彼の好きな曲
このタクシーも、大分慣れてきた。少したばこ臭いのも、今はもうご愛敬だ。冴はそんなことを思いながら、山道と車が生む心地よい揺れに身を預けていた。
「なあ、音楽流してもいいか?」
心地よい沈黙に、三善がふと言った。
「もちろんいいよ」
断る理由もなくて、冴は流れるように承諾した。
「『野狐禅』っていうバンドなんだけど、知ってるか?」
「いや、知らないなあ。そもそも私、あんまり音楽聴かないから」
「でも確か、ピアノやってるんだろ?」
三善が心持ちだけ振り返って、疑問を口にする。
「私にとって音楽って、やらされてるものなの。だから、日常でわざわざ聞こうとは思わなかったな。なんか意地になっちゃって」
冴は、シートベルトをそっと撫でた。
「ピアノ入ってる?」
「ああ、入ってるよ。かなり乱暴だけど」
「じゃあ、お手並み拝見だね」
そうだな、と三善は言って、ポケットからウォークマンを取り出した。ダッシュボードに乗せてあった小さめのスピーカーとブルートゥースで繋ぐ。ぽーんという気の抜けた電子音が鳴った。
「竹原ピストルは知ってるんじゃないか?」
その名前を聞いて、冴は合点がいったように頷いた。
「ああ竹原ピストル。なんかのコマーシャルで歌ってた人だよね? あの正におっさんって感じの」
「そうそう。その人が昔にやってたバンドだよ」
「ふうん」 興味なさそうに、冴は頷いた。
「曲名は?」
「『自殺志願者が線路に飛び込むスピード』っていう曲」
三善がどこか自慢げに言う。
「なにそれ、変な曲だね。っていうか、私のこと意識してる選曲でしょ?」
「まあそうだな。ぴったりだと思って」
バックミラーの中でむすっとする冴をちらっと見て、三善はスタートボタンを押した。
次の瞬間、小さなスピーカーから、力強いドラムの音が聞こえてきた。すぐに、ピアノとアコギの音が被さってくる。
「結構アップテンポなんだね」
冴は窓の外から、前に視線を戻した。三善はハンドルを握りながらも、身体を揺らしている。
イントロが終わり、ほぼ語りのような歌が始まった。特有のがなり声が、リズムを引っ張ってゆく。がむしゃらに、音を鳴らす。周りの草木を踏み潰しながら乱暴に進んでいくが、花だけは決して踏まないような、そんな優しさも感じられる。
冴の視線は、三善越しに、スピーカーに注がれていた。足に手を乗せて、固まっている。
曲が進むにつれて、テンションが上がっていく。彼の雄叫びが、車内を暴れ回る。乱暴、それでいて繊細。彼らの音を簡単に表すなら、おおよそこんな感じだろうと、冴は思った。
クライマックス。最後の最後に楽器が鳴り止み、彼の声にスポットライトが当たった。一言。一言だけだった。
「着いたぞ」
冴が気付くと、車は停まっていたし、音楽も鳴り止んでいた。感想を言わなければいけないかと思うが、なかなかよくまとまらない。冴は少し考えて、とりあえずピアノの話をした。
「あんなピアノ聞いたことない」
「そうだろ? 上手くはないんだろうけど、気持ちが乗ってるだろ?」
「そうだね。今まで私が嫌々やってたピアノじゃなかった。きっと、あんなのでいいんだよね」
「歌詞も良かっただろ?」
「う~ん、あんまり聞き取れなかったな。最後はなんか良かったけど」
「もし俺が遺書を書くなら、あの言葉で締めくくる」
「え? あれって生きていくっていうことでしょ?」
「だからこそ遺書に書いてたらかっこいいんだよ」
「よくわかんないな」
三善がそっか、と言って、なんだか項垂れている。
「でも、いい歌だったよ」
冴がそう言うと、少しだけ三善の声が晴れた。
「そうか。それは良かった」
もう少し前にこの曲に出会っていたら、何か変わっただろうか。いや、変わらないかな。冴は心の中でぽっとそう言って、勢いよくドアを開けた。
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