第11話 合流

 処置が終わって、一時間ぐらいが経っただろうか。あれから俺たちに出来た事と言えば、杏子の回復を待つぐらいだった。全員をここに呼ぶというのも考えたが、誰かは保健室に残って、杏子の看病をしないといけない。すると一人で涼野達のいる教室に行かないといけない。涼野の言いつけ通り、単独行動は避けるべきだ。それにさっきのガイコツは武器が通用したからいいが、怪奇現象となればそう思い通りにいかないだろう。

 結果的に、俺たちが出来るのは看病くらい。水を汲んだスプーンで水分補給させたり、汗をふいてやったり。勿論職員室で起きた出来事も忘れていない。秋希が杏子の世話をしている間、俺は窓ガラスの破片や雨粒が来ないように、空いているベッドなどを使って簡易バリケードを作っておく。ガムテープが残っていれば、窓に張り付けて対策が出来ただろう。しかしそれは、薬瓶を取る際、窓ガラスを割るのに使いきってしまった。わずかに残っていたのは、せいぜい五センチ程度。これでは何かをつなげるだけにしか使えない。

 というワケで、雨風におびえながら時が過ぎるのを待ち続けた。雨の様子は衰えず増さずといった感じで、一定の強さを保っている。風も同じく、何度も窓を揺らして、できた隙間から風切り音を鳴らしていた。涼野達は平気だろうか。特に心配なのは、小暮と坂橋だ。アイツらがちゃんと涼野の言いつけを守っていれば、無事でいられるはず。こういう時、特定の分野に精通しているヤツってのは非常に助かる。

 今のところ保健室に来ない当たり、向こうも平穏なんだろう。俺たちも別の襲撃などに備えて、ガラスを割るのに使ったかなてこなどを備えておいてある。ペンライトは突然の電池切れを警戒して、あまり使わないでおく。保健室をくまなく調べたが、替えの電池がなかったためである。

 俺は窓の外を見た。相変わらず、霧に包まれたかのように外は暗い。保健室からでも、駅付近のビルの明かりは見えるはずなんだが。昼間ここに来たことは何度もあるが、天気が悪くてもビル群くらいはちゃんと見えるのに。もしかするとここは、俺の知らない別の世界だったりして。後で涼野に聞いてみるか。

 ふとぼうっとしていると、秋希が杏子の名前を呼んだのが聞こえた。振り向くと、杏子が秋希の方へ首を向けていたのが分かった。


「秋希……?」

「どう? 具合は大丈夫?」


 どうやら意識を取り戻したようだ。杏子はうん、とかすれるような声と頷きで返す。すると今度は俺に気が付いたようで、こちらを向いてくる。杏子は一瞬、俺を坂橋と勘違いしたんだろう。眼を丸くした後で、落胆するように頭を枕へ沈めこませる。


「……なんだ、トオルか」

「悪い、俺なんかで」

「いいって。どーせ期待してなかったし」


 俺としても、この立場にいるのはアイツがふさわしいと思うんだがな。ところが保健室へ行くと宣言した際も、坂橋は「いや、オレが」みたいに有難い言葉を告げなかったし。


「そうだね。坂橋君、心配じゃないのかな」

「いいよもう。期待したってムダだし」


 様子を見るに、だいぶ調子を戻してきたのだろう。呂律もしっかり回ってる。


「とにかく、無事でよかったな」

「うん。二人ともありがと」


 杏子は俺と秋希を交互に見ながら、何度か頷く。それからゆっくりと上体を上げて、ベッドから降りようとした。そこでふさいだ傷口に気が付いて、そっと撫でる。


「あんまり触らない方がいいよ。ばい菌入ったら化膿しちゃうから」

「でも、なんか隠したいな」

「そっか。待ってて」


 秋希は俺に手招きをしながら、立ち上がる。ライトをつけてほしいって意味だろう。俺は頷いて、一緒に棚へと向かう。秋希が棚の方を指さして、そちらにライトを向ける。手にしたのは包帯と止めるためのテープだった。再び杏子の元へ戻り、早速傷口を隠すために包帯を優しく巻いていた。


「とりあえずこれで大丈夫。でもあんまり触ったりしないようにね」

「うん、ホントありがと」秋希は顔をあげると、杏子へ微笑みかけた。こういう所、本当に医者っぽいよなーと感心してしまう。「あたしはもう大丈夫だから、皆のトコに戻ろ」

「大丈夫? まだ休んでていいよ」


 秋希が気を使ったものの、杏子は首を横に振る。


「あたしもさ、さっき見ちゃったから。ガイコツが歩いてるとこ」

「そっか……」

「だからさ、これ以上迷惑かけらんないし」


 と言っても、まだ一人で歩けないだろう。そこで俺は、さっき見つけたいいものを取って戻った。


「ほら、これ使えよ」


 処置が終わってすぐ、部屋の隅っこに放置された松葉杖があったのを見つけておいた。きっと後で使うだろうと思ってな。


「ありがと、トオル」杏子は受け取ると、早速松葉杖にもたれかかりながら立ち上がる。「って言っても、さっきみたいな事になったらあたし逃げらんないかも」

「そん時は俺と秋希でおぶってやるよ」

「うん。だから安心して」

 杏子は照れくさそうにうなずいた後、ぽそりと呟いた。「ホントはアイツがしてくれたらいいんだけど」


 その言葉は敢えて俺たちに聞こえるように言ったのか、あるいはつい出てしまったのかは分からない。だが杏子の想いは、俺たちも理解している。この役目は、本当なら坂橋がふさわしい。でも今のところ望みは薄い。

 立ち去る前に、他に必要なものがないかを確認しておく。秋希は念のためにと絆創膏や包帯、ガーゼ類などを部屋に救急バッグに詰めていた。俺はペンライトにかなてこ、メモ帳にペンをポケットにしまっておく。それ以外に役立ちそうなものはなかった。

 荷物の確認をしてから、俺たちは保健室を後にした。廊下では松葉杖の音がよく響いている。俺は一番前に立ち、左手のペンライトで道を照らしながら右手のかなてこを構えておく。出来れば誰にも出くわしたくないが。

 心配は杞憂に終わった。何事もなく、涼野達がいる教室へとたどり着く。戸を開けると、何故か誰もいなかった。ただし言いつけを守っていたようで、部屋の中は机で窓側にバリケードが作られていた。また下にもぐって隠れられるようになっているようだ。


「おい、俺たちだ」


 試しに声をかけてみると、机の下から三人が出てきた。涼野に小暮、坂橋。


「……びっくりしたぁ。幽霊かと」


 つい幽霊などと口走り、涼野ははっと口を塞ぐ。だが俺は首を横に振る。


「その幽霊についてなんだが、ちょっとな」

「うん。さっき起きたことを話しておくね」


 後にいた秋希と杏子も、部屋に入って来る。


「バカゆってんじゃねーよ。お前らまで」

「そうやっておれたちを脅かそうとしてるつもりか」


 思ってた通り、この二人はまだ状況を飲み込めていないようだ。


「まあ聞けよ」俺は全員で円を囲むよう手まねきをして、その場に坐りこむ。何かこれから怪談を聞かせるって感じになっちまったな。涼野は眉間にしわを寄せていたが、口角がわずかに吊り上がっていた。楽しみにしてんのかよ。他二人もぶつくさ言いつつ、座る。「杏子を保健室に送り届ける時、廊下の明かりが点いたの知ってるか」

「うん。確か三回くらい。その後ちょっとの間点いてたね」


 でもガイコツを倒してしばらく後、また消えてしまったが。


「実はそん時、俺たちはひとりでに歩くガイコツに会ってな」


 涼野は興味津々につばを飲み込み、背を丸めて顔を前に出す。


「ハイハイ、そんなの嘘に決まってんだろ」

「坂橋、お前最後まで聞けよ」

「歩くガイコツ? んなガキくせー嘘つくなよ」

「本当なんだよ、坂橋君」


 秋希の真剣なまなざしに打たれて、坂橋は眉を吊りあげた。その隣で嘲笑していた小暮も、しっかりとそちらを見据える。


「その歩くガイコツは包丁を持っててな。杏子たちを襲おうとしたんだ」

「でもその時トオルが助けてくれて。何とか無事には済んだんだけど……」

「杏子の傷が開いて、動けなくなっちまってな」


 言われた杏子は、訪台に巻かれた部分を優しくなでる。一同はそちらを見た。きっと包帯の中に、俺たちの苦労があるとは知らないんだろうな。


「私は丁度、C組の山内君が予備のバッドを持ってるって思い出して、急いでもってこようとしたんだ」

「その間、トオルくんと杏子ちゃんはどうしてたの」


 涼野の問いには、杏子が答えた。


「トオルが逃げようってゆってたんだけど、あたし動けなくて。でも助かりたいって思ったから、頑張って歩こうとしたんだよね。でもやっぱ、途中で意識がなくなりかけて……」

「でも秋希が間に合って、何とかガイコツを撃退。俺たちは無事に保健室までたどり着いた」


 はい拍手、と平時ならふざけていただろう。だがこの話は、あくまで俺たちの周りに起きたことをそのまま行っているだけにしか過ぎないし、忠告の意味もある。しかし坂橋は、わざとらしい拍手を送って来る。


「ハイハイ面白かった面白かった。あーくだらねぇ」


 実際に見たら、こいつもきっと信じるだろうな。と思いつつスルーしておく。もう反応すんのもめんどくせぇからな。


「坂橋くん、茶化すのはやめて」とやや語気を強める涼野。それから再びこちらを見る。「そのガイコツについて、もう少し詳しい事は分からないの?」


 俺は秋希のほうを見やる。丁度向こうも目を合わせてきた。つまり同じことを考えたんだろう。俺は頷いて、涼野の目を見る。


「そのガイコツなんだが、妙に人間みたいな感触があってな」

「それってどういう事?」


 涼野は目を見開いて尋ねる。問いには、秋希が答えた。


「バットで殴った時にね、何かガイコツというよりは、まんま人の頭をぶったって感触がしたんだ。トオルもガイコツを押し倒した時、骨じゃなくて人肌みたいな感触したって」

「ああ。ただ冷たかったけどな」


 俺達の言葉を聞いて、涼野は顎に指を当てて思考を巡らせ始めた。多分記憶の中にある、類似した物語の展開を思い出しているんだろう。


「まさかお前たちがそんな事言うなんて思いもしなかった。特に秋希、どうしたんだ?」

「小暮、お前話聞いてなかったのか?」


 秋希が答える前に、代わりに俺が尋ねる。


「なあ三人とも。廊下の真ん中でガイコツに出くわしたのは信じる。でもどうせ、誰かがいたずらで置いたんだろ?」

「なら包丁はどう説明がつくんだ? そいつは包丁を持って、杏子たちを襲おうとしたんだぞ」

「実は偽物だったりしてな。包丁に触ったのか?」

「触る訳ねぇじゃん。お前何言ってんだよ」

「ほらな。どうせ誰かがいたずらでやったんだろ」

「ならよ、職員室の時は何だってんだ? 杏子は大けがしたんだぞ」

「別にそこまで誰かのおふざけとは言ってない。人間に天気を操る力なんてないんだからな」


 漫画の世界じゃあるまいし、と小暮はさらに付け加える。んなのは分かってんだよ。


「そんなに信じられないなら別にいい。けど俺たちが話したのは、全部事実だからな」

「ああ、何とでも言えよ」


 逆に考えて、なんでこいつらは頑なに信じないのだろうか。いわゆる正常性バイアスって奴だろうか。本かテレビかで聞いたと思うんだが、人は切羽詰まった状況でも、つい正常かのように振舞いたがるらしい。例えば目の前で家事が起きた時も、そんな事はないと目をそらして、なんでもない大丈夫だと言い聞かせるような心理状況の事を言うそうだ。当然ながら、そいつらが陥っているのは窮地なので、大抵は被害に巻き込まれたりする。

 俺たちが置かれている状況からしても、小暮と倉橋がその状況に陥るのは仕方がない。特にこの二人は、心霊現象を全く信じていない側だからな。ならば無理に言い聞かせたところで、どうせ信じてもらえない。


「ところでさ、誰か便所行かね?」ふとそこへ、坂橋が手を挙げる。「マジ漏れそうなんだけど」


 こんな時に便所かよ。ただ坂橋の腕を見ると、やや震えているのが分かった。こいつ、実はビビってんな。少し間をおいて、小暮も手を挙げた。


「おれも一旦用を足したい」

「待って二人とも。こういう時は固まっていた方がいいよ」

「何ビビってんだよ涼野」

「違うよ、そうじゃないって。二人一緒でも別行動は危ないから」

「まさか、本当にトオル達の話を信じたのか?」

「だって、嘘つく必要ないもん。それに、杏子ちゃんの怪我だってどう説明するつもりなの?」


 特に涼野は、この心配様。


「別に大丈夫だって、なぁ?」


 坂橋は小暮へ同意を求める。


「ああ。だから一緒に行くかって誘ったんだろう?」

「でもやっぱり、皆で固まっていた方が……」


 どっちにしろ、涼野を安心させる必要がありそうだ。少しでも気持ちを落ち着かせられないかと、俺も手を挙げてみる。すると全員がこちらを見て驚くように目を丸くした。


「なら俺も付き添ってやる。俺もションベンも済ませたかったしな」

「ほらな涼野。男三人もいるんだ、何も怖くねぇって」


 坂橋が得意げに語る。の割には声も震えてるし。


「坂橋、ビビってるのか」


 そこを小暮が突く。


「バカ、ビビってるわけねーだろ!」


 やっぱりビビってんだな。でなきゃ声を荒くしねえだろ。


「そういう小暮は」

「まさか。いないものを怖れる理由がない」


 無鉄砲とバカ、あるいはそれほどまでに信じてない人間。怖いのはどれだろうか。


「ねえ、やっぱりみんなで固まってたほうがいいと思う」


 そこへ涼野が再三提案してくる。すると小暮がため息をついて、女性陣を見回す。


「ならお前達も来るか?」

「それは……」


 涼野はケガをしている杏子へと目を向ける。こいつはあまり連れまわすべきじゃないだろうしな。


「あたしは気にしなくていいって。あんま迷惑になりたくないし」


 杏子は苦笑を浮かべる。いくら傷口を縫合したところで、完治している訳ではない。松葉杖の助けがあったとしても、やはり安静にしているのが一番だ。涼野も、犠牲者を出したくないのだろうな。


「んで、どうする? もう漏れそうなんだけど」


 坂橋は言葉通りに、内股になる。涼野は返事を返せなかかったようで、黙りこくってしまう。

 しかし、代わりに返事をする奴がいた。


「……あんたさ、あたしの怪我見てなんとも思わなかったの」


 杏子の言葉は、間違いなく坂橋へと向けられたものだった。奴もそれを理解して、それまでの強気な笑いを消して眉間にしわを寄せる。


「あ? なんだよお前」

「少しはさ、心配してくれたっていいんじゃない? それかせめて気を使うとかさ」

「別に大丈夫なんだろ? 秋希たちが手当てしてくれたんだし」

「は? 何? だから別にいいって? お前マジ何なの」

「んだよテメェ」


 険悪な雰囲気になりかけたところで、秋希が割って入るように、身体を広げて制止する。


「ちょっと待ってよ二人とも。こんなとこでケンカしないで」

「いやだってそいつが――」

「うるせぇんだよテメェ」


 高校デビュー同士、気も合うとは思っていたが、こんなに互いの心境が一致しなくてもいいんじゃないのかね。


「ホントやめてってば」秋希の嘆願に、流石の二人もやっと沈黙する。「二人に何があったのかは詳しく分からないし、深く干渉したりしないから。でも今はケンカしてる場合じゃないよ」

「そ、そうだよっ! 特にこういう時は――」

「トオル、坂橋。とっとと便所行こうぜ」


 涼野が語る前に、小暮が促す。一応、こいつなりの気遣いなんだろう。場は一瞬沈黙するが、坂橋が頷いた。


「……そうだな。こんな奴と話してても意味ねぇし」

「はぁ? お前マジで――」

「杏子、傷口開いちゃうから」


 秋希に心配されて、杏子は泣きそうになりながらもその場にふさぎ込む。全く、何でこうなんのかね。俺はつい首を横に振りながらも、坂橋と小暮の方を向く。


「ほら、漏れそうなんだろ? 行くぞ」


 二人とも、俺の意見に同意して首を縦に振る。涼野の方を見やると、向こうも仕方がないと頷いてくれた。


「三人とも、気を付けて」


 坂橋と小暮は、涼野の心配を笑って吹き飛ばした。俺は重々承知するように、ああと軽く返事をする。ライトとかなてこをしっかりと持ち、ふたりの前に立って便所へと歩き出す。

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