変われないまま変わっていく。

ふじかわ さつき

変われないまま変わっていく。

 なんて脆いのだろうか。


 他人が人差し指の腹でなぞるだけで、こんな簡単に積み上げてきたものが崩れてしまう。


 二十年近く生きてきたのに、私の脆さを私は今まで知らなかった。


 夜、私はベッドの中で布団を頭まで被って暗闇をじっと見ていた。


 昔、道徳の授業で、自分の将来の夢について考えることがあった。


 将来の夢と、その夢に向かって今まで何をしてきたのか、これから何をしなければいけないのか。


 配られたプリントは、その三項目を書くための空白で埋まっていた。


 右上に、申し訳程度の小ささで添えてある名前を書く欄に、とりあえず、名前を書いた。


 頬杖をついて、何となく先生の座る教卓を眺めた。


 いつも騒いでいる男子の一人が「せんせー、俺は将来、大統領になりまーす。」という。


 教室中が一瞬静まり返って、二、三人の笑い声が聞こえた。


 ほら、こうなるんだよ。


 現実味が無かったら、夢が夢じゃなくなるんだよ。


 ただの願望。ただの期待。


 夢を聞かれたのに、いつまで夢を見ているんだと言われる始末になるのを私は知っている。


 私は、将来の夢の欄に書いた「シンガーソングライター」という文字を消しゴムで消した。


 思わず、大きなため息が出てしまう。


 書いたからには元のまっさらな空欄には戻らなくて、薄くぼやけた「シンガーソングライター」がそこには残っている。


 書いた時よりも少し、夢が遠ざかった気がした。


 ハッと我に返ると、傍に先生が立っていて、私の机の上をじっと見ていた。


 私が見ていることに気が付くと、わざとらしい咳払いをした後に、

「それは夢というよりかは、願望に近い気がするなあ。」と言った。


 夢と願望の何が違うのか教えろよ。


 先生だからって生徒が何でもお前の言ったことに納得すると思うな。


 絶対先生の人生つまんないだろ。


 かわいそーに。


 止めどなく溢れ出る心の中のブーイングの嵐を、マスクの中で静かに舌打ちすることで何とか収めた。


 でも、それも一時的に収まっていただけのものに過ぎなくて、時間が経つほどにどんどんと胸の奥で膨らみ、喉から飛び出そうな程に詰まっていく。


 何度も何度も、将来の夢の欄を思いつく職業で埋めては消してを繰り返した。


 ただただ時間だけが過ぎていって、あっという間にチャイムが鳴って授業が終わってしまった。


 教卓の隣に立って、「できなかった人は宿題ねー」と微笑む先生の顔をぶん殴りたかった。


 結局将来の夢は、「パティシエ」と書いて提出した。


 提出した時に「パティシエもなるのは簡単じゃないぞー」と笑いながら言われたことが悔しかった。


 その日は家に帰ると、自分の部屋に籠ってご飯も食べずにベッドの上で布団に包まって泣いた。


 あの時、本当はシンガーソングライターって書いて提出しようと思っていた。


 でも、私は、それになるための努力をこれまでやってこなかったし、これからもその努力ができるとも自信を持って言えなかった。


 本当になりたいと思っているのに。


 本当になれると思っているのに。


 なのに何もしない、していない私が、私は情けなくて、あんなにバカにしてた先生よりもバカに思えて、恥ずかしかった。


「いつかこのままじゃいけないって思う時が来るよ。」


 泣きながら母にそのことを話したらそう言ってくれた。


 いつかの夜、私は夢を見た。


 女の人が、小さな子供の手を引いて光の中へ歩いて消えていく夢だ。


 私は、女の人の手に包み込まれる柔らかくてふっくらとした小さな手をじっと見ていた。


 もう何年も前に見た夢なのに、何故かその夢だけは今でも鮮明に覚えている。


 布団から顔を出して天井を見つめる。


 ふと、大人って何だろうと考えた。


 大人は自由だとずっと思っていたし、夢だって大人になればすぐに叶うと思っていた。


 でも違うのかもしれない。


 大人になったら、夢なんて見ないのかもしれない。


 これから先のことなんて考えられずに、今の自分がどうしたら明日を怖がらずに生きられるのかを考えることで精一杯なのかもしれない。


 そう考えると私は大人になりたくないと思った。


 ずっと子供でいたい。


 ああ、私ってどこまでいい加減な人なんだろう。


 真っ暗な部屋の真ん中で灯る常夜燈の明かりがぼやけて、くにゃくにゃと歪む。


 目尻から一滴また一滴と滴が流れる。


 いつまで経っても夢は変わらないし、私自身も何も変わらない。


 もしかしたらあの時、既に私の心は折れてしまったのかもしれない。


 人差し指の腹で優しくなぞるようにしてそっと添えられた言葉を、その力を受け流せずに、ポッキリと。


 脆いなあ。なんて脆いんだろう。


 涙が溢れて止まらない。


 大人になりたくない。


 壁に掛けてある時計がカチッという音を立てる。


 短針と長針がまっすぐ重なった。


 部屋には、私が鼻をすする音と、嗚咽が混じった情けのない呻き声だけが響く。


 私は今日、二十歳になった。



















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変われないまま変わっていく。 ふじかわ さつき @syo3nomama

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