4-3.可昕(クーシン)妃
「それが……香梅堂から追い出されたようです」
「どういうことだ!」
今年で二十六になる彼女は、まだ華の盛りで老けるのには早いのに、もう結った髪には白が混ざっていた。目尻の化粧が日ごとに濃くなって、唇の色が黒っぽい紅になっている。これは多大な心労と怒りと憎悪が混ざり合った結果であり、本来の彼女はもっと美しい娘だと評判だった。それが、この一年ですっかり
「あまりに大きな声を出されますと……」
「大きな声など出しておらん!」
御付きの公々が汗をぬぐっている頭上を、彼女の声が突き抜ける。すかさず侍女の
「説明いたせ」
椅子に座ったまま、
「どうして
「本人の話では何も失敗はしていないそうです。まだ勤めたばかりなのに、やれ料理が遅いだの、やれ礼儀がなっていないだの、ほとんど難癖のような理由で強引に尚食に突き返されたとか」
「……妙だな、下女は下女だが、そこまで酷くはなかったはず。まさか、既に顔を知っていて怪しまれたか?」
「かもしれません」
「あの女は……
「いえ、追い出したのは
今度は高飛車な女の顔を思い出した。宿敵となった
「同じ
「分かりません。しかし
「
怒りで机の上の茶器を
そうして机まで倒した。
「そもそも、どうして
だが、それも無理はない。
十八で後宮に入り、甘美と辛酸を織り交ぜながらも必死に喰らいついてきた九つの椅子だった。それを齢十七の年下の娘に奪われたばかりか、正二品から正四品へと二階級下の美人妃にまで落とされた。しかも堂から部屋付きとして移転させられた先が――
なんと、
ただでさえ手狭になった空間に御付きの配下まで減らされて、元凶となった女が暮らしていた場所で寝泊まりする。
もはや我慢がならない。
「どうか、ご自愛を。落ち着いてくださいまし」
「これが落ち着いていられるか!」
「
御付きの公々に指示を飛ばす。しかし彼は戸惑っている。引っ越しの際に旧堂の家具の全てを運んだが、堂の広さにあった家具は、この部屋には配置できない。
「あの……どれを捨てましょうか」
「捨てる? なぜ、捨てる必要がある」
「いえ、持ってきた品の全ては入りきらないので」
「それをどうにかするのが、お前の仕事ではないか! 入らないのであれば置ける場所を他所に確保すればいいではないか。
「いや……しかし」
公々がまた、汗をぬぐう。
「実際に持ち場は、ここにしかないのです」
「今まで使っていた
大声が過ぎるので、侍女の
「……それもこれも、あの女のせいだ。この部屋の空気のせいだ。ここにいるだけで吐きそうになる」
この言葉に、
「では、外の空気を吸いに行きましょう。
わざわざ北まで出かけなくても、これまでは自分の堂にある花を愛でれば良かった。もしくは、宮殿に
「先に挨拶なさいますか」
後宮には、あらゆる毒が渦巻いている。
殺し、殺され、先に動かねばいずれは
だから貴妃派として様々な画策に手を貸してきた。やりたくないことにも手を染めてきた。
「もうお出になるようですね」
赤の
「あれは……」
貴妃はまだ
相対する貴妃は、どうして、笑っている。
やがて
貴妃は、宦官と話をしている。
我に返った
「貴妃
息を切らしながら両手を添えて、頭を下げた。貴妃は今日も赤い衣に身を包んで、長い
貴妃は無言で
まっすぐに前を見て、下にいる
「
貴妃付きの宦官に
残されたのは、二人だけ。
小さくなっていく赤い
そうして、歯を食いしばる。
付け爪が掌に食い込んだ。
「ただいま……戻りました」
部屋に戻ると、使えない下女が情けない顔をして立っていた。体を縮めて小動物のようになっている。ただでさえ嫌なことがあったのに臆病な態度を見せられては余計に腹が立つ。こういうところに
「……お前、どうしてここにいる」
「お前が戻ったら勘繰られるだろう」
「お許しください、お許しください」
「黙れ! 何もせずに、おめおめと……お前が事を成していたら、
「お許しください、お許しください」
「もう顔も見とうない、引きずり出せ、二度と面を見せるな」
(おのれ、おのれぇぇえ!!)
憎悪が渦巻いて、頭に響く。
この仕打ち、必ず、報いてやる。
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