3-5.香梅堂3

 理由は分からないが対応を間違えたらしい。静月ジンユェはちょっと考えて、挨拶あいさつを間違えたのかなと思って、


「えっと……ようこそお越しください、ました?」

「違うわよ、そういうことじゃないでしょ。ほら、三人、並びなさいよ! さっさとしなさい!」


 なんだか表情まで険しい。怯えた麻朱マオシューが駆けつけて、不貞腐れた林紗リンシャがお湯の入った茶器を持ったまま外に出てきた。


「あーのーね、間違えてるのよ、失礼でしょ。今の私は紫萱ズーシェン修容しゅうよう妃。いいこと? 何処かの誰かと違って美人九人ではないわけ。九嬪きゅうひんになったのだから、間違えられては困るの。はい、じゃあ声を揃えて言ってちょうだい。きちんと訂正してちょうだい」

「……えっと?」

「だーかーら、紫萱ズーシェン修容しゅうよう妃って言いなさいよ。ほら、早く!」

「……紫萱ズーシェン……修容しゅうよう妃……」

「ちょっと、三人もいるのに声が小さいわね。もっと出るでしょ、声量出して、腹から声を出すのよ。さあ、息を吸って……はい、止めて! さん、はいっ!」

紫萱ズーシェン修容しゅうよう妃!」


 三人の声が揃う。これに、おほほと満足そうに笑う。でも、すぐにまた不機嫌になる。


「あのね、名前はいいけど、挨拶の『ご機嫌、麗しゅう』はどこにいったの? 大事なのよ、そういうのは礼儀として。やり直し、もう一度! せーのっ!」

「ご機嫌、麗しゅう! 紫萱ズーシェン修容しゅうよう妃!」

「そうなの、そうなの、なんていい響きなのかしら! もう一回、さあ!」


「ご機嫌、麗しゅう! 紫萱ズーシェン修容しゅうよう妃!」

「ご機嫌、麗しゅう! 紫萱ズーシェン修容しゅうよう妃!」

『お帰りください、謝謝しぇいしぇい美人妃』


 ……


「ねえ、一人、異語で悪口を言わなかったかしら?」

「言っておりません、紫萱ズーシェン美人妃」

「ちょっと、紗朱シャーシューシャーのほう! 異語どころか、堂々と間違えるんじゃないわよ! もういいわ、とにかくねぇ、私は忙しいの。修容しゅうよう妃であることを浸透させる活動で手一杯なの。そんな私がここまで遠路はるばるやって来たのは……」

「……九嬪きゅうひんになった、だったら、そっちも引っ越して、近い、でしょ」

「うっさいわね、シャー活舌かつぜつが悪いのがよけいに腹立つ。それで、私が来たのは、どうせ下賤げせんなあなた達のことだから、調子に乗って図にも乗ってないかってこと。だから視察をしてあげるって言ってんの」

「……つまり?」

「つまり、引っ越し早々に贅沢ぜいたく品や嗜好しこう品をため込もうとしてないかってこと。身分不相応っていうのがあるんだから、下賤げせんの者は下賤げせんなりの生活をしなさいってこと。まずは食べ物からなんだけど……あんたたち、バレやしないと思って勝手に尚食しょうしょくまで食材を取りに行ったでしょ。九嬪きゅうひんの区画にいる場合は、そっちから取ることに決まってるの。二重に食べようなんてあさましいったらありゃしない! ほら、孫妍スイイェン、荷台のを地面に落としてやって」

「承知しました」


 孫妍スイイェンが後ろの荷台から、五つばかりの袋や木箱を降ろした。それぞれの袋を紫萱ズーシェンが説明する。


「これ、茶葉。こっちは点心と豆と米と、それから塩ね。本来は調理されてるんだけど他の誰かが食べたせいでなかったわ。この際だから食材だけで我慢しなさい。料理は得意なんでしょ。それで、こっちの羊肉は焼くか煮ればいいの。こっちの林檎りんごが本当に重かった」


 まさか食料を持ってきてくれるとは思っていなかったから、それで困ってもいたから静月ジンユェは、ちょっと目を丸くした。


「これは……どうしたんですか?」

九嬪きゅうひんの備蓄所から持ってきたに決まってるでしょ」

「……わざわざ、ここまで持ってきてくれたんですか?」

「わざわざ持ってきたのよ! あのね、なんなの、下女の分際で料理すらも運ぶ気がないから素材のまま送りつけてやりなさいって言ってんのに、それでも誰も行こうとしないってどうなってんのよ! よっぽど嫌われているのね。ほら、まずは私に謝って」

「えっと……ごめんなさい」

「はい、次はお礼を言って」

「……ありがとうございます」

「まあでも、与えるばかりじゃないの。上から下賜かしもするけど、下からの献上が必要になるのが世の仕来りなのよ。もっと勉強しなさい。そういわけで、次は没収。部屋を見させてもらうわ」

『あわわ、勝手に上がらないでくださいよ~』


 麻朱マオシューが必死に止めようとしたが、押しのけられる。


「どいて、邪魔よ! ほうら、こんなに飾って調子に乗ってるんだから――はい、これは綺麗すぎ、はい、これも値打ち物だから没収。孫妍スイイェン、全部、荷台に乗せて」

「承知しました」

「ちょっと、いくらなんでも、あんまり!」

シャー、あまり図に乗らないことね。今度こそ本当に罰を与えるわよ」


 紫萱ズーシェンの威圧が急に本気になって、これはさすがの林紗リンシャも抵抗のしようがなかった。紫萱ズーシェンは目についた物を、彼女が指示したものを片っ端から孫妍スイイェンが外に運び出す。


 瞬く間に、さっき飾ったばかりの品の大半が荷台に乗せられた。


「……これは、何?」


 紫萱ズーシェンは寝室にも勝手に踏み入って、銀色の像を手に取っている。


「それは……最初から置いてあったものだから勝手に……」

「関係ないわ、銀とか贅沢、これも没収ね――ま、他はいいかな、大した物はないみたい。あんまり時間をかけても仕方ないから、今日のところはこれくらいにしておいてあげる。さあ、礼はどうしたの。私の気遣いに感謝を言いなさい」

「あの……どうも……ありがとうございました」


 静月ジンユェが強制的に礼を言わされると、荷台を転がして、二人は去った。


 しばらく沈黙が続く。


 あまりにも急な出来事に理解が遅れて、すっかり初期配置に戻されて殺風景になったのを意識したから、静月ジンユェ茫然ぼうぜんとし、林紗リンシャは怒り、麻朱マオシューは泣いた。


『本当、いつもながら信じられない横暴! せっかく離れたと思ったらあっちも近くに引っ越してくるなんて!』


 林紗リンシャが西南の言葉で文句をまくし立てる。


『どうする? あんまり酷いようなら掛け合ってみる? ユェだって寵愛ちょうあいを受けている身分なんだから、今までのように好き勝手にされることないよ』

『そう……だね……だけど』


 静月ジンユェは荷台から降ろされた重たそうな袋を見る。


『ここに来てくれたの……紫萱ズーシェンだけだから』

『はあ、本当に甘いんだから。まさか食べ物を持ってきてくれたから良い人だって思ったら駄目だよ。単に、からかいたかっただけ』


 それはそうかもしれない。


 けれど、呪われていると言われて本当は不安だったから、みんながあまりにも怖がるものだから、気にしない人もいるのだと分かって心強かった。


 私も彼女みたいに強くなれたらいいなぁ。


 なんて思う。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 九訳殿に誰か来たようだ。


 表で何やら話をしている。対応しているのは小鈴シャオリンで、英明インミンが外に出た頃には、もう帰っていた。誰かと聞いたら、ただの宮女だったから分からないとのこと。


「なんか異国の物が混ざっていたから、こちらに渡したいそうです。読めない文字が書いてあるからって」


 変な銀色の像を手渡される。


 確かに、布を羽織った男の像の背中に妙な文字が書かれている。すぐには英明インミンにも読めそうにない。珍しい形式だが、字引きと照らし合わせれば読めるかもしれない。


 なんだか興味が湧いてきたので。


 とりあえず書斎に置くことにした。

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