3-10.呪詛の夜1
その日の夜は、何も起こらなかった。
「油断したところに、
聞いたこともない謎の熟語を勝手に産み出した後に、
「代わりの護衛を連れてこよう」
何度もあくびを繰り返して、本来いるべき場所へと戻った。多忙な彼のことだから、いつまでも徹夜に付き合わせるわけにはいかない。代わりに派遣されてきたのは
「俺のことを覚えているか?」
「いいえ、全然」
せめて名乗れば分かるものを、自信満々に立てた親指だけでは伝わらない。
「妹が世話になっている、改めて礼を言わせてくれ」
「ああ、お兄さんだったの」
「俺は夜の男と言われている、だから安心しろ」
「どういう意味なの、それ」
門の警護を任されている職業柄、徹夜に慣れていると言いたかったらしい。
「せっかく来てくれて申し訳ないのだけど、あと二日くらいは出番がなさそうなの。明後日の夜に、また来てくれる?」
「
「その物騒な人はね、直接、ここに出向いてくる気がないみたい。これだけ姿を現さないとなれば、間接的な手法で仕掛けてくるか、もしくは私の推測が丸っきり外れていたのか。どのみち明後日くらいには進展があると思う。その時になったら来て――と言っても、できれば巻き込みなくはないけれど」
「巻き込んでいるのは、むしろ俺たちの方さ」
「明後日の夜に来ればいいんだな。確かに請け負った」
あっさり引いて、すっぱり言い切るあたりが男らしい。
それから二日ほどは、
一度は被害を考慮して閉鎖していた九訳殿を開放し、宮女に言葉を教える傍らで、都を訪れた異人の九訳係を勤めたりもした。夜になっても特別に警戒することはなく、せいぜい、独り書斎で
かくして、約束の夜になり。
朱色の槍を携えて、太い刀を腰に差している。
「生かして捕まえる気がなさそうね」
「今日はね、早めに人払いをしているの」
「やはり今晩こそ襲撃される予見があるのか」
「そういう類の危険じゃない」
「換気をしないとね」
「ほう、物騒な試みでもするわけか」
「当たり。実はね、この二日間、何もしなかったわけじゃないの。不必要に夜更かしをしつつ、あくまで自然に寿命を縮めていた」
「後宮が位置的に近い関係で、
続いて白磁の大きめの
「
「でしょ? 高位の妃ならともかく、別に頼んだわけじゃないのに勝手に向こうから渡してきた」
「まさか、これに何かが仕掛けられているのか?」
「
「おいおい、何をするつもりだ」
「もちろん、燃やすのよ」
ぱんぱん、と手を叩いたら、
「それが毒と分かっているのだろう? 死んだらどうする」
「煙が神経に徐々に作用する性質だから、そこまでの即効性はないはず。念のために戸を開けてはいるし、燃やしている皿からも距離を取る。何か嫌な感じがしたら、こっちの水をかけて火を消して、すぐに外に出ればいいわけ」
「分からんな、敢えて危険を冒す理由が。これを渡した奴を捕まえれば手っ取り早い」
「証拠がないでしょ、ただの推測で捕まえても自白させる手立てがない。いったんは一連の推理を証明せざるを得ない。あなた、立っているなら、ちょうどいいわ。もう少し離れなさいな。今日呼んだのは万が一の時は助けてもらおうと思って。だから壁を背にして、あの辺で立って様子を見ていて欲しいの」
なのに
「女だけに毒を吸わせるわけにはいかないからな」
堂々と腕組みをして、深呼吸をして、「さあ、掛かってこい」と言った。
「……あのね、共倒れになったら呼んだ意味がないでしょ」
「二人で吸えば半分ずつになる」
「……その理屈、合ってる?」
「合っている。煙が出る、あんたが吸う。一人だけなら全部、吸い込むが、俺がいたら俺の鼻にも入る」
「どうして私一人で座っていたら、全部、こっちに流れてくる前提なのよ。いない所の煙まで私は吸わないの」
「そんな細かいことはいい。俺は倒れないと保証する、それでいいだろ。さあ、始めようぜ」
微かに色のついた煙が昇ってきた。
「……あなた、単純だって言われない?」
「複雑よりもいいだろ」
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