第4話 東峰家

 物思いにふけりつつ、地元の駅に着く。改札を抜けて外に出ると、すぐにスーパーが見えてきた。そこで秋希は今晩の飯から明日の弁当分までを買い付けた。店を出る時には、俺は両手にレジ袋を四つ提げるㇵメになった。秋希も両手にそれぞれ二つずつレジ袋を提げていたが。


「なあ、本当にこんないるのかよ」


 自動ドアを通り抜けて、秋希に尋ねてみる。三日分とかならまだしも、これで半日ちょいなんだもんな。


「七割はお父さんの分だから。ウチのお父さん、めっちゃ食べるからね」

「食いすぎじゃね? ぜってー太るって」

「それが全然。下手するとトオルよりスラッとしてるかも」

「ざけんな。これでも元サッカー部だぞ」


 一応暇があれば週二回程度軽くランニングしたり、筋トレしたりしてるんだが。体重も六十を超えた事はない。それを変なおっさんよりも太ってるなんて、普通ありえねえよな。


「まあお父さんって、よく汗かいてたりするから」

「んで、残りはお前とお前のおふくろの分か」

「うん。お母さんはおかゆとかだし、私もそんなに大食いじゃないから」


 というが、俺から見れば秋希はかなり肉付きがいい。っても太ってるって訳じゃない。中学時代はバスケ部だったから、それなりに筋肉がついているだけだ。実際に見た事はないが、秋希の友人曰く腹筋が割れているらしい。他の女子と比べてがっしりしてるのも、真面目に鍛えていたからだろう。だから俺は前歯四本を折られた訳で。


「そういや、お前なんでバスケやめたんだ?」


 何となく気になって尋ねてみる。俺もそうだが、高校上がってからはお互い運動部に入ってないからな。


「他にやりたい事あったからかな。中学の時はさ、何か部活入らなきゃみたいな感じだったし、仲いい友達がバスケやってたからたまたまってだけ」

「そのたまたまで始めた奴が、一年でキャプテンになったり全国行くか普通」

「トオルだってそーじゃん。ベスト8だったんだよね」

「俺の場合小学校からやってっから当たり前だろ」

「なのにトオルこそ、何でサッカーやめたの?」

「まあ何つーか、才能の限界ってヤツだな」


 ベスト8になったのは中二の時だ。その後中三でも全国大会にまで出場したが、初戦で当たった対戦相手が悪すぎた。相手の学校は別に強豪校ではなかったんだが、一人とんでもない化け物がいた。どれだけマークしても気がつきゃ抜かれてるし、ボール持ってる状態でも俺らなんか相手にさえならなかった。極めつけは背後からのボレーパスに対して、後ろ向きのままトラップしたりとか。凡人にはできない芸当を当たり前のようにやってのける、半端ない選手だった。それもそのはず、今じゃその選手は高校生ながら日本代表に入っているからだ。だから俺は、サッカーはもういいってなってやめた。


「確か鹿児島の学校にいた選手でしょ? 日本代表なんだよね」

「そーいう事。だから俺も、高校入ったら高校生らしくバカやる事にしました」

「何か、同じこと考えてたね」


 秋希はけらけらと笑う。こうしていると、本当に俺たちは罵り合ったり、殴り合ったりしたのだろうかと疑ってしまう。中学時代は何だったんだろうな。実際ちゃんと話し合ってみればかなり気が合うし、何であの時は分かり合おうとしなかったのか。いや、だからこそこの関係なのかもな。俺も秋希の本音を知らなきゃ、ちょっと仲のいい友人程度で終わってたかもしれないし。あれ、何で俺そんな事を気にしてんだ。

 買い物も終えて、俺たちは駅前の駐輪場に戻りそれぞれ自転車に乗る。ひとまずは秋希の家に行って、買った荷物を送り届けなきゃならない。目的地までは自転車でおよそ二十分程度。見慣れた景色を抜けて、秋希の家にたどり着く。家屋はありふれた新し目の一軒家だが、屋内ガレージ付きというのはこの辺でも珍しい。ウチですら野外駐車だというのに。こいつの家には何度か訪れているが、その度に羨ましいとつい思ってしまう。


「いやー悪いね、つき合わせちゃって」


 秋希は自転車のかごからレジ袋を二つ取る。俺も自分のとこから四つ持って、玄関口まで歩く。


「あ、いいよもう後は私が持つから」

「結構重いぞこれ」


 俺が持っていた奴の中には、牛乳だの野菜だのがびっしりと入っていた。対して秋希のは調味料や軽い肉とかのタッパーくらい。いくら秋希でも重いだろうに。


「ばーか。元運動部なめんなって」


 鼻で笑いながら、秋希は両手の袋を落とさないまま、器用に俺の手から袋を全部頂戴していく。一瞬重さにやられそうになっていたが、すぐに持ち直す。さすが、俺の前歯を折っただけはある。


「ほらね?」

「やっぱゴリラだな、秋希」

「あー、またゴリラって言った!」


 秋希は袋を持ったまま右手の人差し指を向ける。また、というのは中学の時の話だ。最初にこいつへ暴言を吐こうとした際、ゴリラというあだ名で呼んでやったんだった。それなりに鍛えていただけあり、秋希は運動音痴の男子なら紙切れのように折りたためるほどだ。なんて言うと、またキレるんだろうな。


「普通の女子はな、レジ袋を六つ下げながら人を指で指したり出来ねぇんだよ」

「だって私もよくお使いとかはしてるし」


 秋希は向けた指を眺めながら、ゆっくりと降ろす。


「そんでもせいぜい二つか三つが限界だろ。並の鍛え方じゃあ六つは無理だって」

「もー、そうやって――」


 ふとその時、秋希の家のドアが開く。中から姿を見せたのはおばさん――こいつの母親だ。


「誰と言い争ってたのかって思ったら……」


 俺はおばさんと目が合う。まるで死人みたいに血の気が引いた顔色に、やや青ざめた唇。化粧がないせいか、あるいは歳のせいか、目元はひどくやつれた様子だった。もしこれで肉付きまで痩せぼそっていたら、かなり心配しただろう。だとしても、普段のおばさんとは様子が全く違う。元気な時は血色も良くて、表情も穏やかだった。笑った時なんかは娘の秋希そっくりで。もし普段のおばさんを知らなければ、この親子は血のつながりがないのかと疑ってしまうだろう。


「あ、どうもっす」

「お母さん、休んでなきゃ駄目だって!」


 秋希は六つのレジ袋を持ちながら、おばさんへ腕を振る。


「そう言われても、秋希の外に誰がいるのか気になって」

「すんません、俺っす」だるいだろうに、わざわざ出させてしまって申し訳ない、と俺は軽くお辞儀をする。「それより、ホントに大丈夫っすか」

「秋希からあたしの事聞いたの?」

「ええ。用事があるってんで、ちょっと質問したら」

「ごめんなさいね。こんなんでもその内よくなるだろうから」

「ホント、大丈夫なんっすか?」

「平気。こんなんでも一週間くらいで治るから」


 苦笑を浮かべるおばさん。額からは冷や汗が流れていた。こうしている間も辛いんだろうに。

 おばさんは体調不良の日にちが同じだって、気付いているのだろうか。秋希の方へ目を向けると、向こうは少し目を合わせてからおばさんの方へ向けた。


「ああもーいいから。お母さんは休んでて」


 半ば強引に、秋希はおばさんを手押ししながら家へと入っていく。


「一人で荷ほどきは大変でしょ? トオルくんもあがって手伝ってあげて」


 スリッパを脱がされながら、おばさんは背中越しに声をかけてきた。秋希は首を振ったものの、玄関で降ろした荷物の多さに呆れてこちらを振り向く。


「……ま、お母さんもああいってるし」


 そう言って小さく手招きをしたので、俺は入口前で軽く頭を下げてから入る。秋希の家に入ったのは何度かあった。どれも別に大した用事じゃない。待ち合わせ時間の調整だとか、たまたま寄った時に余分な差し入れを貰う時とか、そんなもんだ。

 おばさんには中学時代の俺たちについて、既に話している。というか秋希が当時ありのままを話していた。今日俺に何を言われたのか、どんなことをされたか、逆に俺に何をしたのか。そのへんを話すあたり、親子仲はすこぶるいい。そのせいで初めて会った時は、土下座から入るハメになったが。

 靴を脱いで、台所に案内される。俺はひとまず置かれたレジ袋を眺めた。いくら友人の家だからって、勝手に冷蔵庫を開けたりしない。俺もその辺はしっかり躾されてるから大丈夫だ。代わりに手持無沙汰になったので、キッチンに変わったところはないかと見まわしてみる。

 立派な家と裏腹に、冷蔵庫もコンロもあまりうちのものと変わりない。そのへんの電機屋で売ってるような、ちょいと高めのモデルだ。コンロも新品みたいに輝いているが、この家を買った時に備え付けられていたものらしい。おばさんがキレイ好きなおかげだ。その辺の店では売ってなさそうな洗剤で、コンロを丹念に掃除していたのを見たことがある。うちの親も使う度にコンロが汚いとか言うなら、ちゃんと掃除すりゃいいのに。

 他にも丁寧に並べられた調味料やらを見ていると、おばさんがいかにしっかりしているかが分かる。ホント、ウチの親はその辺がさつだからな。調味料がなくなったりしたのを俺のせいにしないでほしい。というか殆ど親父が勝手にどっか持ってったりするからなくなるってのに。


「トオルくんがウチに上がったのって、いつぶりだっけ?」


 おばさんは壁によりかかりながら興味深そうに尋ねる。


「確か去年の……なんだっけか」去年の冬頃に一度、何かの用事で訪れたっけ。どんな用だったかはすっかり忘れてしまった。一応、クリスマスでも年末年始の集まりでもないのは確かだ。「それより、休んでなくて大丈夫なんすか」

「平気平気。トオルくんも来てるんだし、ちょっとぐらい無理しても死にゃしないって」


 おばさんはそう笑い飛ばす。これで肌が真っ白でなければ頼もしく思えるだろうが、やせ我慢しているさまが痛々しい。いや、批判してるんじゃなくて。

 話もひと段落して、俺たちは袋から買ったものを取りだしていく。


「そういえばさ、こんな話知ってる?」ふといくつか食材を取り出したところで、秋希はおばさんへと顔を向ける。「自殺した生徒の話?」


 一体何を聞いてるんだか。ウチの学校の生徒でなければ、その話はしても意味ないだろうに。


「……ごめん、何だって?」


 おばさんは一瞬ぼうっとしていたんだろう。話を聞きそびれたようだ。


「だから、あの学校に自殺した生徒がいるんだって。怖いよねー」


 なんてのんきな表情の秋希。


「……そう」


 おばさんの反応は、かなりそっけなかった。そりゃあ家族間で他人の不幸について、笑って話すような家庭じゃないからな、この東峰家は。


「お母さん知ってた?」

「知らない」にしては、やけに突き放したような声色だった。普段ならもっとおどけた感じの返事を寄越すだろうに。それも秋希に対してなら。「……ごめん秋希。何かまた気分が悪くなってきちゃった」


 それを示すように、おばさんは眉間にしわを寄せながらその場へ崩れかかる。


「あ、お母さん!」秋希は慌てて駆け寄ると、肩を貸してあげた。それから俺の方を見る。「ごめんトオル、ちょっと待ってて」

「ああ」


 一見元気そうには見えたが、やっぱり相当辛いみたいだな。見た感じ、風邪にしてはあんまり席も出てなさそうだけどな。っても俺は医者じゃないから、見解を考えたりしても意味はない。

 少したって、秋希が台所へともどって来る。どうやら寝かしつけられたようだ。


「ごめんごめん。お母さん、あれでも結構辛いみたいだから」


 なんてとりとめもない事を考えていると、秋希がキッチンにやって来た。


「むしろこんな時に邪魔したのは悪かったな」

「ううんいいって」


 愛想笑いを浮かべる秋希。言葉通りならいいんだがな。俺は適当なレジ袋へ指を向ける。まだ本当にやんないといけない事が残ってるし。


「そうだね」


 秋希が頷くと、俺たちは早速荷解きを始めた。ほとんどは冷蔵庫に放る――ではなく、決められた場所にぴっしりと置いていく。この辺から東峰家の整理は始まっているんだな。その甲斐もあるのか、どこに何が置かれているのかが一目でわかる。というか覚えられるみたいだ。秋希なんかは冷蔵庫の中を見ないで、買ったものをポイっと入れていく。ウチならとっくに、三回雪崩を起こしてるな。

 半分程終わり、後は秋希一人でもできるって事で俺は手持無沙汰になった。そこでおばさんの様子について尋ねてみる。


「おばさん、本当に大丈夫なのかよ」


 秋希は一旦手を止めて、首をかしげる。


「どう……なんだろ」意味深な間を置いてから、また手を動かし始めた。「あれでもホント、一週間経てば元気になるんだよね。でも……」

「さっきの様子を見ても、あれで一週間後めっちゃ元気になるとか信じらんねぇって」

「だよね。でも一応食欲はあるみたいだし、他に不調っていうのがないから」

「ただの風邪とは思えねぇけどな」

「でもほんと、お医者さんはただの風邪だって言ってるし」


 病気には詳しくねぇけど、絶対何かの病気だと思うけどな。


「いっそ海外で診てもらうとか」

「前にお父さんも同じ事言ってたけど、一週間経ったら元気になるし。お母さんもそこまで深刻に考えてないって」


 金もかかるだろうしな。とにかく素人がどうこう言ったって、どうにもならないか。ひとまずは秋希やおばさんの言う通り、経過を見ているだけにした方がよさそうだ。

 全てのレジ袋が空になり、俺たちはついに作業から解放された。秋希はそのまま着替えずに、手を洗ってから料理の支度を始める。そこで俺の事を忘れていたのか、ふと振り返った時に目が合う。


「あ、ごめん。つい料理始めようとしちゃった」

「いや、別に」

「もしよかったらお茶でもしていく? ごはんも、まあまた明日買いに行けばいいし、食べていく?」

「気にすんな。もう帰るからいい」


 さすがに病人がいるってのに、他人があんまり長居するのもな。


「そっか」


 そっけない返事が返ってきて、俺は鞄を持ち直す。


「んじゃあ」

「待って、玄関まで送るよ」

「気を遣うなって。それより、飯作っておいた方がいいだろ」

「大丈夫。お父さんはまだ帰ってこないし、私も今はそこまでお腹減ってないから」


 突っぱねる理由もなかったので、俺は頷いて踵を返す。後手に秋希が付いて来るのが分かった。玄関まで来て靴に履き替えると、秋希もサンダルを履いていた。わざわざ外まで送ってくれるようだ。ドアを開けて、外に出ると向こうも続く。


「ごめんね、忙しいのに手伝わせちゃって」


 ありがちな言葉を述べながら、秋希は軽い会釈をする。


「言い出したのは俺だし、気にすんな」

「そうだったね」なんて微笑みながら、秋希は空を見上げる。俺もつられて目線を上げた。「嫌な天気になって来たね」


 既に外は暗くなり、街灯も輝いていた。そんな中でも、空が曇っているのは分かる。紺の空が、灰色に覆われていたからだ。


「明日は雨だっけか」


 確か天気予報ではそう言ってたな。なのでできるだけ洗濯物は今日やるように、とも。


「うん。明日はバスかなぁ」

「かもな」


 別に優等生ぶってるわけじゃないが、傘を差しながら自転車をこぐのは煩わしいからだ。それに濡れる心配をしながら、金を節約したい訳じゃない。秋希も多分同じ意見なんだろうな。

 この時期には仕方のない事だ。いわゆる秋雨前線ってやつで、天気が崩れる日が多くなる。場合によっては台風が来るってのも珍しくはない。どっかで聞いたが、原理は梅雨と同じで気圧の問題らしい。季節の変わり目ってのもあるから、余計体調を崩しやすい季節だとも言われてるっけか。やっぱり秋希のお袋さんが体調を崩してんのは、この時期の気圧に弱いからかもしれない。だが秋希が口にした「日付まで同じ」という部分が引っかかる。

 聞いてみようかと考えた時には、秋希は家に入って鍵を閉めた後だった。どうしても知りたいなら明日聞けばいいか。そう思って、俺は踵を返して自転車に乗る。ふと頬に冷たい感触がして、空を見上げる。じっと待っていると、今度は額に水滴のようなものが当たった。やっべえ、振って来たな。幸い俺の家はここから数分程度の場所にあるので、急げば濡れずに済むだろう。多少は濡れても構わないし。急いでペダルを漕ぎ、家へと向かう。

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