回想

 三善は木の裏で、蹲っていた。果たして、これで良かったのか。大人として、子どもに自殺させるという選択肢を与えて、本当に良かったのか。三善は、冴の父親、西木との会話を思い出した。二つ目の自殺スポットへ向かう車内、後部座席で冴が眠っていたときのことだ。





『今日は、ありがとうございます』

『いいよ今更。見つかって良かったじゃないか』


 三善は、助手席の方をちらっと見て言った。そこには、冴の父親、西木広也が座っている。


『それで、これからこの子をどうしたいんだ?』


 訊ねた三善に、西木は答えた。


『本当は、この子が自殺してしまうのを止めてやりたい。だけど、俺はこの子に、余計なことをしすぎた』

『余計なことって?』

『塾、バレエ、ピアノ。他にも色んな習い事をさせた。立派になってほしくて。でも、どれも冴自身が望んだものじゃなかった。与えるべきものを、俺と嫁は完全に間違えていた。娘を、自分たちのものだと勘違いしてたんだ』


 三善はハンドルを握ったまま、進行方向を強く睨んでいる。


『その結果、冴の精神が崩壊してしまった。もう後悔しても遅い。俺はもう、彼女に言葉をかける資格なんてない。だからもう、冴に強制はしない。与えすぎたんだ。捨てるべきものは、冴自身に決めさせるべきだと思って──』

『それで、自殺を止めるのはやめてほしいって言ってたのか』


 西木は頷いた。


『自分勝手で、自己満だ』


 三善はぴしゃりと言った。


『そうですかね……』


 三善は前を睨んだまま続けた。


『でもな、自己満足が悪いわけじゃない』


 西木が三善を見た。


『自己満足が、人のためになることもある。実際、見てみろよ』


 三善はバックミラーを覗き込み、西木は後部座席で寝ている冴を振り返った。


『冴が初めてタクシーに乗ってきたとき、この子はちゃんと敬語を使ってただろ? 敬語を使えないような奴もこの世には五万といる。なんで冴が敬語を使えるか、色々な習い事をしてたからだ』


 三善は続ける。


『スタイルも良いし、姿勢が凄く良いだろ? 少なくとも、初見で冴に不快感を抱

く奴なんで絶対にいない。それは、バレエのおかげだろ?』


 西木は冴から視線を外し、三善の横顔を見つめた。


『冴は習い事嫌だったかもしれないけど、意外とそれが役だってるところもあるんだ。そんなに悲観しなくて良いと思う』

『はい……』


 西木の目に、膜が張った。


『問題なのは、この子を一人にしてしまったことだ』


 西木は俯く。


『あんたも急に家出して自殺したんだから問題はあるが、一番問題なのはそばにいてもなお冴を守ってやれなかったあんたの奥さんだ』


 三善はフロントガラスの向こうを、遠く遠く見つめている。


『でもあんたは、自殺を考えるほどに精神を病むまで、仕事して、家族食わして、娘に習い事もたくさんさせてやったんだ。自分を責めなくても大丈夫。あんたは立派な父親だよ』

『……ありがとうございます』


 その言葉を聞いた西木の頬には、涙が落ちていた。袖で顔を覆って、鼻をすすった、


『これから、二つ目の自殺スポットだ。ここには、死体がある。この前たまたま見つけたとこだ。冴にそれを見せるかどうかは、俺の判断に任せて欲しい』

『分かりました』


 涙声で、西木が承諾した。


『確かに、色んな自殺スポットを回るっていうのは、あんたの提案だ。その中で、冴に自殺することについて深く考えてもらって、その上で自分で決めて欲しいっていう意図もちゃんと分かってる』


 西木は頷く。


『でも、俺は冴にあまり死体を見せたくはない。自殺した俺と西木さんなら分かるはずだ。死体が、どれほど醜いか。どれほどの印象を、見た人に与えるか』


 西木はもう一度、深く頷いた。


『もし冴が見たら、どうなるか分からない。森の中で取り乱してはぐれたりしたら、それこそ大問題だ。だから、死体の状態が悪くなってたら、見せないという判断もする。それでいいか?』

『もちろん、大丈夫です。お願いします』


 西木は、シートベルトが首に引っかかるほど、深く三善に頭を下げた。


『冴が自殺しても、俺を恨むなよ』

『当たり前です。この子に決めさせると言ったのは、私ですから』

『もし冴が自殺しなくても、ちゃんと見守ってやるんだぞ。もし自殺したら、ちゃんと冴と話すんだぞ』

『はい。分かってます。どっちになっても、しっかり向き合おうと思ってます』

『よし。もうそろそろ着くから、今から冴を起こす』


 黙って頷いた西木を一瞥して、三善は冴を起こした。冴の目がぱちっと開いた。





「お待たせ」


 何も変わらない冴の声が、三善に降り注いだ。蹲っていた三善はばっと顔を上げ、優しく笑っている顔を見上げた。その顔を見て、これでいいと、三善は思った。


「終わったのか」

「うん。全然苦しくなかったよ。むしろ清々しいね」


 冴は肩をすくめる。「今からどうするの?」と訊ねた。三善は答えながら、ゆっくりと立ち上がった。


「何言ってんだ。お父さんに一言言ってやるんだろ?」

「あ、そうか。そうだった」


 冴の顔に、不安が灯る。


「冴に一つ言っといてやろう」


 冴はちらっと、三善を見上げた。


「お前のお父さんはな、いい人だぞ。安心して、色々言ってやればいい」

「そっか。覚えとく」

「じゃあ、帰ろうか」


 三善がそう言うと、冴は泣いた。

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