2-6.九人会2

 九人会で披露される演目は、舞いと、演奏と、最後に一人ずつ詩を詠む。


 婕妤しょうよ、美人、才人で、舞を踊る組、琴を演奏する組に分かれて、残りの一組は準備のための待機となる。順番に持ち回ることになるから別の組の邪魔をしたければ、例えば婕妤しょうよ九人が踊っている時に邪魔をしたければ美人九人で演奏の手を抜けばいい。とはいえ、それぞれの科目を専門家が別々に採点するし、あくまで個人での評価になるから、あまり露骨な真似はできない。


 琴の音色が秋の空に漂う。


 舞をする組が一斉に前に出て、左右に扇のように広がった。


 静月ジンユェの所属する美人九人が最初に担当したのは、琴の演奏だった。演目は決まっていて、『北風に揺れる秋の花』という曲。英明インミンの仕事は詩の採点なので、舞踊の時間は他人事で、純粋に観覧者になれる。


 最初は婕妤しょうよの踊りを楽しんで。


 そのうちに、知っている婕妤しょうよの娘が緊張で腕の動きが悪いのに気が付いて。


 思わず額に手をやった。


 皇帝と皇后の前で踊るのだから無理もない。こういうのは図太い神経が必要であり、あまりに繊細な精神では損をする。これでは演目が終わった後に、九訳殿を泣きながら訪れる彼女の愚痴を聞くことになりそうだ。


 それから英明インミンは、静月ジンユェが属する美人九人の琴の音色に耳を傾けた。


 耳を突く感覚が心地良い。


 美人九人の演奏は統率が取れている。だからこそ、誰がどの音を奏でているのか判別が難しい。英明インミンがそれぞれの音を聞き分けようとして、そのうちに、九人の中央に座っている紫萱ズーシェン妃の音に意識が向いた。


 彼女の弾く左手には力が乗っている。


 誰の音よりも目立っている。


 それで悪目立ちをしていれば問題なのだが、正確に音を弾いているから、むしろ他の娘は多少の誤魔化しが効いて気が楽だろう。


 紫萱ズーシェン妃のことは、それほど知らない。


 先日の静月ジンユェとの騒動からして口が悪いのは間違いないが、根が努力家だからこそ他人にも厳しくなるのかもしれない。それとも、単に性格に問題があるのか。


 そういう紫萱ズーシェン妃とは対照的に、静月ジンユェの音は控えめだった。


 九人の裏方に徹しているらしく、力を入れて弾いてはいない。目立ちもしない代わりに、美人九人の足を引っ張ることもない。ただ、彼女にとっては幸か不幸か、一つ隣の娘の手がおぼつかない。


 秋の終わりの風は手先が冷える。


 寒空の嫌がらせを受けた隣の娘が少しの失敗をする度に、静月ジンユェの左の指が水のように流れて、華麗な音色に隣の娘の失敗が消される。どうやらかばっているらしいのだが。


(……これは加点されたかしらね)


 静月ジンユェは才女である。


 後宮入りしてから苦戦しているのは言葉の壁であって、芸や学に優れた女性だとされている。


 言葉を発しない舞や琴であれば才能が発揮されてしまう。つまり手を抜かなければ、静月ジンユェは目立ってしまう。


 彼女の胸中は、本当は目立ちたくないはず。


 だけど敢えて失敗して、美人九人の格を落とすほどの度胸はない。


 慕っている兄たちや、故郷の両親に迷惑もかけられない。


(まあ、それでも七点か、良くて八点)


 もしも、無難な着地を目指しているのであれば悪くない結果だ。ただし、このまま終わればの話。


 英明インミンの心配は――


 その後の舞いで現実となった。


 今度は、美人九人が踊りを担当する。


 琴の音の聞き分けよりも踊りは視覚的だから判別しやすい。綺麗な娘ばかりが選ばれている中にあっても、静月ジンユェの奥ゆかしい病的な魅力は男を虜にする。同性である英明インミンですらも、そのように感じてしまう。今までは箱にしまわれていた薄幸はっこうの令嬢なのに、こうして表舞台に立ったのだから目をいてしまう。


 静月ジンユェと似たような性質を持つ者が、もう一人。


 それはあの、姜帆チャンファン淑妃。


 だけど、守ってあげたい、のような感覚は似ているが、姜帆チャンファン淑妃と静月ジンユェでは少し違う。


 姜帆チャンファン淑妃の場合は、いくら不幸を装っても出自が裕福だから芝居にしかならない。演技は見事だから男を騙すことに優れているが、およそ女には効かない。


 それが静月ジンユェでは、病弱で引きこもっていた娘が外の世界に触れたような、蜘蛛くもに捕まっていたちょうが解き放たれたような、隠された才能を発掘した時の快感にも似ていて、陸で呼吸ができなかった気の毒な魚が水を得た、の表現がそのままであるように、こうして踊ってしまったら終わりである。


 これが西南での踊りの特徴なのか、それとも、本人の資質なのか。

 

 当人は慎ましやかに振舞っているつもりだろうが、秋の暮れの紅葉と、冬入りの枯れた景色に溶けるように流れる手足の一挙一動は、すべてがゆっくりと、それでいてはっきりと目に留まる。


 もはや、彼女の独壇場になった。


 見守る宦官かんがん官女かんじょの言葉が止み、あげくの果てには琴を弾く手を止める者までいて、競い合うはずの他の妃の心までも取り込んでいる。


 なのに、とても寂しく見えるのは、どうして?


 英明インミンの瞳には、悲しく映る。


 空を羽ばたいていたはずの鳥が、後宮というかごに入れられて、この一瞬だけの解放に、かつての自由を夢に見るから、そういう運命の悲哀を全身で表現しているかのように見えるから。


「なんと……美しい」

「まるで二きょうのようだ」


 こういう周囲の評価を耳にして、英明インミンは淑妃の反応が一層に気になった。姜帆チャンファン淑妃を見れば、静月ジンユェ凝視ぎょうしする彼女は、ひざに添えていたはずの両手の親指を手の中に隠していた。表情は笑うでもなく、怒るでもなく、いや、微かに笑っているようにも見えて、大きい両目は瞳孔どうこうまで開いているかのようだ。


 おそらくは、あの隠した親指の爪が手の平に刺さっているかもしれない。


 ここにも、いるのか、私と同じ奴が。


 そんなことを考えているように思えた。


「では、次は詩を順番に披露してください。題目は、秋の花です」


 演目が終わると、最後の詩詠みになった。


 参加者の一人ずつが順番に詩を詠んでいく。題目に対して、どのような詩にするのかは自由だ。もしも内容が被るようなら手を挙げれば題目は変えてくれるのだが、秋か、冬入りあたりが選ばれることは想定していただろう。


 ここからは英明インミンも他人事ではいられない。いったんは静月ジンユェに向いた心を戻して、できるだけ中立者としての採点を心掛ける。


 十人ばかりの妃が詩を披露し終えた後に、


「では、秋の花で心情を詠いなさい」

「菊の高々たる灼灼しゃくしゃくたりの華の、之の都にとつ秋明しゅうめいよろしからん」

「……詩経ね。心は?」

「秋の白い菊のように高潔な妃になりたいと、願ってのことです」


 こう読んだのは紫萱ズーシェンだった。詩経にある詩を秋明しゅうめい菊になぞられている。彼女の白の装いも、最初から菊の花を意識してのことだったのかもしれない。


 十点。


 古典を用いつつ、美人妃の称号にふさわしい内容になっている。また、菊の花が彼女の印象にも合っている。紫萱ズーシェンの性格はともあれ、詩の採点であれば満点は妥当だ。


 続いて、詩を詠むのは、


「……静月ジンユェ美人妃ね。題目は秋の花のままでいいかしら?」

「……はい、よろしくお願いします」

「では、秋の花で心情を詠いなさい」


 静月ジンユェは、ひと呼吸置いてから、


「……秋風は尽きて、冬風は尽きず。花間、一輪のみつ、独りみで相親しむもの無し。いずれの日にか世を平らげて、永く無情の遊を結ばん」

「……子夜呉歌と月下独酌……心は?」

「世の平定をうれいてのことです。いつの日か、秋の花のもとで、皆が笑い合える日々を送りたい」


 秋を平和として、冬を戦乱として。


 戦ばかりの世で人々が離れ離れになっているから、また、平和な日々が戻れば秋を楽しむことができるという世を憂う詩のようにも聞こえるのだが。


 そもそも『子夜呉歌』は西方の異民族討伐に向かった夫の行方を想う妻の心情を表現している。都からの支配を逃れるために、西南から後宮に入れられた静月ジンユェが、何も考えずに選んだとは思えない。


 そうなると、本当の意味は――


 秋の風は、西からの風。


 故郷からの風は枯れて、冬の風が後宮に吹いている。


 そこにいる私は、兄たちとはもう会えないから、一人で花のみつを吸っている。いつか笑い合える日が来ればいいけれど、もう叶わない、夢の日々。


 この詩に、英明インミンは頭を悩ませた。


 さっきの踊りもそうだが、詩も簡素に済ませればいいのに、いっそのこと手を抜いてくれれば英明インミンとしても多少の手心は加えられたのに。


(……そう……覚悟は決めているのね)


 十点。


 どのみち、あの踊りを披露した時点で結果は見えている。詩はその、確認にしかならない。


 そうして九人会が終わった、わずか数日後のことだった。


 静月ジンユェの元に、寵愛ちょうあいの印が届けられた。

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