1-4.九訳(くやく)殿1
それが結局、夕刻になってしまった。
九訳殿に向かっている道中で相談事を持ちかけられ、さらには女の群れに行く先を阻まれたせいだ。
――困ったことがあれば、
これが宮廷内での彼の評判になっている。だから道を歩けば誰かに話しかけられるし、その度に仕事が増える。彼の
(……おかしいな。目立たぬようにしていたはずだが……)
要するに、目立っていないと本人は思っているが、目立っている。
――あの装いは、
道行く女が足を止め、将たるもの愛想よくしなければならないと対応しているうちに武官や文官にも気づかれて呼び止められる。
後は、いつも通り。
相談事を持ち掛けられ、そっと、見知らぬ女から
「突然の訪問だが、私は――」
「あ……
初対面であるはずの
(俺を知っていた!? いや、もしかして俺が来るのを、
何のことはない、髪に
「お待たせしました、どうぞこちらへ」
庭を通って、
彼はこれまで遠方に出向く用事が多かったため、都にはそれほど長く滞在してこなかった。それが人手が足りないからと門下省への内勤を頼まれて、以来、宮廷で寝泊まりをするようにはなったが、門下省の前任者が放棄に近い引継ぎをしたものだから、しばらく仕事に
(いい所だ、風情がある)
少し変わった場所であるとも。
九訳殿はかつて、秘書省(※書物の管理)の隣に建てられていたようだが、女に代替わりしたのと同時に後宮に喰い込むようにして、この特殊な場所に移されたらしい。つまり目の前の殿舎はそのまま後宮と繋がっていることになり、時には妃が訪れる場所でもあって、そこに男が出入り可能なのは異例のことだった。どうしてそのような特例扱いになっているのか、経緯は知らない。もしかすると地方から呼ばれた若い妃たちへの『言葉の壁』に配慮したのかもしれない。
そう、今回の騒動にもなった
当然、その妹の
あの不器用な娘が、皇帝の
他の妃との地位争いに加われるだろうか。
願わくば一度も
そもそも後宮に入れば終身で努めるのが原則である。
せめて争奪戦には加わって欲しくはないが。
美しい十七の生娘が新しく入って、皇帝から一度もお呼びがかからないなど起こり得るだろうか?
もしも皇帝の
(……状況によっては地位の高い
後宮と繋がっている
(いずれにせよ、訪問の理由を考えていたところだ。
つまり今回の訪問は単なる下世話な興味だけではなく、実妹同然の
「将軍ともあろうお方を、お待たせしてしまい申し訳ありません」
侍女に案内された部屋には机が左右に幾つも並んで、客間というより学問を教わる教室のようだった。部屋の奥には四つばかりの長机が繋げられて、机の上にも、下にも、大量の書物が山のように積まれている。
その長机に向かって、こちらに背を向けて、女が正座している。
女は
赤毛の混ざった髪を一本に束ねている。
目鼻は
年端はいくらほどか、よくは分からない。
少なくとも落ち着きぶりからして十代は過ぎているのに違いない。
透き通る瞳は美しいが、こちらの背中の後ろまで見通しているような感覚がした。
(なるほど……
そのような
「どうぞ、そちらにお座りなさい」
(
どうやら性質が自分と似ている。そして、この女は場慣れしている。宮廷での特殊な立場がそうさせるのか、
「人払いは済ませてあります。いずれ、日暮れも近いので」
「気遣いを感謝する。二人だけにしてくれたのは、立場を考慮して内々の話であると察してくれたのですか?」
「それもありますが、あなたの外見を
「なるほど……これは失礼しました、事前に知らせておくべきでした。軽率を
「構いません。そういう配慮に慣れていますから」
女は少し、微笑んだ。
「それで、訪問された目的は
女の言葉が、
会話を一つか二つ、飛ばされているような気になる。
無理筋ではないが、いささか不気味だ。
「西南から来た美人妃と、その兄の都への転任。文を返した翌日に、
(この女、本当に面白い)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます