母からの電話

 二人は再びタクシーに乗り込み、山道に揺られていた。このタクシーが馴染んできたのか、冴は心なしか、先ほどよりもリラックスしているように見える。


「次はどこに行くの?」

「次は──」


 三善が次の行き先を告げようとしたその時、携帯の着信音が鳴った。どうやら、冴の携帯のようだ。


「──まただ」

「もしかして、お母さんからか?」


 バックミラーに映る冴の顔が、こくりと頷いた。電話に出ようとせず、スマホの画面を見つめ続けている。


「出ないのか?」


 冴は俯いている。


「まだ一回も出てないのか?」


 顔を上げた冴の眉は、少し下がっていた。


「出ろ」

「え……」


 冴の声には、少し痰が絡んでいた。目に、涙の膜が張っている。


「きっと死ぬほど心配しているはずだ。冴が死のうと思っていることは言わなくてもいい。少しは声を聞かせてやれ」

「──今日は初めてなの」


 冴は痰を払おうともせず、そのままの声色で言った。


「何がだ」


 三善は怪訝な顔で聞き返す。そこで、着信音が鳴り止んだ。


「電話が掛かってくるのが」


 得心したのか、三善の目線が少し下がった。


「朝から、一回も掛かってきてない。多分、仕事してたんだと思う。仕事で忙しくて、私に電話掛けてる暇なんてなかったんだよ……。私より仕事が大事なんだよ……」

「それは、思い込みかもしれないぞ」


 三善はぴしゃりと言った。


「もしかしたら、朝から警察と冴を捜し回っていたから電話している暇が無かっただけかもしれない。ただ単に、携帯が壊れてしまっていただけかもしれない」

「そんなわけないじゃん……探してくれてるなら、電話くらい掛ける暇あるだろうし、携帯が壊れるなんて──」

「なんで言い切れるんだ?」


 三善は、バックミラーの中の冴を覗き込んだ。冴は今にも泣き出しそうだ。


「話してみなきゃ、分からないことがある。ちゃんと話してもいないのに、思い込みだけで行動するな。それは無能のやることだ」

「……分かった」

「次に掛かってきたら、ちゃんと出ろよ」


 冴は垂れ下がっていた前髪を耳に掛けながら、首を縦に振った。その瞬間、車内

に、蛙の鳴き声のような音が響いた。どうやら、冴のお腹が鳴ったらしい。


「腹減ったか?」


 笑いながら言った三善に、冴は顔を赤くした。


「だって、昨日から何も食べてないんだもん」

「そうか、昨日の夜に家出したんだもんな。そりゃあ腹も減るか」


 しょうがないなあといった様子で、三善は言った。


「よし、何か食べにいくか! もちろん俺のおごりで」

「え? いいの?」

「まぁ、最後の晩餐ってことで」

「うん! ありがとう!」


 はじけるような笑顔が咲いた。こんな子が、自殺を考えるほどに追い詰められるのか──。三善は冴に微笑みかけながら、この世界を呪った。


「この近くに、俺の行きつけの飲み屋があるんだ。そこに行こうか」

「どこでもいいよ」

「じゃあ決まりだな」


 運良く、冴のお腹が鳴ってくれて良かった。あの事を話すかどうか、相談してみよう。三善は安心して、アクセルを強く踏みしめた。

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