか、或いは時計が動いていないだけなのか。どっちでもいいが、ここでは時間という概念を気にする必要はなさそうだ。


「これからどうすりゃいいんだよ」一息ついて、小暮が語気を強めて尋ねる。誰も答えなかった。答えられる訳ないだろ。「なあ、誰か教えてくれよ」

「そんな事言ったって、俺たちに分かる訳ねぇって」

「じゃあ何だ? おれ達はここで死ぬってか? ネズミに追われて、訳も分からず」

「朝になったら誰か来て助けてくれるかも」


 杏子が提案したように告げたが、小暮が欲していた答えではなかった。


「朝まで待てってか。ここでじっと待ってろってか」

「外のネズミ見たでしょ? アイツら、あたし達を襲う気だって」

「見りゃわかるさ」


 小暮が言い放った時、ふとカリカリと木を擦る音が聞こえてくる。音の出どころはドアみたいだ。俺は近づいて耳を向けた。まるでかじるようにも聞こえる音は……。


「こいつら、ドアかじってんぞ」


 そうとしか言いようがなかった。ネズミ共はドアをかじって、穴を開けようとしているようだ。全員が背を伸ばして、息を飲んだように肩を上げる。


「うそ、最悪……」


 杏子はこ以上ないくらいの嫌悪感を示して、顔を真っ青にした。


「おい、どうすんだよ。アイツら入ってくんのか」

「待てよ」俺は辺りを見回す。逃げ口を塞ぐようになってしまうが、棚を使ってバリケードを作る方がいいだろうか。「この棚で入り口をふさぐってのはどうだ」

「それでネズミを防げるのか?」

「いくら何でも、アイツらが鉄をかじって穴開けられるとは思えねぇけどな」


 どうだったかな。ネズミの生態について詳しく聞いた事ねぇし。でもこのまま放っておいても、穴をあけられて奴らが入ってきてしまう。やるしかないな。手始めに棚の中にあるビーカーやらアルコールランプやらを机に移しておく。


「トオル、どうすんだ」

「小暮、お前も手伝え。おい坂橋お前もだぞ」


 俺は端っこの方でしょぼくれている坂橋に声をかける。奴は深くため息をついたものの、おもむろに立ち上がり加勢してくれた。俺たちは棚を横に降ろして、スペースが出来ないようドアの前にぴっちりと詰めて配置した。別の入り口にも同じ方法を取り、ひとまずはネズミが入らないようにできただろう。もし金属もかみちぎってきたら、そん時はもう何もかも終わりだな。

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