第8話 凶器の風
大粒の雨は景色を隠すように降り続いている。暗闇の先にはあるはずの街が見当たらない。風も出てきたのか、窓はかたかたと音を鳴らして、ガラスに無数の雨粒が吸いこまれるようにくっつく。自分が学校にいるのは分かっていても、果たして俺の知る場所なのか、段々と分からなくなってきた。
俺たちは一体何に巻き込まれたんだろうか。校舎に逃げ帰ってから、じっと外を眺める。今朝の天気予報でも、これほどの雨が降るとは一言も言ってなかった。明らかに異質な状態だ。
他のヤツらも、何がどうなっているのか分からないのだろう。各々うろたえていた。
「なあどうすんだよ」
坂橋は声を震わせながら、全員に尋ねた。単なる質問でも、どんな答えを欲しているのかを気にしてしまう。無事に帰れるのか、それとも帰れないのか。
「とりあえず電話してみないと」
この中で最も焦っても仕方がない立場なのに、秋希はいたって冷静だった。
「そ……そうだね。一応つながるか確認したほいがいいよ」
ホラーが好きと自負している涼野も、自分が体験する立場になると怯えすくんでいた。先日も聞いたが、こいつは怖い物が好きなのであって、決して物怖じしない性格ではない。だからこそホラーものを楽しんでいるのであって。
秋希の提案通り、俺たちは電話がある職員室まで向かった。廊下は明かりもついているし、六人で固まれば恐怖も薄れる。もしかするとたまたまが重なり合って、こんな現象になっているのかもしれない。そう思わなきゃ、最悪なパターンを考えてしまう。勿論最悪なパターンとは、俺たちが怪奇現象に巻き込まれた場合だ。でもそうと決まったわけじゃない。
無事に職員室までたどり着く。先ほどと同じ景色と比べて変わったのは、席の一つにあったコーヒーが既に湯気を出していなかった点くらいか。誰かと鉢合わせられたらよかったが、やはり人の気配はない。
「やっぱり誰もいない」
秋希ももう一度、確認のため部屋中を見まわしていたようだ。
「ウソだろ。どうなってんだ」
「さっき先生たちいたのに」
小暮も涼野も、ウチの学校の教師が何時までいるかは把握している。図書室の鍵を返却する時に、職員室に来るからだ。確か今日は涼野が鍵を返していたんだったな。
「何人くらいいた?」
尋ねてみると、涼野は指折で数える。折り返して丁度一つ開いてから、頷いた。
「六人だったと思う」
「何か言ってなかったか?」
「ううん何も。ただこれから別の仕事をするって感じだったよ」
涼野は首を振ってから、図書室の鍵を返却する際、声をかけた教師の机を指す。それが淹れたてのコーヒーが置かれていた席だ。
「とにかく電話してみようよ」
「電話って、どこにだよ」
秋希が手近な電話に手をかけたところで、坂橋が疑問を投げかける。確かに、かけるとしてもどこにかけりゃいいんだ。学校はここだし、警察か。それでもいいかもしれない。あるいは家族――いや、秋希の場合、おばさん達は病院にいるんだったな。
「とりあえず警察に電話をかけてみたほうがいいかも」
涼野の提案に、秋希は首を縦に振る。だがそこへ小暮が待ったをかけるように、受話器に手を置く。
「でもどうすんだよ、何でもなかったら。いたずらって思われるかもしれないだろ」
「わたしからすればそっちの方がいい。だってもしそうだったら、わたしたちは何もなかったってだけなんだから」
でも……と小暮はいいかけたが、納得したのか受話器から手を離した。それを見て秋希はダイヤルを押して、早速電話を掛けた。
しかし繋がらないのか、すぐに耳から受話器を放してもう一度ダイヤルを押す。
「あれ……おかしい」
秋希の言葉を聞いて、涼野の顔から血の気が引くのが見えた。それが指し示すのはつまり……。
「ま、待てよ。ちょっとオレに貸してくれ」
半ば強引に、秋希から受話器を奪う坂橋。奴は自分の自宅へとかけようとしたようで、ダイヤルを素早く押す。俺は心の中で繋がってくれと願った。もしつながれば、こいつの家経由で警察か何かに呼びかけられるからだ。
だが、うまく行かなかった。坂橋は三回ほどダイヤルを押して呼び出しをしたが、つながらなかったようだ。肩をはずまぜながら呼吸をして、坂橋は受話器を置くと机に両手をついたまま動かなくなった。
「……つながらなかったのか」
小暮が恐る恐る尋ねて、坂橋は一瞬真顔の表情を見せる。だがすぐに作り笑いを浮かべた。
「ま、まあこーいう事もあんじゃん? ホラ、こんな雨で電話回線切れちまったとか」
「だよな。普通電話がつながらないなんてありえないだろうし」
俺もその線を信じたかった。それが最も現実的な理由だから。窓の向こうでは、尚も大粒の雨が降り続いている。遠くでは空が光っていたが、まだ遠い。とはいえ電話回線自体は向こうまでつながっているだろうから、多分雷のせいで電話回線が切れたんだろう。
でも完全には納得できなかった。涼野の怯え切った表情は、じっと窓を見つめる。
と思ったら、涼野は突然天井を見あげた。その時同時に、何か金属が擦れるような音も聞こえたような。いや、空耳にしてははっきりとしすぎていた気がする。まるでこの部屋で鳴ったような。だが辺りを見回しても、誰かが金属に触れた気配はない。
「……窓から離れて」唐突に、物々しい声で呟く涼野。俺たちはいっせいにそちらを向いた。「いいから離れ――」
涼野が叫んだと同時に、突然照明が消える。突風が吹き荒れて、雨が窓を打ち付けた。風は弱まるどころか一層強くなり、雨もまるで俺達を狙いすましたように、向かってくるようだった。
次の瞬間、突風と大雨に耐えられなくなった窓が一斉に割れる。あわてて近くにあった机の影に潜り込む。風はうなりを上げて、雨水が部屋を浸すように入って来た。机の上にあっただろう書類やペン、コップ、電話機が部屋中を暴れ回る。俺は頭を抱えて守る。
他は無事に隠れられたのだろうか、と薄目に辺りを見る。秋希は涼野の言いつけ通りにしたおかげか、一緒に机の下で身を寄せ合っていた。小暮と坂橋は奥の方にあるソファの影で、互いに四つん這いになっていた。唯一見当たらなかったのは杏子だった。
部屋中を水浸しにして、風と雨はひとまず部屋から去った。俺は安全かを確認しながら、机の下から這い出る。それに気が付いた他のヤツらも、立ち上がって辺りを見回す。
「皆、大丈夫?」
秋希が声をかけて、小暮と坂橋はひどく青ざめた表情でうなずく。俺は丁度秋と目が合い、それだけで互いの無事を確認できた。
ふと静まってからよく耳を澄ませると、誰かが「助けて」と言っているのが聞こえた。それは幽霊なんかじゃない、間違いなく杏子の声だ。
秋希も聞いたのか、辺りを見回す。すると杏子は丁度窓辺でうずくまっていた。しかも全く無事じゃない。杏子の右足のふくらはぎに、拳ほどの大きさもあるガラス片が刺さっていた。付近は水のせいもあってか、血で浸されていた。
「杏子、大丈夫!?」
秋希は濡れる心配をよそに、膝をついて杏子の怪我を心配した。杏子は苦しそうに、怪我をした方の足を支えながら首を横に振る。
「痛い……」
「何か、手当できるものは――」
と、息をつくのもつかの間。再び風が強まって来た。
「やべぇぞ、ここから出ないと」
直感でそう思った。散らかった部屋を見る限り、次は物が飛び交うかもしれない。
全員、俺の意見に頷いてくれた。杏子は秋希が肩を貸してやるようで、担いで立ち上がった。その背後で段々と風が強まり、雨水もさっきのように横長になってきた。その前に俺たちは急いで職員室を出て、廊下へと戻る。戸の向こうでは俺が予想していた通りの事態が起きていた。風は部屋の中で竜巻のようにうなり、散らばった小物類が飛び交う。
不思議なのは、その現象が起きていたのは職員室だけだった。廊下に出ると、風も雨も、嵐という程には見えなかったからだ。そんなこと有り得るだろうか。
「これからどうすんだよ」
ひきつったような声色になる坂橋。
「とにかく安全な場所を見つけないと」
涼野は早口で答える。
「安全な場所ってどこだよ!」だが求めた答えではなかったようで、坂橋は声を荒らげる。俺たちは互いに驚いてしまい、立ち止まる。「さっきの見ただろ。窓があんな風になっちまって。どこに安全な場所何かがあるんだよ」
「それは……」
涼野だって、それは分からないのだろう。この中の誰も分かってない。ただ一つ確かな事があるとすれば、俺たちはここで立ち止まってはいけないという事実だけだ。
「杏子?」
杏子の肩を支えていた秋希が、ふと支え直す。二人の足もとを見ると、入り口から廊下まで丸い血痕がぽつぽつと跡になっていた。このまま放っておけば無事では済まなくなる。
「とにかく、どこでもいい。休める場所を見つけないと」
「だから、それがどこにあるのかって聞いてんだよ!」
うながしたものの、坂橋はまだ納得がいっていないようだ。
「坂橋君、今そんな事言ってる場合じゃないでしょ。杏子が大けがしてるんだよ? 早くしないと――」
「んなのは分かってんだよ!」秋希の言葉へ、食い気味に叫ぶ坂橋。「その上で聞いてんだよ、どこが安全なのかって」
本当にこいつは杏子のことを考えているんだろうか。いや、自分が助かりたいだけだろうな。だって杏子がケガしてると分かってから、こいつが自分の彼女を助けようとした形跡がない。肩を貸しているのだって秋希だ。もし少しでも杏子を心配しているのなら、いざこざは忘れて手を貸すはずだろうに。俺なら絶対そうする。
「叫んだって何も解決しないよ。でもまずは、杏子の怪我を手当てしないと」
「秋希ちゃんの言う通りだよ坂橋くん。こういう時、パニックになるのが一番よくない」
二人の女は冷静だった。もしそうでなければ、このくだらないやり取りは永遠とつづいただろう。だが坂橋とて、杏子の怪我を見過ごすわけではなさそうだ。悪態をつきつつも、ぶっきらぼうな声で「ああ」と頷いてくれた。
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