2-3.贈り物(1)

 度ノ発注品を、以下に記ス。


 牛、五十頭。

 うさぎ、千羽。

 孔雀くじゃく、七十面。


 配送済にて代金は、都ノ門所にて受領ス。


 ――姜呂範チャン・ローハン



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 ――九訳殿。英明インミンの書斎。


「これを、どう思う?」


 ある昼下がりの九訳殿に、三つばかりのくしを頭に差した男が訪れた。男はもちろん任暁レンシャオで、怪しい指示書が出回っているとのことで、相談したいらしい。英明インミン任暁レンシャオから渡されたふみを一読したところ、家畜の注文書らしく、少々、なまった言葉で書かれていた。


 差出人の署名の代わりに、朱印が押されている。


 姜呂範チャン・ローハンといえば東方の貴族の名前だ。


「……ただの注文にしか見えないけど」


 英明インミンがすぐにふみを返して、任暁レンシャオはそれを折りたたんで袖に入れた。


「牛とか兎とかに意味があるの?」

「動物ではなく数え方に意味がある。頭が槍で、羽が矢で……面はおそらく斧あたり。つまりは都への武器の密入を疑っている」

「ふうん……暗号ってわけね。そのわりに書かれている言葉が商人のなまりだったりして、およそ貴族らしくないのね。押印だって文字を逆さまにしていないみたいだけど?」


 朱印は書いた人物を示す証明として用いられているが、偽造されることがあるため、わざと一部の文字だけを逆さまにして作っている場合もある。そういう警戒がないことを英明インミンは指摘している。暗号文を用いているのに、どうにも爪が甘い。


「そもそも身分のある人が武器の注文書に、わざわざ自分の名を使うのかしら?」

「信用を得るために敢えて上位者の名前を用いることはある。しかし……押印については見逃していた。この押印が本物かどうか、他の公文書と照らし合わせるとしよう」

「……そういうのって門下省の仕事じゃないと思っていた。いろいろと頼まれて大変なのね」

チャン氏は門閥もんばつ貴族だからな、後宮にも関わってくる事案だ」


 任暁レンシャオの言う『後宮との関係』とは、四夫人しふじんのうちの淑妃しゅくひのことだ。


 皇后こうごうを除いて最高位の階級を持つのが四夫人しふじんで、貴妃きひ淑妃しゅくひ徳妃とくひ賢妃けんひの称号のうち、淑妃しゅくひがこのふみの差出人になっている『チャン氏の一族』から選ばれている。


 淑妃しゅくひの名は、姜帆チャンファン妃という。


 まだ少女ながら、一目で男を虜にする悪魔的な美貌びぼうを兼ね備えているとの評判で、年下好きの男が好む容姿をしているから、若い娘に目のない男ではひとたまりもない。故に年上の妃からは恨みやねたみを多く買い、さらに姜帆チャンファン妃自身も相当のであることから水面下では凄まじい女の攻防が繰り広げられていると噂される。


 この任暁レンシャオが持ってきたふみは、姜帆チャンファン妃の後ろ盾になっているチャン一族を弱体化させようとの策謀かもしれなかった。要するに、チャン氏が武器の密入をしているとの濡れ衣を着せるための、偽造文書かもしれない。

 

 後宮内での地位の落とし合いと並行して、宮殿の外でも計略が渦巻いている。


 任暁レンシャオとしても、慎重に物事を見極める必要があるのだ。


「それで、ここに来たは何なの? まさか私の意見で事の真偽を判断するつもりではないんでしょ?」


 英明インミンが呆れたように言う。


 この予想は当たっているらしく、任暁レンシャオくしを一つ外して、いじいじと、手元でこねくり回した。


 これは任暁レンシャオの癖だ。


 困っていたり、隠し事をしていたり、気恥ずかしかったりする時にこういう仕草をする。


(……静月ジンユェの近況を尋ねる口実が欲しかった、というのが真相かしらね)


 英明インミンは仕方がないから、誘導してあげようと考えた。


静月ジンユェなら、あなたの頼み通りに習い事を始めたけど」

「……本当か、良かった!」


 任暁レンシャオは急に明るくなった。母親が娘の無事を知った時のような安堵あんどの表情だ。


「それで、もう上達しているのか? つつがなく、雅語を話せるようになったのか?」

「あのね、そんなすぐには上手くはならないでしょう。最初は定型的な会話から、今は来週の九人会に向けて詩をうたえるように練習しているところ。昨日も、その隣の部屋にいたのよ。あなたが来ると聞いたから今日は来ていないみたいだけど」

「そうか……この壁の向こうにいたのか」


 まるで娘に会えなくなった父親のように悲痛な顔をする。任暁レンシャオは机に肘をついて、足を崩して、はあっと大きな息を吐いた。


 ここは九訳殿。


 宮廷で唯一、宮女と男が出入りできる場所。


 それでも鉢合わせしないように英明インミンは配慮していて、それが下級妃とはいえ皇帝の妃であるならば、よけいに温情をかけるわけにはいかない。ここが任暁レンシャオ静月ジンユェ逢引あいびきの場にでもなれば不幸になるのは当人達なのだから。


「分かっている、公私混同はしない」


 英明インミンの表情で察したのか、任暁レンシャオねた子供のように両手を広げて言い放つ。


「私もそれなりの立場を任されているからな」


 こんなことを、言うくせに。


「でも、壁を挟んでいるのなら……別に隣の部屋にいるくらいは、いいような」

「……あのね。公私混同はしないんじゃなかったの?」

「……気にはなる。その……来週の九人会は大丈夫なんだろうか。もしかして今日は風邪を引いたのではないか」

「分かったわ、見てくるわよ、あなたの代わりに私が。だから、あなたは諦めて帰ってね」

「あ、もう帰られるんですか?」


 侍女の小鈴シャオリンが、茶と菓子のクルミを運んできた。


「じゃあ、これは私が食べてもいいですね」

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