2-5.九人会1

 秋の色が一層に深まり、遠くの山が少しずつ冬入りの景色を見せ始める頃。


 後宮の中庭で『九人会』が催される。


 皇帝の前で中級位に属する妃が演目を披露する場となっており、女官長や上位の宦官たちが採点をする。英明インミンも詩の採点者として、毎年、この場に招待されている。


 九人会は上級妃や皇族が集う催しではないが、皇帝が観覧に訪れることから普段よりも豪勢な食事が並べられる。毛氈もうせんが敷かれ、机の上には酒や穀物や羊の肉などが用意されて、下女たちが朝から散らかった落ち葉をホウキで掃いては、三十名ほどの宦官かんがんが忙しく琴などの楽器を並べる。それを正座している百名ほどの侍女たちが不安げな表情で『自分たちの主』の行く末を見守ることになる。


 演目を披露するのは、二十七世婦だけ。


 後宮の妃の階級は上から、皇后こうごう四夫人しふじん九嬪きゅうひん、二十七世婦、八十一御妻となっており、総勢で百名を超える。二十七世婦はさらに、婕妤しょうよ九人、美人九人、才人九人の三つに分類されるから、静月ジンユェは、『二十七世婦の美人九人』という位置付けになる。


 皇帝一人に対して後宮に属する妃はあまりにも多い。


 必然的に、下の階級になればなるほど一度もお手付きがないどころか、皇帝の顔すらも拝見したことがない妃候補ばかり。寵愛ちょうあいの大半を皇后こうごう四夫人しふじんが独占して、せいぜい、気分転換に九嬪きゅうひんが相手をするくらい。二十七世婦は中の上に位置するといっても、普段は彼女たちにまで皇帝の手が及ぶことは、ほとんどない。


 だから、九人会は次世代を担う期待の新人を発掘する場となっている。


 ここで目立つことができれば皇帝に見染められて、上の階級を与えられて、実際に美人妃が皇帝の寵愛ちょうあいを独占し、四夫人しふじんにまで上り詰めた例もある。


 とはいえ、それぞれの階級には人数の制限があるから、誰かが上昇すれば、他の誰かは下降することになる。


 つまり、これはもはや戦である。


 四夫人しふじんほどの雲の上の存在であれば内心は面白くはないものの「最近の新人は元気ですこと」などと悠長ゆうちょうな余裕を装えるが、立場が入れ替わるかもしれない一つ上の九嬪きゅうひんに至っては気が気でない。九嬪きゅうひんの参加までは義務になっていないのに、九嬪きゅうひんの全員が勝手に集うことになる。


 それぞれの思惑としては。

 

 皇帝の、魅力的な若い娘を探してやろう。


 皇后こうごうの、母親目線で若い娘たちを守ってあげたくはないのだけど、仕方がないから守ってあげよう。


 九嬪きゅうひんの、誰が私と入れ替わるのか、今から目を付けておいて後で蹴落としてやる。


 二十七世婦の、絶対に私が勝ち取ってやるから、早くそこをどけ。


 侍女の、お願いだから粗相そそうだけはしないでください。


 あらゆる邪念が交差して、それだけでも腹が一杯になるのに、さらに侍女となれば担当している妃がヘマをすれば巻き添えの転落人生が待っているのだから胃が痛くて食事どころではない。それに比べれば英明インミンは採点者側だからマシな立場とはいえ、自分の採点が他人を人生を左右するのだから、それはそれで肩がる。


「どうですか、英明インミンさん。知っている中で、よさそうな夫人はおられますか?」

「さあ……どうかしら」


 そう言いながらも、英明インミンはこの会に参加している静月ジンユェに目をやった。同時に、『急遅きゅうち如律令にょりつりょう』を思い出した。あれは任暁レンシャオだけでなく、静月ジンユェの本音でもあるだろう。彼女は皇帝からの見識を得ることを本心では望んでいないふしがある。良かれと思って贔屓ひいきに採点をすれば、静月ジンユェにとっては迷惑な結果になるかもしれないし、特定の誰かを推薦すれば、敵意と嫉妬が集まりかねない。

 

 ここは私情を挟まないのが吉。


 中立な採点に徹するべきだと、英明インミンは自分に言い聞かせる。


 それに、今年は少々気になる要素が他にもある。


「ねえ……しゅく妃は、最初から来ることになっていたの?」


 隣に座っている馴染みの宦官に聞いてみた。


 四夫人しふじんが来る必要はないのに、わざわざ、しゅく妃が参加している。皇帝の華の役割は皇后こうごうに任せておけばよいのに、皇帝の左に皇后こうごう、右にしゅく妃を置く格好になっていて、さらにしゅく妃は毛氈もうせんの上にあでやかな青い傘まで置いて、敢えて質素に済ませている皇后こうごうよりも目立っている。


 しゅく妃・姜帆チャンファン


 相当な曲者だと評判だ。


「私も詳しくは知らないのですが、途中からそのようになったようで、ほら、例のチャン氏が叛意はんいを疑われている件があったでしょう」


 宦官が言及しているのは、先日、任暁レンシャオから相談された武器密輸の件だ。


「あれにチャン氏が関わっていないことを示すため、身の潔白を証明するためにしゅく妃が自ら参加を求めたとか」

「……なるほど、そういう手もあるのね」

「……は?」


 もしかしたら皇帝から同情を得ることで寵愛ちょうあいを独占しようとの企みかもしれない。あのチャン氏の武器密輸の嫌疑騒動そのものが自作自演だとすれば、皇帝からの『疑って済まなかった』の見返りを得ようというのが真の狙いで、チャン一族の権力地盤を一層に固めるための策略だったとすれば。


(ちょっと考えすぎかな……でも、あの姜帆チャンファン妃だから)


 彼女は齢十五、なのだが。


 狡猾こうかつであると噂に聞いているし、前々から英明インミンもそう思っているし、四夫人しふじん狡猾こうかつでない妃なんて知らないし。


(あの青い生地を贈らせたのも、自作自演だったりして)


 姜帆チャンファン妃は今日も、濃淡が明瞭めいりょうな青の衣装をまとっている。これは彼女の後ろ盾のチャン氏が東の出身であることもあって、彼女が五大宮の一つ、青龍せいりゅう宮を与えられていることに関係している。


 四夫人しふじんには、およそ決まった色がある。


 朱雀すざく宮の貴妃は、赤。 


 玄武げんぶ宮の賢妃は、黒。


 白虎びゃっこ宮の徳妃は、白。


 そして青龍せいりゅう宮のしゅく妃は、先代は緑であったが、姜帆チャンファン妃は青を自分の色にしている。


(あの贈り物は……つまりは毒ね。何人か罠にはまったみたい)


 演目を披露する二十七人の妃のうち、三人が、姜帆チャンファン妃の青を着てしまっている。四夫人しふじんが参加する催しでは彼女たちと色かぶりをしないように配慮するのは下位の妃の、担当の侍女の務めでもある。それなのに、せっかくの贈り物だし、とても綺麗だから、などという理由だけで着るのは悪手だ。中には青の生地が贈られてきたことを『姜帆チャンファン妃が派閥に勧誘してくださった』と勘違いする者がいて、そういうのは若い年齢の妃に多い。


 やがてヒソヒソとささききが広がって、不穏な空気が会場に漂いはじめた。


「気の毒に……退席を命じられましたか」


 皇帝の周辺でも微かな話し声がして、青い服の三人の妃が舞いを披露する機会すら与えられることなく離席することになった。皇帝が姜帆チャンファン妃を気遣ってのことだとは思うが、その前に、英明インミン姜帆チャンファン妃が皇帝に話しかけているのを見逃さなかった。


 声は聞こえなくても、唇の動きで分かる。


「……せっかく陛下のお好きな生地を選んだのに……全く同じのを……前々からこういうことが相次いで……おそらくは……」


 姜帆チャンファン妃は、胸をそっと抑える仕草までして悲痛な心情を訴えていた。これに皇帝が応えて、二、三回うなづいた後に、隣の皇后が「偶然ではないでしょうか」のようなことを言ったが、それ以上にかばうこともなかった。


 皇后の心境としては職務として最低限の配慮はするものの、皇帝の決定を二度、いさめるようなことはしない。また、青い生地を着てきた彼女たちの意図がどこにあるのかを計りかねたのかもしれない。結果として、姜帆チャンファン妃は若い芽を事前に摘み取ることに成功した。


(自分と、その他の大勢の敵っていう感じなのね)


 果たしてこれは、正解なのか。


 自分の色と被せた軽率な振る舞いに腹を立てるのは自由だが、姜帆チャンファン妃の派閥勧誘と考えて、同じ青を着ることで同調の意思を示した娘もいたのではないか。それを無下に切り捨ててしまっては更に孤立することになる。むしろここは、敢えて広い心を見せることで味方を増やす手段もあったのに。


 姜帆チャンファン妃は、自分の若さを武器にしていることを自覚している。


 そうして自分に敵意が向くことを理解している。


 それを分かった上で「私は虐げられているのです」と、皇帝からの同情を得ることに利用している。


(男というのは、つくづく、勘違いをするものだから)


 どちらかと言えば、こういう姜帆チャンファン妃の振る舞いよりも、あっさりと利用される男側の思慮不足が嘆かわしい。


 こういうのは男の、守ってあげたい心理、であればまだ可愛い。


 男というのは、そもそも、ものすごく勘違いをする。年がいけばいくほど、なぜか純愛を求めたがる。自分は若い女を求めておきながら、相手には無条件に愛されることを求める。二十も、三十も年上の男が、何の背景もなしに若い娘の気を引くことなどありえない。権力を持っているからすり寄っているのに、「あなたの人柄に、どうしようもなくかれています」などと言われてしまえば、もう簡単にとりこになってしまうのは悲しいさがだ。


「……配慮してくださり感謝します。ですが、彼女たちも私のせいで」

「お前のせいではない。いくら新人とはいえ上級妃への配慮が足りないものはちんも好まぬ」


 皇帝と姜帆チャンファン妃の間には、こんな会話もあったろう。


 退場者を気の毒に思うのであれば、「全然気にしていません」くらいの態度を取っておけばいいのに、色香に釣られている男では女の本心を見抜けない。あれも才能なのねと、英明インミンとしては、まあいいかくらいに流しておくことにした。


 一応、姜帆チャンファン妃の性格は記憶しておくとして。


「では、披露をお願いします」


 こうして九人会は、開始早々から三人減った状態で幕を開けた。

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