再会
冴は頷いて、三善の後に続いた。暖簾をかき分け、戸を開けると、さっきとは比べものにならないほどの人たちが呑んでいた。座席の方は満席だ。二人に気付いた恵が、二人を歓迎する。
「冴ちゃん! 三善さん! お帰りなさい。冴ちゃんは、もうあそこで自殺したのね」
冴は笑みをたたえながら、恵に頭を下げた。
「はい。おかげさまで」
「おかげさまって何よ」
冴の言動に、恵と三善は笑う。
「ねえねえ、私の死体変になってなかった?」
「ああ、全然大丈夫だ。べっぴんさんのままだったよ」
「ああ、良かった」
その時、飲んでいた一人の男が、入ってきた冴の存在に気付いた。
「おお! 冴ちゃんだ! 待ってたぜ!」
男の一声に続いて、周りの男達が冴ちゃんコールを始めた。
「冴ちゃん! 冴ちゃん! 冴ちゃん!」
「はは……どうも」
冴は苦笑いを浮かべて、恐る恐る手を上げる。
「冴、お前人気者だな。さすがは葦名流の娘だ。美人さんだもんな」
「もっと静かに過ごせると思ったんだけどね」
「どうだ? 折角こんなに歓迎されてることだし、恵さんのお手伝いでもしたらいいんじゃないか? それなら、お前がやりたかったこともできるだろう」
自殺願望のある人と話す。その人達を、どういう形であれ、前に進める。
冴は満面の笑みで、「やりたい!」と宣言した。
三善の提案に、恵は両手を挙げて喜ぶ。
「それがいいわ! もちろん大歓迎よ! 一人でこの店回すの大変だったのよね~」
それを聞いた一人の客が、声を張り上げた。
「おい! 冴ちゃんがこの店で働いてくれるんだってよ!」
「うおおおぉぉぉぉ!!!」
男達が、叫び声を上げた。美人な店員が増えて、嬉しいのだろう。
「これからもっとこのお店に通うぜ!」
客の一人が言うと、俺も俺もと、喧噪が広がっていった。
「ほんとにこの人たち死んでるのかな……」 冴は苦笑する。
「冴ちゃん、よろしくね」
恵が言うと、冴は笑顔を浮かべた。
「あ、ちょっと待って」
興奮する男達で騒がしい中、三善が口を開いた。
「今、冴のお父さんはどこに?」
恵は「ああ、それなら」と言って、裏口のドアを指さした。
「ちょっと煙草吸ってくるだって」
「分かった。ありがとう」
二人は、目を合わせた。「行けるな?」と、三善は目で冴に合図する。
冴も「行ける」と返して、そのドアへと進んでいった。
冴に続いて、三善もついていく。冴がドアの前で立ち止まり、決心したように、力強くドアを開けた。
ドアの向こうには、冴の父親が、二人に背を向けて立っていた。煙草をふかしている。
「お父さん!」
冴は、父親に向かって呼びかけた。彼はぱっと振り返る。
「冴……」
二人の間に沈黙が流れた。飲み屋の喧噪も、全く聞こえない。
「冴……俺──」
次の瞬間、冴は走り出し、父親の胸に飛び込んでいた。会話はない。だがそこには、親子の、熱い熱い抱擁だけがあった。二人は、涙を流している。
「ごめんな……ごめん」
西木の、冴の父親の、嗚咽した声が聞こえてくる。冴は必死にそれに応えるように、必死に何度も頷いていた。
「良かったわね」
恵がいつの間にか、三善の横に立っていた。
「え? 泣いてるの」
恵が横を見ると、三善は鼻を啜って、目にハンカチを当てていた。
「だって……」
あまりに滑稽な三善に、恵はくすくすと笑う。
「不思議ね。ここにいるみんな死んでるのよ? なのにこんなに生き生きしてる」
ハンカチで涙を拭った三善は、声を整えて恵の話に答えた。
「確かにそうだな。結局は、人間生きるも死ぬも、環境次第だと思うよ。肉体的な意味でも、精神的な意味でも」
「先に店に入っときましょうか。親子水入らずで話もしたいでしょう」
「そうだな」
まだ抱き合っている二人を一瞥して、恵と三善は、そっと店の中へと戻っていった。
十分後。カウンターに座っていた三善の隣には、西木親子がいた。
「本当に、ありがとうございました」
西木が三善に頭を下げた。
「いやあ、だからいいって。良かったよ。仲直り出来たみたいで」
「なんか、実際に会ったらどうでもよくなっちゃった」
冴は笑いながら言う。
「ほんとに、冴にはすまないことをした。俺は父親失格だよ」
「だからもういいって。お父さんは真面目すぎる」
「そうかなあ」
頭を掻く父親に、冴は苦笑した。
「冴ちゃんは、ここでお手伝いしてくれるのね?」
恵が冴に訊ねると、冴は「はい。ふつつか者ですが、よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。
「冴ちゃんも真面目よね」
「そうかなあ」
さすがは親子。頭を掻く仕草が、とても似ていた。
「じゃあ、早速お手伝いしてもらっちゃおうかな」
「はい! 喜んで!」
「じゃあ、これ」
恵はカウンターの下から、『道しるべ』と書かれた業務用のエプロンを取り出して、恵に差し出した。上品な紺色の中央には、行書体で書かれた、金色の文字が居座っている。
「わあ、すごい!」
「いいでしょこれ。誰か従業員が着てくれたとき用に、作ってあったのよ。最初の従業員が冴ちゃんで良かったわ」
「着てみろよ」
三善が茶化すように言う。
「分かった」
その声色は、跳ねるようだった。途中恵に手助けして貰いながら、冴はなんとかエプロンを身につけた。
「どうかな」
その目線は、紛れもなく、父親に注がれていた。他の客も含め、店中全員が、西木の方を見る。
「似合ってるよ。冴」
柔らかに言った西木に、冴は満開の笑顔を咲かせた。店が拍手で包まれる。
「よっ! 冴ちゃん!」「これからよろしく頼むぞ!」「頑張れよ!」
暖かい声援が、冴を歓迎する。冴の目は、いつの間にか赤く潤んでいた。
死んだっていい。もちろん生きたっていい。大事なのは、自分がやりたいことを、自分が本当に好きなことをすることだ。三善から学んだことを、冴は大切に心の中にしまった。
山の中に、明かりが茫と揺れている。暗すぎる夜の山道を照らすために。人生という暗闇に迷う人たちの、道しるべとなるために。新しい仲間を迎えた喧噪は、山の稜線に朝日が滲み出すまで、一度も途切れることはなかった。
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