第66話 炎の女神、高みの見物をする

 大翔ひろとは少し困惑しながら、揚がったアジフライを出してみた。ヒグチはさっそくかぶりつき、満面の笑みを浮かべる。


「美味いな。味がしっかりしてる。魚料理はあまり人気がないんだが、これなら若い兵も気に入りそうだ」

「良かったら、タルタルソースも試してもらえませんか?」


 ヒグチは最初、おっかなびっくりだったが、ひと口入れると途端にソースに食いついてきた。最後には若い男子のように、皿に残ったソースをフライで拭き取るようにして食べ尽くした。


「そんなに食べてもらえるとは思いませんでした」

「いや、このソースは揚げ物との相性が抜群だな! なんて名前だ?」

「タルタルソースです。ピクルスを除けばマヨネーズになって、これ単体でも美味しいですよ」

「卵を使ってることはなんとなく分かるんだが、他には何が……酸味は酢か?」


 さすがにヒグチは口にしただけで、いくつかの材料を当ててみせた。大翔は微笑んで答える。


「慣れればそう手間のかかる料理じゃないので、レシピを教えますよ」

「是非覚えたい。頼んだぞ」

「他にも、デイト料理には香辛料を沢山使った面白いものがありますよ」


 大翔が語ると、ヒグチは目を輝かせてその話に聞き入っていた。


「いや、知らなかったよ。俺がいる世界は、意外と狭いものだったんだな。あんた、世界中を旅でもしてきたのか?」

「いえ、デイトから出たことはないんですが……なんというか、沢山料理を食べる機会があったもので」


 母国では飲食店があらゆるところに存在し、お金さえ出せばありとあらゆる国の料理が気軽に食べられた。今思うと、それがいかにすごいことだったか。当時は実感すらしなかった。


 自分は優れた人間じゃない。ここで褒めてもらったことは、全て母国で接してきたこと、教えてもらったことが土台になっている。骨の髄から、大翔はズルをしている罪悪感を感じていた。


 そういった真実をいっぺんにしゃべってしまいたいと思うことが、たまにある。しかしそれは、やってはいけないことだと、脳の別のところが警告を発していた。あるいは、ミルカが止めているのかもしれない。


 だから大翔は、この話題を変える。


「それより、大丈夫ですかね。俺のデイト風フライ」

「ははは、心配するな。この出来なら大丈夫だよ。お前さん、若いが腕は確かだ」


 ヒグチに背中を叩かれて、大翔は前につんのめりながら苦笑した。


「さ、腹ぺこ共を待たせちゃいかん。食事を開始するぞ」

「わかりました!」


 前菜にかぶせていた蓋を開け、急いで食器を用意する。ヒノエ海軍の食堂は兵が全てを自分でよそう完全ビュッフェ式で、食事を待ちかねた兵たちがお盆を持って待機しているのが見えた。


 それから、大翔はくるくると休む間もなく働いた。皆が飛びつくようにして食事を口に運ぶのをじっくり見る暇もなく、次々と仕事がやってくる。


 ようやく一般兵の食事が終わると、返ってきた食器の洗浄にかかる。大翔としてはどのくらい食べてもらったか知りたいところだったが、残飯は一カ所に集められ、食器は軽く洗浄までされていたので、詳しくは分からなかった。


「どうした。がっかりしたか?」

「半分がっかり、半分驚きってところですかね。陸軍では洗うところまでやってませんでしたから」

「狭い船の上だし、調理班だって訓練があるからな。お互いに助け合いってやつだ。どうだ、海軍っていいところだろ」


 ヒグチはまた胸を張る。大翔は曖昧に笑って、話を変えることにした。


「投票の結果はどうなりましたかね?」

「よし、じゃ見てみるか。待ってろよ」


 予想通りヒグチは投票結果を見に行った。結果、二百人強の投票で継続が百八十人ほど。幸い、ほとんどの兵に気に入ってもらえたようだ。


「良かった」

「予想通りの結果だな。明日も一品作ってもらうか。何にする?」

「そうですねえ、デイトで一般的な料理といえば……」


 面と向かって言われるわけではないが、一生懸命に作った物を肯定してもらうのは嬉しい。大翔は早くも、明日の献立を考え始めていた。




 大翔と別れ、上陸地点を目指していたあかりは、目的地が近くなるとフロムと入れ替わった。その姿を初めて見たサワラギが、わざとらしく目をむく。


「これはこれは……期待を裏切らん、神々しい姿ですなあ」

「貴様、世辞は下手だな」


 フロムがばっさり切り捨てると、サワラギはへへえ、と卑屈に口元を曲げた。


「何かお困りのことはありますか?」

「食べる物が不味いと、依代がだいぶ苛々しておったぞ。早急に改善せんと、あれは臍を曲げる」

「しばらく待ってれば、片割れが着くでしょうよ。それからいくらでも食べてもらうとしますわ。今は、状況説明を」


 サワラギはけらけら笑いながら、持ってきた地図を広げてみせた。そこには突き出た二つの半島と内海、そして沿岸沿いの町や線路が記載されている。


「季節は初春。まだ乾燥する気候で、風が強い。雨もあまり降らんから、火がつくにはええ気候やと思います」


 延々と現地の情報を聞かされるフロムは目をすがめていたが、不意に冷たい声を出した。


「やはり場所か……つまり貴様ら、ただ上陸するだけでなく、ここを完全に己のものにしようというのだな。シレールに喧嘩を売る足がかりとして」

「ご名答。なにせ陸上部隊を揚陸しようにも、今のままでは安全にはいきませんから」


 そう言うサワラギのにやにや笑いがさらに深くなるのを見て、フロムは完全に感情を害した。


「こちらの予想が当たったか。始めからその目的で連れてきおったな、狸め」

「いやあ、戦の神様がただ寝ているだけでは退屈かと思いまして。この辺りでは以前から、妙な生物も観測されてますし」

「妙な生物? そいつは強いのか」


 口を尖らせるフロムを、サワラギはまあまあと制した。


「少なくとも、海軍が放った先遣部隊は船底に大穴あけられて、かなりの犠牲を出しました。こいつらがいるんじゃまともな戦にならんと、上が判定するぐらいには脅威やと考えてもらえれば」

「ふむ」


 フロムは一瞬考える素振りを見せたが、素早くサワラギに近寄り言った。


「予想通りにうまくいったと考えてはいまいな。貴様らに肩入れするのは、あくまでテルース確保のためだ。もう一度嘘をついた場合、命はないと心得よ」


 フロムはその綺麗な顔を少し歪めて笑った。


「その雑魚が腕慣らしになれば良いのだがな。せいぜい、妾のやりたいようにやらせてもらうぞ」

「それはもう」


 恭しく手もみをするサワラギを見て、フロムは腹立たしさを隠そうともせず舌打ちした。その音をかき消すように、報告が入る。


「港から敵船『コレー』が出港したのを確認。現在こちらに向かって進行中、すでに発見されたものと思われます! 戦闘準備を!」

「……幸運に救われたの」


 フロムはすっと目を細めてサワラギをにらむ。男の方は、わざとらしい口笛を吹きながら遠ざかっていった。


「フロム様、あの男は何者ですか? あまり見かけぬ顔ですが……」


 やりとりを聞いていた連絡員が眉をひそめた。サワラギの存在は、陸軍の外ではできるだけ知られぬように計られているのだろう。


「知ったところでロクなことにはならんぞ、忘れろ。それより妾が出る、道を開けい」


 目をしばたく連絡員を置いて、フロムは外に出た。狭苦しい室内と違って、吹き付けてくる風が心地よく、フロムはにやりと笑う。


 日はすっかり翳ってしまっていた。星が見え始めた空を飛びながら、フロムはぐるりと周囲を見渡す。


 すでに両艦隊は目と鼻の先にある。今更人間の戦をどうこうする気はないフロムは、視界の隅にそれをおさめた。しばしの後に砲撃戦が始まって音が響いてきても、今のところ、術返しも特殊な結界の気配もない。


 面白くない。戦争の気配は感じるが、フロムがエネルギーを費やすような類いのものではない。せいぜい、デイトが侵略されそうになった時の参考にするか、くらいの思いしかフロムにはなかった。


「このまま決着か?」

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