3-11.呪詛の夜2
ちらちらと火が揺れる。
向かい合って座っている二人の真ん中に甘い花の香りが広がって、そこに油の焦げた匂いが混ざる。灰色に
……
無言で見つめ合っていると落ち着かない。
「何を考えているの?」
「……うん?」
「大丈夫? 気分が悪い?」
「いいや、何ともない。あまりに忠告されたものだから、意識を失わないように考え事をしていた。仕事のことでも考えていたら、頭も冴えてくるだろうと思ってな」
「宮廷の警護だったかしら。名前の通りに、
「そう見えるか?」
「いいえ、あなたにはまどろっこしそう」
「よく分かっている」
「砦を守る役目ってのも嫌いじゃないが、三日もすれば飛び出したくなる。蹴散らした方が早いんじゃないかってな」
「さぞかし、あなたにとっての宮廷は
「なんだ、俺のことを覚えていないと言ったくせに、しっかり覚えているな」
「人の顔を覚えるのは得意じゃないけど、言葉は記憶しているの」
「宮廷に転属したのは出世とか、高位の文官と面識を持つのが理由ではなさそうね。やっぱり妹さんのため?」
「妹のためでもあるし、出世のためでもある。好きなことをするためには、望みを叶えるためには、それなりの地位が必要にもなる」
「妹さんを救いたい?」
「それを含めてのことだ。知っての通り俺たちは西南の出だ。宮廷ほど華やかな場所ではないが、それなりに良い所だ。しかし、ここ最近は争いばかりが続いていた。中央に支配されることを是としたわけではないが、辺境として管理下にある頃は、まだ良かった。このところの情勢は混沌としつつある、不甲斐ない都のせいだな。それなのに一丁前に女を寄こせと言ってくる。そうして
「それじゃあ、帝を恨んでいるの?」
確信を貫く質問に、
「私から聞いているのだから安心して。もし不敬罪になるのなら、私のせいだから」
「いや、
「いっそのこと、この像を献上してしまえばいいんじゃないかって思っただけ。帝に呪いを渡す手もあるんじゃないかって。
「皇帝が呪いや毒を受ければ、そこに呼ばれた妹も犠牲になるかもしれない。そう考えたんだろう。それにあいつは――」
「もう何か手を打っているはずだ。そういう男だ」
「ふうん……私の考えは、ちょっとだけ違うけど」
「おい、大丈夫なのか?」
「だって消えそうだもの――罠を張っているかもしれないけれど、彼は、何もしなくていいと思っているのかなって」
「……どういうことだ?」
「さあ、どういうことでしょうね。あんまり言うと、私、本当に不敬罪になりそう――ねえ、どうしてこんな話をしているのかしらね、煙に酔ったのかもしれない」
「さすがに
全身に見えないしがらみが煙となって絡みついている気がする。
「ねえ、本当に。もう少し離れなさいな」
ちょっと心配になった。
部屋を出たら廊下は真っ暗だったが、慣れている空間だからぶつかることはない。ぎしぎしと板の
紅い花柄の急須と、二つの湯呑み。
書斎に戻れば、
戸が開いたままだから、助言通りに外の空気を吸っているのだろう。
……
どうして、あんなことを言ったのだろう。
不用意な発言だったと思う。
「帰ったぞ」
戸の外から声がした。無精
「何処まで行ってきたの?」
「……やはり、ここの茶は上手い」
「結局、故郷がいいのね」
「ねえ、何処まで行ってきたの?」
「西南の、それよりもずっと西だ。古代の寺院があった。
「どういう寺院?」
「仏教を祭っているらしい。丘の上にあって、町を見下ろしていた。文明が優れている印象はなかったが文化に歴史を感じた。装飾には見張るものがあった」
「いいな。私も連れて行って欲しかった」
「お前には、危険だ」
優しく微笑んで、頭を
「そんなこと言って、いっつも、ぱーぱと、じーじばっかり」
「仕方ないだろう。まだ小さいし」
「じゃあ、おーきくなったら、つれていってくれるの?」
「それは……無理だな。長い旅は危険だし、異国への通行の許可が出ないかもしれない」
「どーして?」
だって。
お前は女の子だから。
学問に費やす時間があったら女らしさを磨け、だなんて、まーまは言わないけどおばあや、おじいがそんなことを言って、私を叱ったりするのは、
「お前の将来を心配してのことだろう」
詩経や
いつかは私は旅したいって 言葉を学んで
後宮に入れば 誰が決めたの 御子を産めば
私の望むのは 自由を
得るためには 幸せになれるっていっそのこと
願いをかなえるのには、もうこれしかない
だからだからだからだから
傷傷傷傷傷傷傷傷
をををををををを
つつつつつつつつ
けけけけけけけけ
てててててててて
しししししししし
まままままままま
ええええええええ
「しっかりしろ!」
じっとりと湿る汗に、体が宙に浮いている。止まっていた呼吸が急に戻って、はあっと、大きな息を捨てるように吐く。
「……ここは?」
やけに肌が寒い。服が汗に濡れて、冬の風にさらされている。いつの間にか部屋から外に出ていたらしく、斜めになった体を抱きかかえているのは――
「ねえ、お父さん……うっ!」
頭が痛い。すぐに状況を思い起こせない。ただ、はっきりとしているのは毒の効果を甘く見ていて、彼に助けられて、庭に引きずり出されたこと。書斎へ目をやれば、机の上の火は消えている。だけど、持ってきていたはずの茶器を載せた盆がない。
「お茶は、どうしたの?」
「……そんなものはなかったが」
「えっと……いったいどこから? どこまでの会話が本当なのかしら」
「それは俺にも分からん。昔のことを想い出して、故郷の草原を駆け回っていたところを襲われてる夢を見ていた。戦おうとして、
「そう……ありがとう。助けてくれたのね」
これは、血?
また、自傷していた?
それにしては、痛みがない。
「あなた、その傷、どうしたの!?」
怪我をしているのは
「……まさか、私が?」
「いや、あんたじゃない。気にするな」
もう一度、書斎を見れば、茶器を載せた盆の代わりに短刀が置かれている。刃の先は真っ赤に染まり、床まで濡らしている。おそらくは、いや、間違いない。自分で自分を短刀で刺そうとして、それを彼が止めてくれたから代わりに怪我をした。それでも彼は一向に動じていない。しっかりと両腕に力を入れて、自分の身体を支えてくれている。
「大丈夫、ありがとう。もう立てるから」
自分の軽率さに申し訳ない。ここまでの失態を演じたのは何年振りだろう。
「おい、どうする気だ」
慌てる
「大丈夫、もう正気だから。腕、貸しなさいな」
「ねえ、あなた、男に産まれてよかったと思う?」
こんなことを聞いてみた。
「あんまり考えたことはなかったが……嫌だと思ったことはない。あんたは、もしかして男に産まれたかったのか?」
「……どうかしらね。でも、後悔はしていないかな」
男には男の、女には女の戦いがある。自分に腕力はなくとも、別の戦い方がある。それで強くなれたと思っているし、誇りにも感じている。
だけど。
今晩だけは、ちょっぴり、男が
もしも、私が男に産まれて。
それで父と、旅をしていたら。
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