第9話 動く骸骨

 照明が消えた廊下は、ひたすらに漆黒が続いていた。涼野を先頭に、俺たちは壁に手を当てながら、自分達がどこを歩いているのか確かめつつ進んでいく。しばらくすれば目も慣れて来て、ある程度なら周りの景色を判断できるようになってきた。俺は目の便利さに感謝しつつ、さらに足を進める。


「コトちゃん、どこに向かってるの?」


 そこから少し歩いた先で、秋希が尋ねる。それなりには歩いてきたが、まだ安全とは言えないのだろうか。


「正直分からない。さっきの現象を見る限り、窓がある場所ならどこも危険みたいだから」

「んだよそりゃ。結局どこも安全じゃねーのかよ」

「坂橋くん、今はコトちゃんに任せようよ」


 女性陣はたくましいというのに、この坂橋は女々しく喚きやがるな。秋希に諭されて大人しく黙るものの、どうせ納得してないんだろう。

 ただ、安全な場所がないというのは間違いなさそうだ。学校に点在する教室、部屋の中で、窓のない場所なんかどこにもない。だとすれば窓が割れても、雨風をしのげるような場所こそが安全といえるだろう。そうすると、便所の個室しかない。勿論、この状況では避けるべきかもな。まあ必要に迫られれば、必然的にそうなるだろうが。

 やがて涼野は、ある教室の前で立ち止まる。そこは他の教室と比べても、雨水が窓にかかっていなかった。風も自在に向きを変えられる訳じゃない。強風が吹きつけても、無事な可能性が高い。

 俺たちは教室に入り、出来る限り窓から離れた場所を陣取る。


「ここなら多分安全だと思う」

「こっちの方は向かい風になってるのかな」

「うん。万全じゃないけど」


 だがないよりはましだ、と涼野と秋希は胸をなで下ろしていた。対して俺以外の男性陣は気が気じゃないようで、今も身震いを指せながらあちこちを見回していた。

 教室にはいくつか机があり、工夫すればいざという時雨風をしのげられるかもしれない。


「じゃあ私は杏子の手当てをしないとだから、保健室に行ってくるね」

 落ち着いたのもつかの間、秋希は杏子の肩を支え直した。

「待って秋希ちゃん。一人で行くのは危ないって」

「大丈夫だよ。すぐ戻って来るから」

「そうじゃなくて……」


 涼野が何を言いたいのかは分かった。だとすれば、ここは一つ手を貸すべきだろう。


「なら俺も行く」


 俺が手を上げると、全員がこちらを向く。


「トオル、お前もかよ」


 小暮がどこか不満そうな声色で漏らす。


「その方がいろいろ安全だろ。なあ涼野」

「でもこういう時は全員で……」

「ざっけんな。オレはここから動かねぇ」


 一応はここが安全だと判断したのだろう。だがその次に、こいつは駄々をこねやがった。


「だから坂橋くん、こういう時一人になるのは駄目だって」

「おい涼野。それってどうせ、ホラー映画とかの受け売りだろ」


 声を震わせる小暮。


「でも非常時に単独行動が危ないのは本当だよ」

「それはおれも分かってる。でもな、幽霊だの何だのには付き合わねぇぞ」

「ねぇ待ってよ。まだ私たちがどんな状況なのか分かってないでしょ? それなのにいがみ合ったってしょうがないよ」


 言い合いの最中に、秋希が割って入る。それにこうしている間にも、杏子の怪我もひどくなっていく一方だ。


「いいかお前ら。今どんな状況になってるにせよ、まずは杏子の怪我をどうにかしねぇと。それから好きなだけいがみ合えばいい」


 皮肉だが、杏子の怪我という事実だけが俺たちを冷静にさせてくれた。小暮も坂橋も納得せざるを得ない様子で、ぶっきらぼうに首を縦に振る。


「ならわたしも残るよ。二人は早く杏子ちゃんを保健室に」

「その間、お前達は机を使ってさっきのようなのを防ぐようにしておけ」


 涼野が頷き、小暮と坂橋もはいはいと適当な返事をする。


「三人とも、気を付けて」

「ありがとね、コトちゃん」


 秋希が礼を告げて、杏子の肩を支え直す。俺たちは廊下へと出て、再び暗い闇のなかを歩く。

 様々ないがみ合いを経たせいか、杏子の方は疲弊しきっていた。既に息も浅く、足取りもおぼつかない。ほぼ秋希が背負っているような物だった。いくら力持ちの秋希でも、人一人の体重を支えながら歩き続けるのも辛いだろう。


「代わるか?」


 尋ねると、秋は一瞬俺の顔がどこにあるか分からないようで探してからこちらを見つけた。


「ううん、大丈夫」

「本当に?」

「いいって」


 と、言うもんだから俺も大人しく従っておく。再びしばらく歩いて、ふと俺はあることが気になった。


「そういや、お前けがの手当てとかできんのか」

「うん。簡単なものだけど、お母さんから教えてもらってるから」

「おばさんって、医者なのか?」

「あれ、言ってなかったっけ」

「初めて聞いたぞ、そんなの」


 おばさんとはよく顔を合わせているが、医者ならなんで普段から会えるんだ。大抵医者ってのは、病院にかかりきりで忙しいはずなんだが。


「もしかして、医者って割には暇そうに見えるから?」


 俺の心を見透かしたように、秋希がぴしゃりと当てる。


「だって医者ってのはそういうもんだろ」

「元々はね。でも私が生まれてからは非常勤に変えたんだって。お父さんの方も安定してるみたいだし」


 意外だな。そういや、おばさんが何の仕事してるか全く知らなかった。おじさんの仕事も、職種は教えてもらっているが細かい内容は聞いていない。ただ、秋希が傷口の方法を手倣ったというのは安心できる。

 だが問題はまだある。視界は暗闇に馴れてこそいるが、それでも完全ではない。これから先どうなるにせよ、懐中電灯の一つでもほしいところだ。照明も復旧する気配がなさそうだし。


「杏子の怪我をどうにかしたら、懐中電灯でも探さないとな」

「うん。職員室にはあったと思うんだけど……」


 そこから先は言わなくても分かる。まず俺たちは、あそこから逃げるのに必死だった。懐中電灯を持っていくなんて気を使えなかった。また行くにしても、あの様子じゃあもう懐中電灯がどこにあるかなんてわからなくなってるだろう。


「なら用務員室に行かないとな」

「そうだね。後で寄ろう」


 とにもかくにも、まずは杏子だ。だいぶ苦しそうだし、かといって傷口が開いてしまわないよう急ぐわけにもいかない。もどかしいもんだ。

 ふとその時、いきなり視界に光が広がった。まぶしいなかで眼を細めると、どうやら照明が付いたようだ。

 ありがたいと思ったのもつかの間。何故かガイコツの模型が、廊下の真ん中に鎮座していたのだった。


「何、あれ……」


 秋希は立ち止まり、低い声で尋ねてくる。いや、感想なだけかもしれない。嫌な予感がした。本来あるべきじゃないところに、不気味なものがある。

 するとまた照明が消える。せっかく暗闇に馴れたところでこれかよ。しかし再び照明がついて、ガイコツの模型がさっきよりも近付いていると知って、どうでもよくなった。


「あれ、近づいてない……?」

「ああ、多分」

「嘘……」


 秋希の呼吸が荒くなるのが聞こえた。


「どうしたの……」


 おびえる秋希に気が付いたのか、杏子が不安そうに尋ねてくる。


「杏子、ちょっと我慢できる?」

「え……」

「ごめんね、ちょっと痛くなるかもだけど」

「何……何が起きてんの……?」


 杏子が顔をあげると、そこでようやく目の前にあるガイコツが見えたようだ。だが次の瞬間、再び照明が消える。俺は神経を研ぎ済ませて、奴がどこへ行ったのかを探す。だが暗やみの中で、いきなり目は見えない。何か音でも――それすらも、外の雨音でかき消されてしまう。

 探しているうちに、再び照明が付く。するとガイコツは、俺たちのまえから消え去っていた。

 安堵したのもつかの間、隣にいた秋希が擦り切れるような金切り声を一瞬出す。息が止まったのが分かった。振り返りたくはない。だがそれでも、秋希の身に何が起きているのか知るために、俺は石のように硬くなった首を向ける。

 ガイコツが、秋希の肩に手を置いてた。しかもそいつは、秋希の方へ顔を向けてきやがった。それだけなら良かった。だがガイコツは空いていたはずの手に、包丁のような刃物を持っていた。


「秋希っ!」


 気づいたときは、丁度ガイコツが包丁を振り下ろそうとした時だった。俺は思わず奴にとびかかり、地面へともたれこむ。奴を地面に押し付けていると、不思議な感覚が手を伝わってくる。こいつ、骨だけしかないはずなのに、肌のような感触をしていやがる。

 俺は驚きのあまりその場を離れて、しりもちをついてしまう。ガイコツはその間に立ち上がり、しっかりと包丁を持ち直して俺を見おろす。慌てて立ち上がり、秋希たちがどうなったのかを確認しようと振り返る。

 どうやら向こうも転んでしまったらしい。秋希は無事だったが、杏子が痛みに悶えて動けなくなっていた。よく見るとガラス片がさらに奥へ入ってしまったらしい。


「お願い、立って杏子!」

「無理……動けない……」


 焦る秋希と、涙声ながらの杏子。ガイコツの方を振り向くと、既に目標を俺たちへと向けて、ゆっくりとした足取りながら来る。武器になりそうなものがないか、近くを見回してみる。だがこの廊下に、そう都合よく物が落ちている訳がなかった。

 ならば俺に出来る事は一つ。とにかく杏子を支えて、どうにか逃げるしかない。俺は急いで杏子の側へ滑り込み、秋希に声をかける。


「早く逃げないとまずい」

「分かってるって! お願い杏子!」

「嫌……できない……」


 いっそ無理やりにでも動かすか。そう思ったが、杏子の足はそれを許さない程に悪化していた。血は滝のように流れており、少しでも動いただけでさらに傷口を広めてしまうだろう。ならばガラス片を抜くか。いや、それが一番まずい。傷の様子からして、むしろガラス片が流血を食い止めているような物だった。それを抜けば、杏子の死は早まる。

 後からは包丁を持った動くガイコツ。杏子も動けない状態。八方ふさがりな状況の中、ふと秋希が立ち上がる。


「待ってて、すぐに戻るから」


 驚く暇もなく、秋希はどこかに立ち去ってしまう。逃げた――いや、秋希に限ってそんな事はない。

 それよりも、俺たちには待つ時間がない。そうしている間にも、ガイコツはこちらに迫って来る。幸い動きは鈍重だったが、杏子も歩けないため待っている間に追いつかれてしまう。


「杏子、動けるか」


 だとしても、何もせずには待てない。その間に捕まる。俺が大丈夫だとしても、杏子は間違いなく犠牲になる。それだけは避けないと。


「無理……動けないって……」


 杏子も状況を理解しているんだろう。ついには涙を浮かべてしまった。俺はいてもたってもいられず、上着を脱ぐ。


「頼む杏子。歩かなくていいから、少しだけでも進んでくれ。傷口は俺が抑えるから」

「無理っ……! できないって……!」


 傷口を見ればすぐに分かる。少しでも動けば、血が噴き出てくるくらいだ。


「大丈夫だ。もう少しで秋希がなんとかしてくれるから」


 俺は尋ねる前に、脱いだ上着を使って杏子の傷口を抑える。痛みに堪える杏子だが、出血はある程度マシになってくれた。ふと顔をあげると、既にガイコツが手の届く範囲まで来ていた。


「杏子っ!」


 つい叫んでしまったが、杏子は答えてくれるように、泣きじゃくるような声を出しながら一歩ずつ腕だけの匍匐前進を始めた。ガイコツと歩調は同じで、何とかギリギリ届かない距離を保ちつつある。その間も、傷口からは油断すると血が噴き出てくる。俺はしっかりと傷口を抑えておく。秋希、早く来いと祈りながら。

 十歩ほど進んだところで、杏子が腕を止めてしまった。鳴き声すら出さず、ただ突っ伏してしまう。ちらりと顔が見えたが、唇が真っ青になっていた。すでにここまで相当出血しているし、もう限界を迎えてしまったのだろう。

 ガイコツはそんな俺たちなぞつゆ知らず、足元まで来ると俺たちを見おろす。せめて杏子だけでも、と思い、俺は覚悟を決めて立ち上がろうとした。

 その時、奥から駆け寄る音が聞こえた。そちらを見ると、秋が何か黒い棒のようなものを持ってこちらへ迫って来ていた。


「二人から――」よく見ると、秋希が持っていたのは金属バットだった。それを走りながら振りかぶる。「離れろォ!」


 鋭い金属音と共に、かたかたとプラスチックの割れる音が響く。ガイコツはその一撃でばらばらになり、地面へと部品を転がせていった。

 秋希は肩を弾ませながら、金属バットをその辺に放る。それから俺たちのもとへしゃがみこんだ。


「大丈夫?」

「杏子が……」

「うん。早くケガを治療しないと」すると秋希は、杏子の体を担ごうとする。「トオルも手伝って」

「あ、ああ」


 俺も有無を言わない内に、手を貸して杏子の体を支える。既に意識は朦朧としていたが、まだ呼吸はある。ガイコツがどうなったのかは気になったものの、今はそれどころじゃない。廊下も明るいし、今の内に進んでおこう。

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