道しるべの手前

 三善は『道しるべ』に向かって、タクシーを走らせていた。もちろん後部座席には、冴が座っている。数時間前に初めて会ったとは思えないほど、お馴染みの光景だった。


 突然、冴の携帯が鳴った。


「げ、またかかってきた」

「あ、そうだ。言うの忘れてた」

「え? 何?」

「死んだら、こっちから生きている人に干渉できない。だから、こっちから生きている人に連絡をとろうとしても決してとれないし、向こうから電話がかかってきたりしても、もちろん出ることはできない」


三善は言う。


「じゃあ、もうお母さんと話せないの?」


 三善は首を横に振る。


「電話には出れない。けど、俺たちは特別だ。直接会いに行けば、向こうからも姿を認識できる」

「そっか。そうだよね」


 冴は不思議そうに、自分の両手を見つめた。


「だから、冴がお母さんに会いに行こうと思えば、会えるし話せる。要は自分次第だ」

「自分次第……最高だね」

「そうだな。自分で決めろ」


 三善はにかっと笑った。次の瞬間、冴の携帯に、聞き慣れない着信音が一つ響いた。


「メールだ」


 冴はそう言って、スマホを何度かタップする。覗くブルーライトの中に、あるメッセージが浮かんだ。。


──ごめん、母さんが間違ってた。一回ちゃんと話したい。だから、帰ってきてほしい。


「遅いよ」


 冴はぽつりと呟いた。


「なんて書いてたんだ?」

「母さんが間違ってたってさ。話したいって」

「遅いな」

「そうでしょ。もう死んじゃったよ。これって私から返せないんだよね」

「そうだな。返信できない」


 冴はそれを聞いて、窓を開けた。吹き込む風が、冴の髪をたなびかせた。


「なんで窓開けたんだ?」


 思わず聞く三善を無視し、冴は窓の外に向かってスマホを放り投げた。


「おい! なにやってるんだ!」


 冴は高らかに笑っている。


「だって、もういらないでしょ?」

「でも、お母さんからなにかメールくるかもしれないだろ?」

「いや、もういい」


 冴は窓を閉める。吹き込む風の音が止んだ。


「もうしばらくは、お母さんと関わるのはいいかな。もうちょっと悲しんで貰おう」

「冴は鬼畜だな」

「そうでしょ?」


 冴は笑う。


「お母さんとは、もうちょっと時間が経ってから会うかも知れない。でもとりあえず今は、お父さんだね」


 三善は「そうだな」と言って、ブレーキを踏んだ。


「さあ、着いたぞ」


 タクシーはいつの間にか、『道しるべ』に辿り着いていた。最初に来たときとは、また印象が違うと冴は思った。漏れ出る光が妙に暖かくて安心する。この店には、これから長くお世話になるだろう。


 二人は軽やかな足取りで、店に向かう。印象が違う理由が分かった。店の中から、人の声がするのだ。賑やかで、楽しげな、大きな声だ。


「ねえ、いっぱいお客さんがいるよ。さっきまで全然いなかったのに。今もう十二時なんて過ぎてるよね?」


 三善は一瞬、とぼけた顔をした。


「ああ、そうか。冴には見えなかったんだよな」

「どういう事?」

「言っただろ。死んだら、幽霊が見えるようになるって。いいか? 『道しるべ』の客は基本的にみんな幽霊だ」


 冴は、狐につままれたような顔をしている。


「冴は分からなかったかもしれないけど、さっきここに来たときも、たくさんお客さんいたんだぞ」

「全然気付かなかった……。料理おいしいのに、どうしてお客さん来ないんだろうって思ってた」

「冴が綺麗だったんだろうな。周りの客はみんな冴のことを見てたぜ」

冴は「気持ち悪い!」と叫び、両腕を抱えて縮み上がった。

「みんないい人だから大丈夫だ」

「それって、山で自殺した人たちってこと?」


 疑問に思った冴が、三善に尋ねた。


「まあ、だいたいそうだな。『道しるべ』の料理はうまいからな。恵さんと料理目当てで、幽霊になってからも通うんだろう」

「へぇ、そうなんだ……」

「じゃあ、行くぞ」

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