第3話 下校の一幕

「そういえば、最近ってトオルと帰ってたっけ」


 下駄箱で靴を履き替え終わると、秋希はくるりと振り返って尋ねてくる。


「夏休み前に一回あっただろ」


 確か、たまたま帰る時間が同じになったんだっけか。その時は別に寄り道をしたとかはせず、まっすぐ帰って互いの家への分かれ道で解散って感じだったな。


「あれ、そんな最近だっけ?」

「おい大丈夫か? 老化始まってんのか」

「ひっどいなぁ。まだ華の女子高生ですよーだ」


 何て他愛のない会話をしながら、外へ出る。風は吹いていなかったが、秋希が身をよじる。


「寒くなってきたねー」

「そうだな」そろそろ秋希と帰ろうとした理由を話してもいいかもな。俺はそちらへと顔を向ける。「んでよ、一つ聞きたい事あんだけど」

「ん? どうしたの」

「お前さ、この時期になると付き合い悪くなるよな」


 からっと冷たい風が吹きすさぶ。遠くで枯葉を飾る木々が揺れて、地面に葉を落としていく。風はそれらもかきあげて、小さなつむじを作っていた。虫の声も収まり、段々と静かな季節へと移ろいでいく。この時期になると、秋希は表情に影を落とすようになる。

 気が付いたのは去年だが、以前からその前兆はあった。かつて壮絶な戦いを繰り広げていた中学時代でも、この頃になると秋希は切実な態度で構わないでと言ってきており、あの頃の俺も、とても普段のように罵倒する気も失せてしまった。それから一週間くらいだったか、俺たちはちょっとした停戦状態になっていた。

 去年は聞く前に回復してしまったので、聞く機会がなかった。そして今年も同じ状態に陥ったからこそ、尋ねるべきだと考えた。案の定、秋希はあまりいい表情をしていなかった。


「そ、そうだっけ?」


 すっとぼける秋希。


「中学の時だってそうだったろ。マジな顔で構うなって言ってたからな」

「えー、そうかなぁ?」

「去年だって、丁度この時期だったろ。ばらつきがあるならともかく、お前は決まってこの時期に付き合い悪くなってんじゃん」


 ちょっときつい言い方だったか、と言った後で後悔する。心配して、つい力が入っちまったのかもな。


「それは……」

「俺にも話せないのか」


 これまで散々、こいつの事を知ってきた。なのに、それでも話せない内容なんだろうか。返事は、思っていたよりも早かった。


「んー、まあそこまで話せないって程じゃないけど」

「その割には、小暮達には言わなかったけどな」

「まあ家の事だし、それにホント大したことじゃないから」

「なら俺にだけでも教えてくれよ」


 秋希は快く首を縦に振る。なら小暮達に話してもよかったんじゃないか。アイツらかなり心配してたみたいだし。


「実はね、おかあさんが体調を崩しててさ」

「おばさんが?」


 ホントに大したことじゃなかったな。実は……というフリを期待してたんだが。

「うん。でも別に入院とかそーいうんじゃないから。ちょっと風邪っぽいってだけ」

「なるほど、そうだったんだな」

「でも、トオルの読みは当たってると思う」言われて、俺は首をかしげる。でもすぐに秋希の言いたがっていることは分かった。「おかあさん、この時期になると決まって体調を崩すんだよ」

「まあ仕方ないと思うけどな、丁度季節の変わり目だし。ウチの親も低気圧がどうたらって喚いてるからな」


 今朝もおふくろが低気圧のせいで頭痛がひどいとか言ってたし、親父も食欲がわかなくて困っていたという。季節の変わり目は、体調を崩しやすいもんだろう。


「最初は私もそう思ってたんだけどね、おかあさんの場合、毎年なんだ。それにね、日付まで同じなんだよ?」

「毎年はともかく、日付まで?」

「そう、丁度昨日から一週間程」

「それが毎年続いてるってか」


 うん、と心細いように頷く秋希。


「絶対偶然じゃないよね」


 確かに、偶然にしちゃあ出来過ぎてる。ちょっと怖いよな。全く同じ日付に体調を崩すって、そんなバカな話あるだろうか。


「何か難病とか持ってんのか、おばさん」

「ううんそんな事はないって。それに、一週間後には何事もなかったかのように元気になるんだよ。何かおかしいよね」

「一週間経てば?」

「うん。薬とか飲まなくても、嘘みたいに元気になるんだ」


 余計怖くなってきたな。


「他の病院で見てもらったのか」

「おかあさんもそうしたけど、ただの風邪だってどこでも言われたみたい」

「じゃあ薬飲んで安静ってだけか」

「うん。おかあさんも特に何もしないし」


 ふうん、と適当な相槌を打っておく。生憎うちは医者の家系じゃないし、秋希の母親について何も言える事はない。せいぜいお大事にってだけか。それに一週間後にはちゃんと元気になるのだから、いちいち気に揉む必要もなさそうだ。


「だからおばさんの代わりに、お前が飯作ったりするんだな」

「そーいうこと。それにお父さんとお母さんの分もつくらないといけないから」

「明日の弁当分もだろ」

「そうそういつもすごい荷物でさ。ホントはね、トオルが手伝ってくれると助かるんだ」

「なら早く言えばよかったろ。中学の時でも手伝ったと思うし」

「去年はともかく、中学の時はそーいう仲じゃなかったでしょ?」


 まあそうだな。お互い前歯折ったり鼻折ったりした相手と買い物に行くとか、よっぽど豪胆でないとできないし。というわけで、俺たちはさっさと中庭を抜けて校門をくぐった。

 学校まではお互い同じ電車に乗って通っているため、帰りも当然同じだ。この辺りはさながら都会といった風に、遠くには高層ビルが立ち並んでいる。駅前へ行けば人だかりも増えていくだろう。この近くでもスーパーはあるが、電車に乗りながら荷物の重さを耐えるより、地元のスーパーで買う方がいいだろう。秋希も同じ考えだったようで、丁度通りがかったスーパーマーケットを素通りしていく。

 駅前に近づくにつれて、人の通りが多くなってきた。学生、サラリーマン、大学生、家族連れ。街頭のモニターから流れる広告の音声と雑踏に揉まれつつ、駅を目指す。秋希とはお互い離れないように、時折真ん中へ割り込もうする通行人をよけていく。お互い見失う心配がないのは、制服のおかげだろう。

 駅構内に入り、一旦人混みは途切れる。濁流のような交差点を背に改札を抜けて、ホームへと立つ。電車はホームで出発時間を待っているため、車内に入り適当な席に座る。秋希は俺の隣に座ると、鞄を膝に置いて深く息を吐いた。

 俺は自殺というワードが出る前の世間話を続けようと、秋希に声をかけた。そこからまた他愛のない会話が始まる。といっても殆どは試験の話だとか、それが終わったらみんなでどこへ行くかという話題ばかりだった。だがそれも二駅目に到着する時には途絶えてしまう。何かいい話はないかと記憶を探っていると、先ほど唐突に出された「自殺した生徒」というワードが出てくる。涼野ほど興味がある訳じゃないが、ウチの学校で起きた出来事ってのは実に興味深い。なんて言いまわし、賢そうに見えるよな。


「そーいや、さっきの話は何だったんだよ」

「んー? さっきのって」


 眠いのか、秋希は大きく欠伸をした後に返事をする。


「自殺した生徒がいるって話」

「もしかしてトオルも気になっちゃう?」


 瞼に浮かんだ涙を擦りつつ、口角を吊り上げる秋希。


「何となく。お前、自信満々に話題にしてたからな」

「そーだね。で、どこまで覚えてる?」

「その死んだ生徒ってのがいじめられたのかそれともってトコまで。そっから先は関口から聞いたのか?」

「んーとね。その自殺した生徒さんの怨念かは知らないんだけど、時々行方不明になる生徒がいるんだって」


 結構やばそうな話をしてたんだな。小暮のやつも、茶化すべきじゃなかったかもしれないぞこれは。俺もその手の話にはそれなりに知識があるせいで、つい身が入ってしまう。


「行方不明って、誰彼構わずってか?」

「ううん、女子生徒だけ」

「それってどっかの変態に攫われたか、不良な彼氏がいるヤツに家出唆されたって感じだろ」

「まーそういう感じの事例も、過去にはあったみたいだけどね。でもいなくなる子は、わりかし真面目って感じの子ばっかりみたい」


 秋は首を横に振りながら答える。やっぱ変態の仕業なんじゃねえの。


「その生徒は行方不明のままなのか?」

「ううん。関口さんが言うには、その日の内に行方が見つかるんだって。というより、本人も行方不明になった自覚がないっていうか」

「その行方不明の一件と自殺した生徒は、何か関係ありそうとか聞いてるのか」

「みたい。行方不明者が出るのは、決まって丁度この時期らしいから」

「つまり、そのうちまた誰か行方不明になるってか」

「かもねー。まあ正直言うとね、私も聞いてて『そんな大げさな』って思っててさ」


 秋希は意地が悪そうに、軽く笑い飛ばす。いやだったら何であのタイミングで話しを切りだしたんだか。


「だったら何でそんな話するんだか」

「まー、何となく?」


 だから、何となくで切り出されても困るんだっての。でもこの時期に行方不明者が出るってのは気がかりだな。まだ夏休みだとか、姿が見えなくても殆どが気に留めない時期とかに発生するんじゃないのか。今うちの学校である行事といえば、試験くらいだ。もし誰か優等生を攫って、試験を受けさせないって魂胆なら有り得るかもな。そんで自分の順位を――なんてバカな事を考えてみる。勿論有り得ねぇよな。


「で、今んとこ誰かいなくなったりしてんのか」

「居ないと思うよ。もしいたら私が何か聞いてると思うし」


 今年はまだ出てないのか。何となく、実は行方不明じゃないって線も思いつきつつある。


「もしかして、試験勉強とかで遅くなったとかじゃねぇの?」

「あー、ありえるかも」

「ウチはその辺厳しいしな。試験前日の追い込みってんで、どっか友達とかといっしょにやってて遅くなる、みたいな」

「そーだね。周りにもそーいう子けっこういるし」


 おっと、つい名探偵ぶりを発揮しちまったぜ。行方不明事件、これに解決。俺将来探偵にでもなろうかな。まあそもそも、過去に起きた行方不明も被害者は普通に帰ってきてるみたいだし、最初から解決もクソもねぇけどな。

いわゆる学校の怪談ってのは、実際に聞くと大した話じゃなかったりする。たとえばおなじみトイレのお化けなんかも、何かの部活に入っている便の近いやつがよく利用してるだけだったり。使われなくなった教室の幽霊とかも、クラスで影が薄いやつが一人になりたくて勝手に使ってたり。理由さえ知れば大した話じゃないってパターンの方が多い。

 かと言って俺自身、幽霊だの何だのとを信じてない訳じゃない。子供の頃なんかはそう言った怪談話を真に受けては、よく夜中トイレ行くときに親を起こしたりしてたっけ。今ではもうそんな事をしないし、そもそもあんまり怖い話に触れる機会もなくなってきたからな。

 この時期は夏と比べても、日の入りが早いのもある。夏場の長い昼に馴れて、夕暮れ時だと思ったらまだ五時台だとか、感覚の狂いもあるだろう。中学の頃、俺も何度か似た経験がある。俺は六時ちょっとすぎくらいに帰ってきたところ、親から「いつまで遊んでんの」と叱られたと気がある。その後で親はもう真夜中だと勘違いしていたらしく、夕飯も四時台に作り終えてしまったとか。原因は丁度その日、時計が壊れてたからっていうのもある。ならテレビをつければいいと思うだろうが、折悪くテレビも故障中だった。それで両親は一時的に、時間が分からなくなったというワケだ。

 行方不明の問題も、多分似たような物だろう。時計とテレビ両方が故障なんてのはそうそうにないだろうが、人間の感覚的に外が暗くなったら夜ってのは、簡単に捻じ曲げられないだろう。

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