3-2.呪詛の像2

 深淵ヲ開く、神の像は七と五に託サレル

 カノ汪は不死の山に居ゾらえて 形の在る竪とナリ

 守護の時をトドメテ 個々にアリ


 席次の十三ハ、神託を受けザルもの也


 資格あらざる者、ケシて祭器を手二しては成らず

 禁を破りしモノにハ、戒めが襲うことと成る


 ――古の民、呪詛の像の誓い



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 不幸は唐突に、やってきた。


 九嬪きゅうひん修容しゅうようである梓琪ヅーチー妃は、また、夜更けに女の声を聞いた。寝室で横になっていた彼女は必死に布団に潜り込んだ。肩が震えて、寒気が止まらない。窓を閉めているのに、冬の冷たい風が流れてくる。


 ここは『香梅堂』と名付けられた殿舎だ。


 彼女は、最近になって一人だけで引っ越しをすることになった。侍女じじょも御付きの公々こうこうもいない。転居は本人が望んだものではなく、強制されてのことだった。


 まるで疫病神のような扱い。


 最初に自分が熱を出し、意識が朦朧もうろうとし、そうして看病をしている侍女の具合も悪くなり、ついに公々までも倒れた。はやり病でも持っているのだろうと疑われて単独で転居を命ぜられた。


 かつて、この香梅堂に住んでいた妃は香を炊くのが好きだったと聞く。


 それで、不審な死を遂げたと聞く。


 それっきり誰も住んでいない場所に強制移動させるとは、あまりにも酷い仕打ち。何も悪いことなんてしていないのに、いったい、どうして。


(あの……女……か)


 ただでさえ具合が悪いのに、孤独にさいなまれて、よけいに気が滅入ってくる。もしかすると厄介払いの首謀者は、しゅく妃・姜帆チャンファン妃かもしれない。確かにこれまで、いろいろとしゅく妃を妨害してきた。だから自分を孤立させようとしているのか。


 いや、そんなことはどうでもいい。


 今は、もっと恐ろしい存在と相対している。


 アレと比べればしゅく妃なんて、取るに足らない。


 ――ドタドタドタッ!


「ひいっ!」


 いつもの足音、そろそろ来ると、思っていた。


 外を闇が覆って一切の物音がしなくなると、この部屋の外壁を沿うようにして誰かが走り回る。近くで聞こえた足音が、すぐに小さくなり、こちらに向かって大きくなると、またすぐに離れていく。なぜずっと回っているのか、おそらくは戸を閉めきっているせいで、侵入を防ぐために板を打ち付けてあるから入ってはこれない。だから、ずっと、諦めない。


 ――ドンドンドン! 


 戸を叩く音がした。


 梓琪ヅーチー妃は、恐怖でさらに身を縮めた。


 走り回った後は、決まって、ああして戸を叩いてくる。そのせいで、どれだけ窓や戸に板を打ち付けても安心はできない。いつか叩き割られて、アイツらが入ってくるかもしれない。


 きっと、殺される。


 私は、殺される。


 怖い、怖い。


 とにかく今は、耐えるしかない。


 早く朝になってほしい、この恐怖から解放されたい。そうして無事に、あの子と――


「どうして……だけ……いるの?」


 また、女の声がした。


 入ってはこれないと諦めて、往生際悪く、ささくようになったか。とても恨めしそうで、物乞いのような哀れな声だ。決して同情してはいけない。騙されてはいけない。こんな夜中に、こんな場所に訪ねてくる相手が正常であるはずがない。だから窓を開けてはいけない。


「あんよ、上手、あんよが――」


 上手。


 母親の声だ。


 小さい赤ん坊を遊ばせている。


 いつも親子で私のところにきて邪魔をする。子供が産まれて、そうだ、子豪ズーハオは男の子だった。身ごもって、産まれて、よく泣く子だった。


「きいっと、元気な証拠なんです、よ、ねえ」


 侍女の間延びした声で、首をくくって死んだ。お前のせいだ。東宮に移す前に遊ばせてた、それで死んだ。


 もしも、あの子がいるのなら。


 そこで一緒にいる母親は、私か。


子豪ズーハオ!」


 布団をはぐ。


 部屋には、誰もいない。


 代わりに閉じていたはずの窓が開いている。風が吹いて、蝋燭ろうそくの台が倒れて、窓の向こうには二つの顔だけ。


 小さい白と、大きな白。


 こちらを、じっと、のぞいている。


「どうして、お前だけ」


 生きているのか?


 真っ白な眼球だけで私を睨んでいるのは私自身だ、それで私に死ねと言っているのか。


 だったら!


 このとがった板をのどに突き刺して!


 やればいい!


 ……


 視界が赤に染まってゆく。


 梓琪ヅーチー妃の倒れた床には、自分で貫いた首の血が池になって広がっている。そこに顔をうずめているから、彼女の開いたままの目には赤がにじむ。


 やがて、梓琪ヅーチー妃は動かなくなった。


 足音も、声も、もう聞こえなくなった。


 彼女を見下ろしているのは、銀の衣を羽織った不気味な像が一つだけ。遠い地に納められたはずの十三番目の像が、彼女に死を運んできた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 数日後、後宮の『香梅堂』では宮女と宦官かんがんが慌ただしく掃除をしていた。梓琪ヅーチー妃の遺体は片付けられて、壊れた窓を修復されて、物騒な床の血は洗い流されていた。


「こんなに慌てて掃除して、いったいどうするんだ?」


 宦官かんがんの一人が冷たい水で濡らした布で壁を拭きながら不平を言う。もう一人は床を掃除している。


「すぐに引っ越してくるらしいぞ」

「……え? 梓琪ヅーチー妃が死んで数日しか経っていないのに?」

「誰が何処で死んだなんて、後宮で気にしても仕方ないからだろ。それを言ったら、どの部屋だって誰かが死んでいる」

「まあ、それもそうだが、直後ではさすがに嫌な気がするのではないか。ちなみに、誰が引っ越してくるか知っているのか?」

「あ~、美人妃の誰かだったような」

「ふ~ん、一応、出世になるわけか。なら、名誉なことか」


 そういう二人を、銀の衣を羽織った像が、じっと見つめている。

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