はじまり

「ブラック企業ってやつだった。でも、死ぬほどじゃない。耐えられないほどではなかった。俺にもし家族がいたら、多分歯を食いしばって懸命に生きてたと思う。だけど、俺は一人だった。親も死んで、友達もいなかったんだ。毎日上司に怒られて、くたくたで帰って、コンビニ弁当食べて。なんのために生きてるか分からなくなっちまった。一度は仕事止めようと思って辞表も出したんだが、破り捨てられた」


 冴は自分と重ね合わせるように、三善を見つめた。


「俺のレールは、足元でちぎれちまったんだな」


 自嘲気味に三善は笑う。


「その瞬間、自殺しようって思った。一人だし、別になんにもなかったから、死のうと決めたら早かった。それまで通勤にしか使ってなかった車を、初めて会社以外のところに向けたんだ。死ぬためのロープだけ乗せてな。それで、死に場所を探しながらふらふらしてたら、この場所を見つけたんだ」


 三善は顔を上げて、愛おしいものを見るように、大木を見つめた。


「この場所を見つけたとき、ああ、ここで死ぬんだなって思った。ここで死んだら、天国にいけるんじゃないかなって思ったんだ。まぁ、そんで死んでみたら、今のよく分からない状態になったんだけどな」


 冗談なのかよく分からない三善の言い種に、冴は表情を固く結んでいる。三善は暗くなった雰囲気を壊すように、努めて明るく言った。


「でもな、首くくったら、腹もくくれたらしい。いざ死んだら、すっかり楽になった」


 その笑顔は清々しかったが、どこかに陰も含んでいるような気が、冴にはした。


「死ぬ前は、これで終わりだって思ったけど、気付いたら木の下に立ってた。もちろん最初は困惑したよ。だって俺の死体がぶら下がってるんだもん。首の後ろにホクロがあるの初めて気付いたよ」


 三善は微笑む。


「でも面白かった。やっと自分にも、普通じゃない特別なことが起こった。自殺しといてだけど、ここから何かが始まる気がしたんだ。そんときに、自殺も悪くないなって思ったんだ。これが、冴に『自殺するな』って言わない理由の一つかな」

「そうなんだね。なんか納得した」


 冴はわざとらしく、何度も頷いた。


「それで、これからどうしようかなって思いながら、丁度ここら辺を歩いてたんだ」


 三善は今二人が座っているところのすぐ後ろを指さした。


「そしたら、恵さんがぶら下がってた。びっくりしたけど、この人も今どこかにいるはずだと思ったんだ。だから、この人を探しにいくことにした。初めて、俺は仲間を作ろうとしたんだよ」


 三善の口調が、どんどん明るくなっていく。


「それで、また自分の車に乗って、山道を適当に走ってた。こんなにドライブが楽しいものだとは思わなかったよ。こんときかな、運転楽しいって思ったのは」


 三善は続ける。


「それで、『道しるべ』を見つけた。直感だけど、ここにいるなって思った。案の定、入ってみたら恵さんがそこの店主だった。あっちもこちらに気付いて、『あなたあそこで自殺した?』って言われたよ。そこから、恵さんと知り合いになったんだ」


「へえ」と、冴は相槌を打つ。楽しそうに、話を聞いている。


「恵さんも、死んでから前向きになったみたいだ。生前はお金がなくて出来なかった飲食店を始めた。それが今では自殺志願者の相談所みたいになった。自殺したいっていう人が来て、恵さんと話して、『もうちょっと生きてみます』って言って帰って行くんだ。それを見て、俺もあんなことしたいなって思った」


 三善は、冴の方を見た。


「だから、俺はタクシー運転手になったんだ。恵さんだけじゃ、遠くで悩んでいる人までは手が届かない。だから、俺が車で遠くまで行って、悩んでいる人を恵さんのとこまで連れてこようって思ったんだ」

「それで、運転手をやってるんだね」


 三善の過去を知った冴の胸には、なんだか暖かいものに溢れていた。三善の輪郭が、濃くなった気がする。


「冴のお父さんの話は、ここからだ」


 三善は一つクッションを置いて、改めて言葉を紡いだ。


「丁度一年前、冴のお父さんが行方不明になったすぐ後だ」

冴は身体を、こけそうなほどに乗り出す。

「お前のお父さんが、『道しるべ』に来た。俺たちの存在を、知っているような感じだった。死んでいるのに、生きているような存在。この世の人間とコミュニケーションがとれる存在。どっかで噂でも聞いたんだろう。取り乱した様子で駆け込んできたのを覚えてるよ」

「私のお父さんは、この世の人間とコミュニケーションは取れないの?」


 三善は頷く。頭上で神々しく光る大木を見上げながら言った。


「この木で自殺した奴は、なぜか分からんが肉体が残る。死体も残ってるから、肉体が二つになるってところだな。お前の父さんは違うところで首を吊ったから、肉体は残らなかった。魂だけの、まるっきり幽霊になっちまったんだ」


「そっか」と、冴は零した。お父さんは自殺したということを、こんな形で知ると

は。そういう自分もこれから自殺しようとしている事実に、冴はなんともいえない感情を抱いた。


「それで、お父さんは『道しるべ』に来てなんて言ったの?」

「『俺の死体を処理してくれないか』って依頼された」


 三善は続ける。


「冴にした話は、嘘もあるけど本当のことも混ざってる。お前の父さんは、都内のアパートの玄関のドアノブで、ネクタイを使って首を吊って亡くなった。そこは事実だ」


 その場面を想像してしまったのだろうか。冴は険しい表情になる。


「『俺が自殺したってことを、嫁と娘に知られたくないんだ』っていうことらしい。だから、死体を処理して、行方不明のままの扱いにしてほしいってことだった。まとめるとそんな感じだ」

「なに……それ」


 冴の声には、怒りに震えていた。自分勝手だ。三善には、そんな冴の叫びが聞こえた。

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