第7話 雨隠れ

 何となく違和感を覚えた。ウチの学校って、こんなに人の気がなかったっけか。多分教師や用務員の人はまだ残ってるだろうし、気のせいだと思うが。他はそう感じたのかは分からないが、矢継ぎ早に会話を繰り広げていた。まず最初に、秋希の母親の状態についてだった。昨日言わなかったことを含めて、おばさんがどういう状況なのかをかいつまんで説明していた。それで付き合いが悪くなったのだと、全員納得したようだ。

 それからは皆秋希を元気づけるためにか、何とか楽しい話をしようとしていた。今日学校でどんなことが起きたとか、昨日のテレビの話だとか。そんな中でも、坂橋と杏子は互いに口を利かなかったが。俺が思うに、この二人が楽しく話をする方が、どんな話題よりも秋希を安心させられると思うんだが。それを願っても仕方がないか。

 玄関口までついて、全員靴に履き替える。それぞれ傘を手にとって、俺はドアを開けようとした。するとなぜか、鍵がかかっていた。


「あれ」


 つい言葉を漏らしてしまう。


「どうしたの?」


 秋希が顔をのぞかせて、代わりに開けようとした。だがやはりびくともしない。


「鍵かかってるの?」


 後にいた涼野が、坂橋ら三人のあいだを縫って近づいてくる。


「うん、そうみたい。私鍵もらってくるね」


 秋希は急いで靴を履き替えようとした。


「ちょっと待て。俺も行く」


 その前に、秋希にいろいろ尋ねたいため、鍵を取りに行くのを口実に二人だけの時間を作ろうとした。皆の前じゃあ言いにくい話もあるだろうし。


「え、いいよ」

「別にいいだろ。どうせここで待たないといけないだろうし」


 他のメンツはどうかと振り返ってみる。全員異議なし、と言った感じで、頷いたり勝手に話を始めたりとしていた。


「分かった、一緒に行こ」

「ああ」


 秋希も同意してくれたので、俺は一緒に鍵を取りに向かう。しかし一体どうして鍵を閉めたのか。俺たちがまだいるって知らないのか。ウチの学校は防犯も兼ねて、内側と外側両方に鍵穴のついた戸を使っている。内側から鍵をかければ、何があっても外側から鍵を開けられない様な仕組みらしい。内側から鍵をかけて外に出る馬鹿はいないだろうから、その辺は気にしなくていいようだ。

 厳重になった理由はもちろんある。過去に何度か、不審者が侵入したことがあるという。それでより厳重な戸を使うようになったのだとか。さらに鍵の管理も徹底されて、必ず職員室で管理されるようになっていた。そのため誰かが鍵を閉めると、こうやって一々取りに行かなくてはならない。一応最終下校時間からしばらくは空いてるはずなんだが。時間を確認してみたが、まだ三十分と経ってない。以前締め出しを食らった事があるが、そん時は一時間半もオーバーしていた。しかも丁度教師が鍵を閉めていたので、丁度いいタイミングだったんだよな。なら今日のは早すぎるような。


「何か、嫌な事が続いてるね」


 ふとぽつり、秋希が暗い面持ちで呟く。相手が俺だけだからか、から元気ではなく素のしょぼくれた様子になっていた。


「おじさんがついてんだろ。おばさんなら大丈夫だって」

「でも救急車で運ばれたのは初めてなの」

「多分おじさんが大げさになっちまったんじゃねぇのか」


 元気づけるつもりだったが、結果は芳しくなかった。秋希は納得がいかない様子で首を横に振り、鼻をすする。瞼はかすかに光り、涙が見えた。最悪な事態を考えてしまったのだろう。


「っても、いつもは一週間経ったら元気になんだろ。多分今年は普段より辛くなったとか、別の病気で体調崩しちまったんだろうぜ」

「でも、もしもの事があったら……」

「人間そう簡単に死なねえって。おばさん持病はないんだろ? だったら大丈夫だ」

「持病はないけど……」


 そこから先は続かなかったが、何を言いたかったのかは分かった。なので俺は言えなかった言葉の返答を告げる。


「歳をとりゃ、若い頃みたいにいかなくなんだろ。ウチの親だって歳を重ねる度に、腰がいてぇだの疲れがとれないだのって毎日言ってらぁ」

「そういうものなのかな」

「ああ。それに、今のお前見たら、おばさんもっと具合悪くするんじゃねぇの?」

「ちょっと、何それ」

「よく言うだろ、病は気からって。お前がしょぼくれてちゃ、おばさんも気が気じゃなくなるって」


 すると秋希は、頬をふくらませる。


「大きなお世話ですっ」

「ならピシっとしてた方がいいぞ」

「普段からちゃんとしてますぅ」


 もう、とそっぽを向く秋希。するとすぐに微笑みが見えて、俺の方へ向きなおすとくすくすと笑ってくれた。気晴らしになってくれたようだ。狙い通り。やっぱり秋希は笑っている顔がいい。

 そうこうしているうちに、職員室へとやって来た。ノックをして挨拶をしてから戸を開ける。誰かしらいるかと辺りを見回してみた。

 だが職員室には、誰一人いなかった。もう全員帰ったのか。いやそれはおかしい。普段からウチの学校は、五人か六人は夜遅くまで残っているのに。それが全員、最終下校時間に帰るってのはおかしい。


「どうして誰もいないの」


 秋希は尋ねるというよりは、感想を述べるような言い方をした。俺は気になって、教師の机を見てみる。ある席はもうすでに帰ったのか、片づけがされていた。だがいくつかの机は、直前まで誰かがいた形跡があった。書きかけのノートや湯気の立っていたコーヒー。まるでこれから作業をするかのような風景だが、そこに教師の姿はない。


「どうなってんだ」


 つい言葉が漏れる。


「あの! 誰かいませんか!」


 気になったのだろう、秋希は声を張り上げて呼びかける。だが誰も応じなかった。俺たちは互いに顔を見合う。


「どうする」

「とりあえず鍵は借りていこうよ。後で私が返すから」


 それ以外何もできなさそうだし、俺は頷いた。秋希は鍵置き場から玄関のカギを拝借して、俺たちは玄関へと戻る。

 玄関ではそれぞれ、時間を潰していたんだろう。おおよその割り振りがなされていた。坂橋は小暮と、杏子は涼野と。だが一番くっ付いて欲しい坂橋と杏子は、相変わらず距離が離れていた。


「ごめん、遅くなっちゃった」

「別に気にしてねぇよ。それより早く帰ろうぜ」


 坂橋は閉まっているとを数回押して開けようとした。早くしろって意味だろう。秋希は駆け足気味に鍵を開けて、そのまま急いで鍵を戻しに行った。俺は何でか、不意にため息をついてしまった。


「どうしたんだよ、トオルまで」


 すると小暮が様子を伺って来た。一応話しておくべきか。


「さっき職員室に行ったんだけど、誰もいなくてさ」

「なんだそれ。全員トイレにでも行ってるのか」

「分かんねぇよ。でも淹れたてのコーヒーとかあったし、誰かしらいるはずなんだけどな」

「トオルくん、それ本当?」


 小暮の脇から、涼野がひょっこりと顔を出す。ああ、こういうの本当に好きそうだな、涼野は。


「ああ」

「ちょっと聞くけど、職員室近くのトイレは確認した?」

「してねぇけど」

「じゃあ、トイレの方に誰か人がいる気配は?」


 どうだったかを考えてみる。全員トイレに行った、というのは流石に考えにくいだろ。大の大人が連れションって。それにもし社内恋愛で、いわばそういう事をしているんだとしても、なんらかの音は聞こえるはずなんだがな。それに仕事ほっぽってやるほどか。コーヒーを淹れて、さあ仕事しようって時に。


「いや」

「そっか。うん、分かった」


 含みのある返事をして、涼野は顎に指を当てる。


「だから涼野。そんな小説や映画みたいな事起きる訳ねえって」

「だとしても、おかしいと思わない? まるで今から仕事をするって感じだったのに、突然姿を消すって。普通じゃないよ」

「もしかして、腹壊してたとかじゃねぇの? トオルも、ちゃんと調べてないんだろ」

「まあちゃんと確認はしてねえけどさ」

「でも全員が同じタイミングでってのはおかしいし、その方が不気味だよ」

「だとしても、お前が望んでる状況よりかは現実的だ」


 すると二人は睨みあう。ただでさえ坂橋と杏子が雰囲気最悪だってのに、お前らまでケンカするのはやめてほしいもんだ。


「さっきからオメェら、ガキくせー会話してんな」


 一番言われたくないヤツが会話に混ざろうとして来る。その奥で、杏子が呆れてぽそりと呟いていた。内容は分からないが、多分「誰がよ」みたいな事言ったんだろうな。


「ちげえよ坂橋。おれは涼野に現実と小説の区別を付けろって言ってやってんだ」

「失礼な! わたし、これでもちゃんと空想と現実の区別つけてるもん!」

「そうかそうか。全然説得力ない」

「ハハハ。涼野、小説の読みすぎなんじゃねぇの?」

「わたしはあくまでも、可能性の話をしてるの!」

「はいはい幽霊はいます幽霊はいます」


 小暮の皮肉に、ギャハハと汚い笑い声をあげる坂橋。その様子を見て、涼野の顔が赤くなっていくのが分かった。


「ごめん、待たせちゃって」


 だがその前に、秋希がもどって来た。


「よし、秋希も戻ってきたことだし、とっとと帰ろーぜ」


 坂橋は何事もなかったかのように、戸を開ける。小暮も同調して、その後に続いた。


「本当に、存在するんだから」


 他のメンツがどんどん外へ出て行く中、涼野が呟く。ちょうど俺は聞いてしまった上、目もあってしまう。


「まあ、アイツらだって実際に出くわしゃ意見も変わんだろ」

「わたしとしては、そうあってほしくないんだけどね」


 そう言い残して、涼野も外へ出て行く。普通ならそんなこと心配しなくていいんだろうがな。全員が外へ出たので、俺もそろそろ後に続いた。

 外は朝と比べても、一層強い雨が降りしきっていた。あちこちでざあざあとうるさいくらいに雫が撃ちつけられており、普段はできないところでも水たまりが出来ていた。そのせいか、周りの景色も街灯が見えないくらい暗い。いや、暗すぎる。


「……なあ、この辺ってこんなに暗かったっけ」


 坂橋も違和感を覚えたのだろう、全員に尋ねるように指をさす。夜、それも雨の日に帰るのは今日が初めてじゃない。一年の時も学園祭まであと数時間って時には、陽が沈んでから帰るようになっていた。あの時はここまで大雨ではなかったが、それでも駅の方面にあるビル群はしっかりと見えた。だが今日は、まるで学校全体が霧でおおわれているように暗い。


「ま、まあ今日はかなり雨降ってるからな」


 小暮が傘越しに上を見あげる。言葉とは裏腹に、若干方が丸まっている気がした。


「だ、だよな?」


 全員が納得したわけではないが、歩き始める。坂橋のやつ、怖いんじゃないだろうか。

 実際、坂橋は紛らわすように矢継ぎ早に話題をもちだしてくる。その中には全く持ってどうでもいい話もいくつかあった。聞いてるこっちは退屈極まりないし、女子人に至っては、もうやめてくれと顔に出ていたくらいだ。奴の会話を一番聞いていた小暮も、段々うざったるくなって来たのか返事が適当になっていく。

 そうして中庭を歩いて、一分くらいが経過しただろうか。妙だ。中庭を抜けるのに一分もかかるのか。それに校門を抜けた感じもないし。


「……なあ、うちの中庭ってこんな広かったっけ」


 坂橋は立ち止まり、再び俺たちに尋ねる。


「いや、もうとっくに校門抜けてるはずだろ」


 小暮はそう答えて足元を見る。俺もつられて目線を下にやった。だが足もとの道にはタイル張りとなっており、ウチの学校にいるというのが分かった。


「何かおかしくね? もしかしてオレら遠回りしてんの?」

「そんな事ないと思うけど。だっていつもこっち側使ってるし」


 秋希が問いに答えて、暗闇が続く方を指さす。いくらあたりが暗くても、道を間違えるはずがない。俺たちは普段から中庭を通り抜けているんだから。


「まあ先暗くて見えないし、ちょっと普段より遠く感じるだけかも――」


 先頭にいた坂橋が振り返った時、言葉が止まる。その目は引ん剝くように飛び出ていて、ただ絶句していた。


「おい、どうした」


 気になって声をかけてみると坂橋は声にならない声を上げて、手を震わせながら俺たちの後ろへ指を向ける。うながされて、俺たちは振り返った。

 振り返った先にあったのは、うちの校舎だった。それも玄関がすぐ目の前にあった。おかしい。俺たちは一分近く歩いていたはずなのに、何ですぐそこに玄関があるんだよ。


「なんなの、これ……」


 きっと全員が、秋希と同じ心境に陥っただろう。俺もそうだ。俺たちは一体何に巻き込まれたのか。

 ぼうっとしていると、雨足がさらに強まる。もはや傘を破く勢いになってきた。それだけではなく、遠くで雷が鳴る。


「とにかく、中に戻ろう」


 ここで突っ立っててもどうにもならない。全員、俺の言葉に頷いて駆け足気味に校舎へと戻っていく。中に入ると、雨はさらにもう一段階強くなった。その勢いは尋常ではなく、玄関口の屋根から滝のような水が流れていった。しばらくは外に出られない。雨の勢いが収まってくれればいいんだが。

 それ以前に、この学校はどうなってんだ。突然人が消えて、一分歩いたはずなのに校舎が目の前にあって。まさかこの現実で、そんな事態になるはずないだろ。

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