第10話 治療

 一難去って、やっとの思いで保健室までたどり着いた。ここまで来るのにまた目を慣らさなきゃならなかったし、そのせいで遠回りしかけたくらいだ。杏子の方は先ほどと比べても、一層呼吸が浅くなっていた。俺たちは入口から最も近いベッドを見つけて、足を脇に浮かせるようにして横にさせた。その際わずかに傷口付近がシーツに触れてしまい、シーツに赤い円が一瞬で広がってしまった。


「これからどうするんだ」


 秋希が治療の仕方を知っているとして、俺にも何か手伝えるかもしれない。そう思って尋ねた。


「まず何か明かりになりそうな物をさがして。さすがにこんなに暗いと何も見えないから」


 だいぶ目も慣れているが、細かい風景までは見えない。怪我の縫合みたいに、細かな作業となると当然必要になるだろう。

 確か喉の状態を見る時に使う、ペンライトみたいなのがあるはず。以前喉の調子が悪いと駆け込んだ時、使ってたのを覚えている。でもあれって確か、保険の先生は白衣のポケットにしまってたような。だとしても、一応替えのやつがあるかもしれない。

 机の中を手探りで探しつつ、それらしいものに触れてはスイッチがあるかを確認する。一方で秋希の方も、明かりがないと必要な道具を揃えられないらしい。暗闇でも見える包帯や消毒液は既に手にしていたが、縫合となれば針や糸のように、こまごまとしたものも必要になる。不用意に触れれば危険だ。

 急いで探していると、ようやくそれらしいものに手が触れた。持ってみると中に電池が入っているのか、揺らすとカタカタと音が鳴る。スイッチを押すと、丁度向いてた秋希の付近が明るくなる。この暗やみでは、わずかな光でも頼りに思えた。


「やっと見つけた」

「良かった。ちょっとそのまま照らしてて」


 俺は頷いて、明かりを一定の方向へ照らしながら近づく。秋希はあちこちの棚を探りながら、必要な用具を揃えて銀のトレイに置いていく。道具が揃え終わると、今度は薬瓶などがある棚を漁り始める。


「何を探してんだ?」

「麻酔があるかなって」

「麻酔? そんなもん学校にあんのかよ」

「分かんないけど」


 果たして麻酔なんかが、保健室にあるのだろうか。聞いた事ねぇぞ。まず学校で手術なんかしないだろうし、せいぜい痛み止めくらいが――。


「あった!」


 ――と考えているうちに、秋希がそれらしい薬瓶を指さす。マジかよ、あったのかよ。瓶には知らない英語が書かれており、危険を示すビックリマークみたいなのも書かれていた。

 問題は、その薬瓶がある棚は厳重に鍵がかかっている点だ。鍵は間違いなく保険の先生が持ってるだろうし、その辺にはない。唯一、薬瓶のある棚はガラスの小窓があるので、もし抵抗がなければ……いや、鍵がかかっているんだから、不用意に開けるべきじゃないだろ。


「鍵がかかってんじゃねぇか」

「うん」いや、うんじゃねえって。「トオル、ガムテープか何か粘着力が強そうなテープ探してくれない?」


 もしかしたらって思ったが、こいつ本気でガラスを割るつもりらしい。これでもし杏子が元気なら遠慮してたところだが、既に時間は使いすぎている。一瞬ためらったものの、俺はすぐに机などを探してガムテープか何かないかと探してみる。

 机の棚、一番下の段を探すと、あと少しで使い切りそうなガムテープを見つけた。窓を割るのに使うとしても、ぎりぎり足りるだろう。


「あったぞ、ガムテープ」

「ありがとう、頂戴」


 張りから割るまでの工程は自分でやるらしい。まあ力仕事も得意みたいだし、俺はガムテープを渡して行く末を見届ける。

 秋希は窓ガラスにガムテープをぴっちりと張り付けて、別の棚にあったかなてこのようなものを握る。軽く振りかぶりながら、何度がガラスへと打ち付けた。数度打ち付けて、あと少しという所で最後に力強く叩く。するとガラスが折れるような音だけを立てて割れる。破片も中に大きなのが一つ、ガムテープごと落ちただけだった。秋希は腕をケガしないように気を使いながら、中にある薬瓶を取り出す。


「よし、これで全部揃った」


 ひとまずは安心と言った所だろう、秋希はぷうっと深く息を吐く。


「でもどうすんだよこれ。保健の先生に見つかったら――」

「それよりも人命優先。きっと先生も分かってくれるから」


 秋希はよく保健の先生の手伝いもしてたんだっけか。そのへんについては、まあ言う通りに信じておいた方がいいだろう。

 全ての材料がそろい、ようやく傷口の縫合へと取り掛かれる。秋希は道具や薬瓶を置いた銀のトレイを持ち、杏子の近くへと寄る。俺は作業ができるように、明かりを向けていた。

 秋希はゴム手袋をはめて、その上から消毒液をかける。するとなぜか俺のほうにも、ゴム手袋を差し出してきた。


「おい、俺には無理だって」

「そうじゃなくて、傷口を抑えててほしいの」

「脅かすなよ。それくらいならまあ」


 人間の手は二本しかない。そんなのは火を見るよりも明らかだ。縫合する際、一体誰が傷口を抑えるってんだ。答えは簡単。協力者をひとり見つければいい。俺は指示通りゴム手袋をはめて、手袋ごと消毒液をかける。ペンライトを持ちながらでは傷口を抑えられないので、口にくわえておく。


「じゃあ始めるね」秋希はドラマで見た医者みたいに、裏返した手を顔の近くへと上げていた。俺もつられて同じようにしてしまう。「まずガラス片を抜くから、そしたらすぐにトオルは傷口を抑えて」

「ああ、分かった」


 頷くと、秋希は次に杏子の方へ顔を向ける。


「杏子? これから刺さった破片を抜くから、ちょっと我慢しててね」


 杏子は問いかけに応じなかった。多分意識がなくなりかけてるんだろう。


「もし暴れそうなら抑えておくか」

「そうなったらね。でもガラス片を抜いたら、すぐに傷口を抑えてあげて」


 俺は頷いて、杏子の方を向く。


「杏子、大丈夫だ。秋希が助けてくれる」


 返事はない。勿論期待していなかった。ただ少しでも気休めになるなら、と声をかけただけ。


「じゃあいくよ」


 再び頷いて、俺は構える。秋希はゆっくりとガラス片と杏子の足に手をかけて、傷口が開かないよう慎重に抜いていく。傷口から血の噴き出る音が聞こえる気がした。杏子の方は、やはり痛いのだろう悶えていたが、大暴れする様子はない。荒い呼吸をしながら首を左右に振るだけだった。もう手足に力が入らないのか。


「抑えて!」


 杏子に気を取られてしまい、秋希がガラス片を引っこ抜いたのに気が付かなかった。一瞬出遅れたせいで、わずかに血が噴き出てきてしまった。


「くそっ、ヤベェ」

「大丈夫。そのまま抑えてて」


 秋希は消毒液の刷り込ませたガーゼで、傷口の辺りを消毒する。その度にまた杏子が小さな息遣いでうめく。それが終わると、ついに針と糸の出番だった。


「じゃあそのまま針を通していくから、トオルは手をゆっくり下にずらしていって」


 俺は緊張のあまり、声が出せなくなってきた。つばを飲み込んで、頷く。秋希はまずは苦労して入手した麻酔薬を、注射針に入れていく。ある程度入れると、手慣れた様子で針から液体が出てくるのを確認するため、針をはじいたりしながら一滴程度出していく。それを済ませてから、杏子に一声かけて傷口からさほど遠くない場所に注射針を刺して、ゆっくりと麻酔薬を入れていく。注射を終えて、消毒と絆創膏を素早く済ませると、既に糸の通った針を取る。秋希は俺の方を見て首を縦に振る。準備は大丈夫かって事だろう。俺も同じ方法で答えた。

 秋希は傷口の端へ、ゆっくりと針を入れていく。麻酔が効いて来たのだろう、杏子は一瞬うめき声をあげたが、小さなものだった。傷口の端と端が糸でつながれていく。俺はその様子を、固唾を飲んでみていた。実際に見るとなかなかきついな。少しばかり吐きそうになるが、二人の為に必死でこらえる。そのせいで余計緊張が高まってしまった。

 それからも秋希は見事な針さばきで、傷口を縫い合わせていく。それが終わると、医療用のホチキスでしっかりと固定して、ようやく処置は終了した。最後のホチキスを入れ終わって、秋希もそれまでの緊張を吐き出すように深く息を吐いた。よく見ると、額が汗だらけになっていた。


「すげぇな、秋希。マジでやっちまったぞ」


 俺も緊張をほぐしたくて、たまらず声をかけてしまう。秋希は肩で息をしながらこちらへ微笑みかけた。


「良かった。実際にやるのは初めてだったし、もしもの事があったらどうしようかと」


 今の言葉を聞き流すべきだろうか。いやそうだな。縫合は成功に終わったんだし、むしろ褒めたたえるべきだ。


「とにかくお疲れさん」

「トオルも、手伝ってくれてありがとね。あと、けっこうきつかったでしょ」

「何が?」


 とは言わなくても分かっているが、あまり不安にさせたくないので強がりを入れておく。


「だって施術中、顔真っ青にしてたよ? こういうの、あんまり得意じゃないとか?」

「まさか。初めてでちょっと焦っただけだって」俺の言葉を飲んでくれたのかは分からないが、秋希は愛想笑いで帰した。「んで、これからどうするんだ」

「まず杏子の様子を確かめないと。落ち着いたら、みんなと合流しよう」

「そうだな」


 アイツら、ケンカしてなけりゃいいが。ひとまず杏子はどうなのかと、立ち上がって様子を伺う。相変わらず意識は朦朧としているようだが、表情は穏やかになっていた。呼吸も規則正しくなっている。


「大丈夫そうだね」

「ああ」

「あとは回復待ちかな」

「どれくらいかかりそうだ?」

「分かんないけど、時間はかかるよ」


 それまでは、ここで待つしかない。俺も秋希も、それを覚悟していたかのように椅子を持ってきて、杏子の脇に座っておく。わずかな間沈黙が流れたが、俺はすぐに話題が思いついて、尋ねてみることにした。


「ところで秋希」

「もしかして、さっきのガイコツ?」


 秋希は杏子へと顔を向けたまま、俺が尋ねようとしていた話題を当てる。


「何で分かった?」

「分かるって。だってこの状況で話すことと言えば、それしかないでしょ?」

「まあそうだけどな」どっちにしろ、その方が話も早い。「あのガイコツ、機械で動いてるんじゃないだろ」

「そもそも、そんな機能ないって。でもひとりでに動いてたし……それに」そこから秋希は、妙な間を置いた。少したって、頷いて再び言葉がつづく。「あのガイコツを殴った時、何か骨というより、人の頭を打っちゃったって感じがしたんだ」


 覚えはある。俺もガイコツを抑えようとした時、骨ではなく人の肌を触ったような感触があったからだ。


「お前もか? 俺もアイツを抑えた時、人の感触がしてさ」

「……やっぱり、気のせいじゃないんだね」

「ああ」


 再び、沈黙が流れる。俺はその間、これまでに起こった出来事を振り返る。突然誰もいなくなった学校。都市部にいるはずなのに、霧に包まれたようにあたりが暗くなる。突然強まった雨。風も出て来て、それは窓ガラスを割るほどに強烈になった。そしてひとりでに動くガイコツ。でも人間の感触があった。

 本当は信じたくなかった。そんなのは映画や小説だけの話でしかなかったのに。でもここまであからさまな状態に陥っていると、どうあっても一つの現象しか思いつかない。きっと涼野は、誰よりも俺たちが置かれている状況を理解しただろう。結果的に、俺達はアイツが考えていた、あって欲しくない状況へと飲み込まれている。


「秋希」俺はまとめた考えを、まずは一番信頼できる相手に伝えることにした。「俺たちは――」

「分かってる」秋希は言葉を遮って、強い語気で呟く。「コトちゃんの様子をみたら、私もすぐわかっちゃった」

「結局、アイツが正しかったな」

「コトちゃんにはそれが一番辛いと思うよ、きっと」


 かもしれないな。分かっていながら、防ごうとしてもできなかった。それどころか、六人の内二人は信用してない。無理もないだろう。ありもしない、空想だけのものだった現象に巻き込まれて、むしろ適応する方が正気を疑われる。でももう、俺たちは認めるしかない。俺たちは間違いなく、怪奇現象に巻き込まれているんだと。

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