1-5.九訳(くやく)殿2

 直視していたら任暁レンシャオは笑いを誤魔化せなくなって、ついに長い袖で口を覆いながら顔を背けてしまった。これでは当然、不自然極まりない。


「失礼」


 任暁レンシャオの口調は謝っているのか、茶化しているか分からない。


「思惑通りに事が進むと、つい笑ってしまう癖があるので」

「まあ、それじゃあお困りでしょう。それでは、私の想像も当たっていたことになりますね」

「ご明察の通りですよ、驚きました」

「あまり当てない方が良かったかしら?」


 女は、洞察が過ぎると身を滅ぼすことを知っている。それでも遠慮しないのは、ある程度は任暁レンシャオの噂を知って安心しているのか、それともただの性癖か。


「話が早くて助かりますよ。どうやってその気にさせようか……ではなく、回りくどい説得というのは疲れるもので。さっそく本題について話をしたいところですが、その前に、まずはきっかけとなったこの文について頼みたいことがあります」


 任暁レンシャオは袖をまさぐり、濃い紫の包みをすっと床に滑らせた。この包みの中に例の手紙を畳んで封をしてある。


「私から静月ジンユェ美人に渡せば良いのでしょうか」


 これもまた、察しがいい。


 手紙というのは相手に届かなければ意味がない。怪しい内容ではないと疑いは晴れたものの、これ以上、静月ジンユェの周りに面倒な噂が立たぬように事情を知っている者に手渡してもらうのが良い。


「もちろん、そうです。ただ、これは好奇心で尋ねるだけで他意はないのですが……どのようにして解読したのかを教えてほしいのです。あなたは西南の言葉を知らないと聞きました」


 他意はない、と任暁レンシャオは言ったが、どれくらいの知恵を持っているのか試してやろうとの意図はある。彼女の返答次第で、依頼する内容の程度が変わる。手紙の配送だけか、それ以上のことまで頼むのか。


「それが私の仕事ですから大したことではありません。実際のところ、ほんの一部を解読しただけに過ぎないのです」

「手順に興味があるのですよ。実は最近になって私は文官の仕事を依頼されるようになったもので、異語について少しは知っておきたいと」

「……分かりました。では、机に向かい合わせになりましょう、お互いに見ながらの方が説明しやすいですから」


 女は机を挟んで、任暁レンシャオの正面に座った。甘い香が軽く匂って、墨の香ばしさが混ざっている。書物が好きな女の良い匂いだと、任暁レンシャオには心地良い。


 女は紙を広げた。


 そうして任暁レンシャオから読みやすいように、くるっと紙を回した。


「文字には性質があります」


 女の指が薄黄色の紙を、つつましやかになぞる。


「大きな分類として、文字が作られた由来が形か、音かにあります。物の形を表して作られた文字の場合は、おおよそ短い文章になる傾向があります。例えば山、川、林などです。これらは存在そのものを一つの文字として置き換えているため簡素な文章で済みます」

「……ふむ。つまりは、私達が使う都の言葉がそうですね」


 都の言葉とは、宮廷界隈で用いられる公用語のこと。対して、都の外で用いられる地方の言葉は全て、異語と表現される。


「はい。それに対して音を文字とした場合は、例えば発音を一つの文字にした場合は文章が長くなります。『山』の一文字に対して、『やま』の二文字が必要になるからです。どこまでの音を細分化するかによって長さが異なりますが、このように一つの単語の区切りが長くなるのです」

「ははあ……文字の長さについては認識していましたが、理由までは考えていませんでした。これは不勉強でした」


 女の言うように手紙の冒頭だけを見ても、都の言葉よりも文字が長くなっている。西南で書かかれた言葉では、静衛ジンウェイの名前を表すだけで十文字ほども使っている。


「ちょうどそこです、私が最初に解読したのは」


 女は任暁レンシャオの目線から、手紙の冒頭を見ているのに気付いたようだ。


「どの地域でも人に充てたふみの初めは、宛名が書かれることが多いのです。幸いにも、ある文官から『静月ジンユェ』に充てられた文ではないかとの情報がありました。それを正しいと仮定した場合、『静月ジンユェ』の名前は文の最初か、最後に書かれることになるでしょう。さらに、呼びかけとして複数、名前が書かれる可能性があります」


 ――静衛ジンウェイより、静月ジンユェへ。

 ――兄の心は、いつでも静月ジンユェと共にある。


 言及しているのは、ここの二カ所だ。自分で自分の名前を連呼する性格であれば別だが、普通は何度も呼んでいるのは相手の名前であるのが道理だ。任暁レンシャオは納得してうなずく。


「最初と最後に二回、名前を読んでいる部分が『静月ジンユェ』になると……つまり静衛ジンウェイ静月ジンユェで、ジンの音が共通しているから、もう一つは親戚の名前であると推測したのですか」

「その通りです。名前は解読で大きな手掛かりとなります。なぜなら、名前の表記には一定の規則が見られます。とはいえ、ここまでは多分に推測を含んでおりますし、解読であって訳ではありません。私は九訳くやくです。根拠には字引きを使います」


 女は後ろに手を伸ばして、ひもで括って束にした紙を文の横に置いた。


「これは都を訪れる客人からの情報を集めて記録したものです。西南から訪れる方は珍しいとはいえ、これまでに幾人かはいらっしゃっていますから、単語の意味をこのように書き留めています。これがないと、『静月ジンユェ』に充てられた文でなかった場合に破綻してしまいます」

「あなたは暗号を解く専門ではない、というわけですか」

「そうです。それに、暗号の解読はもっと多くの材料がなければ成り立ちません。一つの文だけでは不十分です。それで、今回は字引きがありますから、効率を重視して、ある程度の当たりを付けてから該当する文字を探しました。すると、ここの単語は西南での防人さきもりを意味する言葉になります。発音としては『ウェイ』です。さらに、『活発でない』は『黙する』となり、『ジン』に相当します。『静衛ジンウェイ』と『静月ジンユェ』が正確に読み取れましたから、親戚に充てた手紙として、残りの全てを訳す必要がないのです」


 ――あまり活発な性格ではないお前のことだ。

 ――宮城の防衛の任に就くことになった。


 任暁レンシャオは女の説明を自分で理解しようと、目の前の文と字引きを交互に見比べた。そのようにしてから「なるほど」と言い、少し笑った口調で「なるほど」と、もう一度、言った。


「恐れ入りました。最終的に字引きがあるとはいえ、そこに至る過程が手馴れていらっしゃる。背景の事情を考慮した最低限の行動だけで、しかも必要以上に解読しなかった配慮も含めて、素晴らしい判断でした」

「いいえ、今回はいろいろとアテがあったものですから」

「あなたは聡明な方だ。どうか、改めてお願いしたい」


 任暁レンシャオは座ったままではあるが、礼儀正しく、頭を下げた。


 こういう特殊な場所で、特殊な仕事に就いているのだから、女の地位もそれなりに高いとは思われる。もしかすると官位は上なのかもしれないが、だとしても将軍である任暁レンシャオが自らをへりくだるのは余程のことだ。それだけ任暁レンシャオは友人の静衛ジンウェイと、彼の妹である静月ジンユェを大事に想っている。


「頭を上げてくださいな。そのようにされても立場上、引き受けられることと受けられないことはあります。先ほども申しましたように、おそらくは静月ジンユェ美人のこととは思いますが」

「……私の力を以ってしても後宮のことは宦官かんがんを通さなければ分からない。それも、静月ジンユェのような新参者では疎外そがいされているかもしれない。実際に悪い噂を微かに耳にしている。無理は言いません、味方してやってくれとも言いませんが、せめて彼女がこれ以上、孤立しないように宮廷の言葉を教えてやってほしいのです。それで、私の妹も同然である静月ジンユェのことを定期的に教えて欲しいのです」

「……少し考えさせてください」


 しばらく、沈黙が包む。


 書斎から見える外の景色は夕暮れに青が増して、そろそろ夜になろうとしている。


 暗闇が少しずつ部屋に入り込み、女はろうに火を灯した。


 この間の沈黙は、時間にしてはそれほどではなかったが、任暁レンシャオには非常に長く感じられた。そのうちに、気の早いふくろうの鳴き声がした。


「この文を、届けるついでのことですから」


 応えた女の表情は、普段は冷静な彼女にとっては珍しく、慈愛じあいに満ちていた。任暁レンシャオは彼女の返答に対して、これも彼には珍しいことなのだが、素直に「ありがとう」と礼を言った。


「ちなみに、まだ名前を伺っていませんでした」

「私は、英明インミン。どうか英明インミンとそのままお呼びください、レン鎮西ちんぜい将様」

英明インミン……良い名ですね。私のことも任暁レンシャオと呼んでほしい。実のところ、肩が凝るのは苦手なのですよ」

「はい、実は私も同じです。あなたがそれで良いのでしたら、そうしましょう、任暁レンシャオ。ちなみに私も一つ、聞いても良いですか?」

「構いませんよ」

「どうして女物のくしをそんなに頭に差しているのかって、部屋に入られた時から気になっていました。小鈴シャオリンに聞いても、きちんと教えてくれなかったものですから」

「ああ、これは……貰い物でして、くしだから頭に差そうと思いまして……変ですかね?」

「いいえ、とても似合っていらっしゃる」


 英明インミンが、まるで少女のように優しく微笑む。


 任暁レンシャオは少年のように照れ臭くなって、頭のくしを一つ、外して手に取った。

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