冴の話

 それからは、何にも代えがたい、楽しい時間が流れた。冴は数々の料理に舌鼓を打ち、三善と恵がそれを見守った。


 そんなこんなで三十分強は経っただろうか、食事も一段落ついたところで、突然恵が冴に問うた。


「ねえ、冴ちゃんはなんで自殺しようと思ったの?」


 三善も今まで聞いてこなかった、些かストレート過ぎる質問だ。


「さっき話したように、私片親なんですけど……なんか恥ずかしいな」


 冴はさっき頼んだサイダーを両手で包み込みながら、少しまごついた。


「やっぱり言いにくいわよね。ごめんね、変なこと聞いちゃって」

「いやでも、話しときたいっていうか……こんなに優しく人に出会ったの、ほんとに初めてなんです。だから──整理出来たら、話したい……かも」

「なんじゃそら」


 三善が鼻で笑う。


「せっかく話したがってるのに、からかうことはないわよ」


 恵が、三善を咎めた。


「それじゃあ、冴ちゃんが整理できるまで、三善さんがなんでタクシー運転手になったかでも聞きましょうか」

「おいおい、嘘だろ?」


 恵の提案に、三善は顔を歪めた。


「そうだよ、話してよ」


 冴も三善の話を催促する。


「分かったよ。自殺する理由話すよりかはましだよな」


 三善はそう言って、自分の過去をぽつぽつと話し始めた。


「俺は昔から友達があんまりいなくてな、友達って言ったら冴にさっき話した自殺しちまった奴くらいのもんだった」


 三善は、お冷の氷を揺らしながら、その氷を見つめている。


「なんでかって言ったら、俺は無愛想だからだな。年が離れてたら普通に話せるんだが、同世代で、さらに男だとからきし駄目なんだ。どうしても、自分と比べちゃうん

だよ。自分に自信がなくなっちゃうんだ。ここまではさっき冴にも話したよな」


 冴は頷いた後、口を挟んだ。


「三善さん、めっちゃいい人なのに、なんで友達できないんだろ」

「友達って言うのはな、いい人とかはあんまり関係なかったりするんだよ」


 三善が情けなく笑う。


「だから俺は昔から、友達の穴を埋めるように、車が好きだったんだ。車が友達とまではいかないけどな」


 恵は静かに、三善の話を聞いている。


「そんな中、俺は大学に落ちた。浪人する金もなかったし、働かなきゃならない時期が俺にも来たんだ。それで、車が運転できるタクシー運転手になったって訳だ」

「それって、運送業じゃだめなの?」


 冴が三善に聞いた。


「だって、夜中にぶっとおしで走ったり、しんどそうじゃないか。その点タクシーはまだ人間らしい生活を送れるし、それに客とあんまり目を合わせなくて済むだろ? 進む先とカーナビさえ見てればいいからな。意外と寡黙っていう所もこの仕事にあってるらしい。ぺちゃくちゃ喋る運転手が嫌いな客もたくさんいるみたいでな」

「なるほどね」


 冴は納得したように頷いた。話が終わった雰囲気を恵が察知して、遂に話を冴に振った。


「どう冴ちゃん? 整理は出来たかしら?」

「ああ、はい。大丈夫です」


 冴は姿勢を整えて、はきはきと喋り始めた。


「えーっと、さっきも言ったように、私は片親なんです。正確には、最近なったんです。それに、お母さんが女優やってて、なんだか息苦しい家庭なんです」

「えっ? 冴ちゃんのお母さんって女優やってるの? 誰?」


 恵が口に手を当てて、驚いたように言った。その様子を見た三善が、フォローを入れる。


「そうか、恵さんにはまだ言ってなかったな。冴のお母さんは、葦名流だよ」

「嘘!? あの大女優の!? どうりで冴ちゃん綺麗だと思ったわ」


 冴は、「そんなことないです」と謙遜する。


「いやいや、綺麗よ。あ、ごめんね。話折っちゃって。続けて続けて」

「はい。それでお金だけはいっぱいあるんですけど、だからなんですかね。お母さんは私に色んな習い事を強要するんです。私は全然やりたくないのに、バレエとかやらされて……。お母さんに『辞めたい』って言っても、『こっちがお金出してあげてるのに、何てこと言うの!?』って怒るんです」


 冴の声のトーンがどんどん落ちていく。


「でもまだ、それはいいんです。自分の娘に習い事させたいのは、気持ち分かりますし。でも、習い事で忙しくて、学校では友達が出来なかったんです。それだけじゃなくて、いじめられるようになって……」


 学校生活を思い出したのだろうか、冴の目に膜が張った。その様子を見かねた恵が、助け船を出す。


「辛いことは、無理に思いださなくてもいいわよ」

「はい……」


 冴は鼻を啜って、話を続けた。


「いじめから解放されて、やっとのことで家に帰っても、誰もいないし、すぐ習い事に行って、やっと練習終わって帰っても、結局毎日コンビニ弁当かインスタントで……私って居場所ないなって思っちゃったんです」


 三善は片肘をつきながら、冴を見つめている。


「そんな中、お父さんが行方不明になって……。元からお父さんもあんまり家に帰ってこなかったから、そんなに変わりはなかったんですけど、お母さんがこう言ったんです」


 そこで冴は、続きを話すのをためらい、それでもなんとか絞り出すように言った。


「『これで自由だわ』って……」


 三善と恵は、眉をひそめる。


「私は? って思ったんです。お母さんはしがらみから解放されたのか知らないけど、私はやりたいことさせてもらえなくて、学校でもいじめられて……。生まれてくる家、間違えたって思いました」


 冴の顔が、険しくなっている。


「それから、お母さんは家に男を連れ込むようになったんです。見たことある俳優の人もいました。それだけじゃなくて、お母さんが男を連れ込んだとき、私は家を追い出されるようになって……。私はもう女子高生なんで、私が家を追い出されてるとき、家で何が起こっているかも、なんとなく想像はつくんです」

「葦名流が、そんな人だったとはね……」


 恵がそう呟いた。


「ほんと、笑っちゃいますよね……。テレビではあんなに華やかで、まさに八方美人って感じなのに、家に帰ってきたら男連れ込んで、娘ほったらかして。ただほったらかしてくれるならいいんです。変に束縛してくるから、たちが悪い」


 お冷を包む手が、震えている。


「追い出されてる時間が、一番虚しくなるんです。私の居場所は? って。学校も行きたくないし、習い事も楽しくなんてないし、家も追い出されるし……私はいつ落ちつけるの? 私はいつ笑えるのよって……」


 そこで、冴は顔を伏せた。肩を揺らし、鼻を啜る音が、嗚咽に変わっていった。三善は、冴の背中をさすっている。


 それから三善は、冴が落ち着くまで、背中をさすり続けた。

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