第13話 蠢く小さな影

 向かっている最中、俺たちは動く奇妙な黒い物体を何回か見かけた。小さくて、踏んづけてしまいそうな勢いだったが、そいつらはうまく回避していく。


「何だこいつら」


 坂橋も気味悪がりながら、がに股になったりして避けていく。ライトをそちらへ向けて、よく観察してみる。そいつらは他でもないネズミだった。だが数が異常すぎる。ここまでで既に百は見ているような。しかもネズミ共は、一心不乱に一定方向へと進んでいる。奇しくもその方角が、女子たちのいる教室だった。


「こいつら、まさか……」


 小暮が呟く。そのまさかしかありえない。俺たちは急いで、教室へと駆け出す。

 案の定、教室に行くとネズミの大群が机を取り囲んでいた。その上で、秋希達が来ないようにと杏子の松葉杖を使って振り払おうとしていた。


「秋希っ!」


 叫ぶと、向こうもこちらに気が付く。


「トオル! さっきからネズミがたかって来てるの!」

「分かってる!」


 だが手に持っているバールでは一掃できる気配がないし、ライトでかく乱というのも効果がなさそうだ。それならさっきネズミ共を照らした時に、なんらかの反応を示していたはず。だがこいつらは止まらなかった。


「お願い急いで――ちょ、来ないで!」


 一匹が杏子の足――それも怪我している方に乗っかって来た。怖くて触れないのか、悲鳴を上げているだけだった。そこへ涼野が擦り切れるような声を出しながら、ネズミをしっかりと捉えて振り払う。


「ちっきしょう、なんだよこいつら!」


 すると坂橋はすぐさま逃げ帰ってしまう。声をかける暇もなく、背後では女子たちが尚ネズミの餌食になりかけている。


「どうすんだよトオルっ」


 小暮も冷や汗をかいて、普段より声が高くなっていた。坂橋は置いておくとして、ネズミ共をどうするか。

 そういや、この教室から便所へ向かう途中で、消火器があったような。効果があるかは分からないが、現状はそれしかできなさそうだ。


「待ってろ、すぐ戻る!」

「お願い、早くして!」


 秋希もこの状況では何もできない。俺はすぐさま踵を返して、廊下を走る。記憶をたどりながら消火器を探していると、ちょうど階段付近に消火器が置かれていた。使われた形跡もない。持ち上げて、急いで教室へと戻る。その間に、安全ピンを抜いておく。

 教室へと戻り、ライトを小暮に託す。


「小暮、しっかり照らしてろ」

「あ、ああ」


 俺は右手でノズルを、左手でホースを支える。


「全員、目塞いでろ!」


 ノズルを握り、消火剤が勢いよくぶちまけられる。効果はどうだ……ない――いや、ネズミが嫌がってる。さらに巻き続けると、ネズミたちはその場でのたうち回り始めた。行けるかもしれない。さらに撒くと、ついに奴らは教室から逃げ帰っていく。次第に逃げていくやつが多くなり、消火剤が切れる頃には視界が見えなくなった数匹だけになった。残党はバールで適当に打ち払って、ネズミは来なくなった。


「た、助かった……」


 女子たちは、それぞれの背中にもたれかかる。無事で済んだのは良かったが、教室は消火剤まみれだ。床はかなり滑るし、杏子なんかは特に危ないだろう。


「あのネズミは何だったんだ?」


 尋ねると、涼野が応じる。


「分からない。最初は一匹だけ来て、ちょっとびっくりしちゃったんだけど。でもその後すぐに大群で押し寄せて来て……」

「で、あんなふうになってたってか」

「マジ何だったの……」


 杏子もだいぶ疲れ果てていたようで、額にぐっしょりと汗をかいていた。


「というより、ウチの学校にネズミの大群ていたっけ?」


 秋希の真っ当な意見に、そういやと思わせられる。この学校に入学してから、ネズミなんて見たことがない。というより、それらしい住処はどこにもないと言ったほうがいい。

 以前俺はこの学校で、どっか隠れ家的な場所がないか探していた。だがどの教室も清掃や整理が行き届いていたようで、殆どの教室で埃をかぶったりしている場所があるようなところは見なかった。それどころか一季節に一度、業者による大掃除が行われている。夏休の時、用事があって学校に来たことがあり、その時業者が三台のバンに乗って来ていたのを見ている。やはりここが先進校だから、だろうか。

 ひとまず事なきを得て、どっと疲れ果てた俺は座――れねえか。床にぶちまけられた消火剤を気にして、結局その場に立ち尽くすしかなかった。女子たちもそれぞれ手を貸しながら、ゆっくりと机から降りていく。やはり床がぬめぬめしているせいか、全員おぼつかない足取りだった。杏子は秋希と涼野が支えてくれていたおかげで無事だ。

 一旦廊下に出て、念のためネズミが来てないか探りを入れる。あちこちをライトで照らしてみたが、もぞもぞ動く物体は一つもない。そう思っていると、人影がこちらにやってくる。かなてこを構えなおしたが、ライトがすぐに正体を写した。坂橋だ。


「よお、終わったみてぇだな」


 呑気な声を聞いて、俺は呆れて物も言えなくなった。他も同じように、ため息をついたりしていた。


「坂橋お前……」

「いやだって、あんなにネズミがいたら普通ビビるべ? 小暮だってビビってたろ」

「否定はしないけどな、坂橋お前……」

「だぁもう逃げたのは悪かったって。ってもオレに出来る事なんか何もなかったろ」


 それもそうだな。ネズミの餌になれとも言えないし。だからといって、こいつを肯定する気にもなれない。仲間を見捨てて一目散に逃げたんだからな。


「あんた、ホント最低」


 だが杏子は、ほとほと失望したようだ。ついそう口走ってしまう。


「んだとテメェ」

「あんたさ、一目散に逃げたでしょ? あたしらの事心配じゃなかったの? ちょっとぐらい助けようとしたって良かったじゃん」

「は? うっせーんだよお前さっきから、何が言いてぇんだよ」

「ああそうもういいですハイ、もうアンタがクソだってよく分かりましたから」

「うるせぇっつってんだよオメェはよォ!!」突然、坂橋が怒声を浴びせてくる。「そうやっていっつも他人のせいにしやがって。テメェだってこっちに迷惑かけてんだろォが!」

「あんたの方が迷惑かけてんでしょうが! 約束しといて遅刻したり、気分じゃないからって予定コロコロ変えたりしてさ。付き合う身にもなれよ!」

「テメェだってそうだろ! 散々人に金使わせやがって。散々返す返すっつっといて、一円も返ってこねぇじゃんかよォ!」

「あーもううっせぇ!」

「こっちがうっせぇだバカ女!」


 勢いに圧倒されてつい傍観してしまったが、そこでお互いにらみ合いが始まったので割って入る。


「お前らもういい加減にしろよ。仲直りしろとは言わねぇけどさ、せめてケンカぐらいはよそでやってくれ」

「だったらそのバカ女に言えよ」

「お前だよアホ」


 ホントどうしようもないよなこいつら。秋希の方を見ると、向こうも声をかけられないのだろう、悲しい目をしながらじっと見つめているだけだった。


「もう何なのマジ、最悪! 足大けがするし、動くガイコツだとかネズミの大群とか、もうマジ無理なんですけどっ!!」


 杏子の叫びは誰かに聞かせる訳でもなく、ただ感情が高ぶってしまったのだろう。だがよせばいいのに、坂橋が返事をする。


「もとはと言えば、お前が勉強会だの何だのって言い始めたのがきっかけだろォが」


 あーあ、ついに言っちゃいけない事言ったよこのアホ。坂橋、杏子以外も俺と同じ考えを抱いたようで、声を洩らしたり頭を抱えたりしていた。俺はもう手に負えない。

 杏子は一層憤慨していくように、呼吸が荒くなった。備える間もなく、貯めていた怒りが爆発した。

「……ふっざけんなマジで! お前が留年しかけてんのが悪いんじゃん! むしろ謝れみんなに! お前のせいでこんな目に遭ってんだよ!」

「そーいうとこだっつってんだろ! あー何なんだよクソが!」坂橋は近くの壁を蹴る。「もうくっだらねぇ、めんどくせぇ。オレ帰る!」


 まるでこの状況が理解できないかのように、坂橋は踵を返した。


「な、何を馬鹿な……」


 涼野が驚きを隠せず、つい芝居めいたセリフを吐いてしまう。いや、そんなのを抜きにして、坂橋は明らかな愚行に走っている。


「おい、お前俺たちがどんな目に合ってるか、分かってんのか」

「うっせーよトオル。どーせ誰かがいたずらでやってんだろ? それとも何だ、お前らの誰かがドッキリでも仕込んだのか」

「バカ言ってんじゃねぇ。ドッキリで杏子が大けがするか」

「それも嘘なんじゃねーの? 実は大したけがじゃなくて、あのガラスも小細工だったりしてな」

「バッカヤロ、何で信じてくれねぇんだよ」

「あーどいつもこいつもうるせぇ」


 坂橋はそのまま去ろうとしていく。俺は涼野の方を見た。


「追いかけるべきか?」


 涼野は一瞬ためらいを見せた。多分心の中で、アイツを放っておきたくなったんだろう。アイツは今、自分が最もマトモだと信じ切っている。


「……追いかけよう」


 涼野は非情になり切れなかったようだ。むしろ俺はその返事に胸をなで下ろす。その傍らで、泣きじゃくる杏子がいた。声をかけようと思ったが、既に秋希が慰めているようだった。こういう時は、同性の友人の方がいろいろ気も晴れるだろう。

 だからと待ってもいられない。坂橋はその間も玄関へ向かっており、俺たちもあとを追いかけるしかなかった。向こうは一度こちらを振り向いたが、声をかけて来ずにそのまま振り向きなおして、足を進めていく。結局最後まで杏子を心配したりしないんだな。

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