3-8.神連れ3

 先週に九嬪きゅうひんの一人に不幸があったのは英明インミンも知っている。後宮に接する場所にいるから、宮女たちの噂をよく耳にする。


梓琪ヅーチー修容妃が、香梅堂で死んだらしいよ」

「自殺なんだっけ? 御子おこが死んでから変だったみたいだし」

「誰かに狙われてたんじゃない? ほら、貴妃の派閥だったから別の妃から目を付けられたのかも」

「きっと呪いのせいよ。以前に香梅堂にいた妃は無実の罪に問われて処断されたんだって」

「でも香梅堂に行く前から体調が悪かったって聞いたよ。奇病だから隔離すべきってのが引っ越しの理由だったみたいだし」


 ここ最近は梓琪ヅーチー妃の話題ばかり。彼女らの話には憶測が混ざるので正確性としては怪しいが、不確実な内容でも広まってしまえば、それが正解となる。最終的な噂の終着点は『謎の病』と『香梅堂のたたり』になり、必然的に香梅堂に移された静月ジンユェにも関心が向いた。


 静月ジンユェは新たに皇帝の寵愛ちょうあいを受けた若い妃として、注目されつつあった。


 しかし静月ジンユェの位はまだ美人妃のままで、四夫人しふじんの誰の派閥にも属していない。宦官かんがんや宮女は静月ジンユェの扱いについて迷うところがあったとみえる。下手に表立って支援すれば争いに巻き込まれるかもしれない。後宮内での静月ジンユェの地位が確立されるまでは様子を見るべきだろう。そういう状況下で噂の香梅堂に移されたから、できるだけ関わらないようにと避けられてしまった。


 しかも、これでは皇帝からの寵愛ちょうあいも得られない。


 呪いであれ、病であれ、元凶が判明して浄化されるまでは帝に触れさせるわけにはいかない。もしかすると静月ジンユェに謎の病が移っているかもしれないから、しばらく放っておくのが吉だと内侍省も判断するだろう。


 では、わざわざ静月ジンユェをいわくつきの場所に移動させたのは誰の差し金か。


 もちろん、夜伽よとぎ相手を自由に指名できる帝の意図ではない。静月ジンユェ寵愛ちょうあいを受けさせたくない人物からの推薦すいせんであったと考えるのが自然で、さらに、このところ帝に気に入られつつある妃を実質的な隔離状態に追いやれる地位にある人物。


 皇后、四夫人を筆頭に、後宮外では高位の文官や門閥もんばつ貴族あたり。


 もしくは、深い思慮のない雑な判断による、雑な人事だった可能性も考えられる。静月ジンユェはいずれ九嬪きゅうひんに昇格されるのだからと、今のうちに堂に移しておこうと、何の悪巧みもない結果だったのかもしれない。いずれにせよ、ここまでの状況であれば任暁レンシャオも手出しができず、せいぜい健康を損なわないように静月ジンユェに薬や衣類を贈ってやることくらいだ。


 それが、ここにある『呪詛の像』が後宮内にあったとなれば状況は変わってくる。


 呪いの真偽はともかく、こういう性質の物が外部から持ち込まれたとなれば陰謀説を疑いたくもなる。梓琪ヅーチー妃の不審死が意図的であって、それが静月ジンユェにも及ぶかもしれない。任暁レンシャオとしては静観している場合ではなくなった。


「これは、どこに置かれていたのか」


 林檎りんごを食べ終わった任暁レンシャオは、また像を手に取って、くるくると回し始める。呪いの存在を否定しないと言いながらも、こうして気軽に触れるあたりに彼も厄災ではなく人災だと思っているのだろう。そうでなければ、得体の知れない代物を興味津々に眺めたりはしない。


「名の知らない宮女が持ってきたのですって」

「他所から持ってきたとなれば……梓琪ヅーチー妃のいた希縁堂か、香梅堂に置かれていたと考えるべきか。これを清掃時に発見したとして、どうして、内侍や尚服ではなく九訳殿に持ってきたのか」

「さあ……持ってきた宮女は異国の物のようだからこちらに引き渡しますと言っていたらしいけど、静月ジンユェの侍女じゃないことは確かね。彼女たちなら小鈴シャオリンが顔を知っているから。意図を確かめるには本人に聞くしかないけど、今のところはアテがないの」

「……少なくとも敵ではなさそうだ」


 任暁レンシャオの眼光が鋭くなる。将軍が敵の作戦の意図を見破るかのような顔付きになっている。


「ここに持っていくように指示した奴は、それなりの聡明さを持ち合わせている。これが噂の元凶ではないかと、謀略の一端ではないかと見抜いたからこそ、内侍の手に渡すのは危険と判断している。外部から後宮に持ち込んだのは宦官の可能性が高いのだから、それで内侍に戻せば首謀者に知れると読んでのことだろう」

「ちょっと考えすぎかも。案外、理由がないこともあるから。最初は内侍に持って行ったけど、こっちに持っていくように言われたのかもしれない。一介の宮女が、はたして呪詛じゅその像を知っているかしら?」

「偶然であれば、それで良い。意図的であったのなら、ここに持ってきた宮女が首謀者とは関係ないと分かればいい。問題は、梓琪ヅーチー妃を死に追いやった首謀者が、静月ジンユェにまで危害を加えようとしているか否か」

「……あなたの中では、陰謀説に傾いているようね」


 こう尋ねる英明インミンも、偶然ではないと考えている。ただ、梓琪ヅーチー妃が狙われた理由に明確な判断材料がない。そこを任暁レンシャオは何か知っていそうだ。


「何か根拠があるの?」

「像を宮廷に運び入れたのはチャン氏だ。わざわざ他の荷に混ぜて持ち込んでいる。それで不幸があった梓琪ヅーチー妃は貴妃・王麗ワンレイ妃の派閥だった。姜帆チャンファン妃に度重なる嫌がらせをしていたと言われているから、チャン氏からすれば目障りだったのだろう」

「政敵を排除するのに呪いを頼ったわけ。随分と遠回しなやり方ね」

「運び入れる最中に商人が不慮の死に陥ったらしいから、事前に安全性を試した可能性がある。呪いで梓琪ヅーチー妃が死ねば良し、死ななければ呪いは嘘だとして、改めて帝に献上するつもりだったのではないか」

「それで本当に死んだから、そのまま静月ジンユェも巻き込もうって考えになるわけね」


 英明インミンの脳裏に、九人会でのしゅく妃・姜帆チャンファン妃の表情が浮かぶ。あの静かな嫉妬は、同類だからこそ嗅ぎ取ったのだろう。「私以外にも同情を集める奴がいる」と危機感を覚えて、早速、皇帝の寵愛ちょうあいを受けられないようにしたと。そうなれば、一連の首謀者は姜帆チャンファン妃となるのだが。


「ちなみに、実行犯は別にいるのだけど」

「……そういえば君はさっき、人災と言っていたな。何か確信があるようだが」

「私が知っているのは、誰が企んでいるか、ではなくて、不幸をもたらした直接的な原因が呪いではないってこと。これは人の手による他殺なのは間違いないの」

「面白そうだ。是非、教えてくれると有難い」


 任暁レンシャオは自分の顔の横に像を持ってきて、左右に揺らして、まるで子供の悪戯いたずらのように振る舞う。英明インミンといえばそんな任暁レンシャオには構わずに、彼の顔の下にある手付かずのかゆを見て、


「それ、食べていい? お腹が空いているの」


 承諾を待つこともなく、皿を自分に引き寄せた。


「ちなみに神託の像には、何が書かれているか知ってる?」

「いや……特に聞いてはいない」

「十二体の像にはね、製法や技術について記されているらしいの。例えば水源を探り当てる方法や製鉄技術、薬の調合だったり……国を建てるのに役に立った知識を守護として崇めたと記録に残っている――それでね、じゃあ、十三体目には何が書かれているのかって考えてみたわけ。そこで、この像に刻まれているのは文章というより、単語ばかりだと思わない?」


 任暁レンシャオは改めて像を観察して、肯いた。


「さっきも言ったけど『神連レ』は本当の神を連れてくるという、王への報復の言葉を表しているのだけど、実在する花の名前でもあるわけ。遥か西の国の花で、ここまで種が流れてきたのか、もともと生息していたのか、古の民の山にもその花はあって芳香剤として用いられたのですって」

「花を……まさか香木の製法が書かれている? いや、そんな可愛い性質のものではないか」

「もちろん、もっと物騒な代物ね。使っている花は材料のほんの一部で、怪しまれないように花の香りを混ぜているってこと」

「なるほど……つまりは、毒か」


 任暁レンシャオは持っていた像を机に置いた。そうして眉間みけんしわを寄せて、いぶかしい表情でにらんで、手を袖で拭いている。さっきまであんなにねくり回していたのに、反応が分かりやすい。


「その像に害はないから安心して。これは単純な毒じゃない。もっと複雑な性質を持っているから」


 そう言って英明インミンかゆを飲み干した。

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