第37話 神と人の物語のはじまり

「やはり敵陣の中央は厚かったか。メドーも実体を維持できなくなったようだし、今回の攻撃はここまでだな」


 連絡を受けたミハイロはつぶやいた。その様子があまりに思い切りが良いものだったので、呼び出されていたキリルは驚く。


「まだそうご判断されるのは早いかと……我が隊は、デイト騎馬隊の奇襲を退けることに成功しましたし」

「こちらの奇襲も退けられているな。ヴラディが帰投を始めたと連絡がある。所詮、警戒されていればこんなものだ。攻め手もなくなった以上、これ以上兵を無駄に死なせることもあるまい」


 ミハイロは淡々としていた。その姿を見て、キリルは内心で驚く。


「……何か言いたいことがあるのなら申せ」


 わずかな動揺を感じ取ったミハイロが振り向く。この人の勘は野生の獣並みだな、と思いながらキリルはしぶしぶ口を開いた。


「閣下が兵を無駄にしたくない、というお考えを捨てて折られなかったことに驚き

ました」

「ほう。まるで人でなしのような言われようだな」

「……最後の敵陣への攻撃ですが」


 からからと笑っていたミハイロは、キリルの声を聞いて口をつぐんだ。


「あれは、明らかにおかしな行為です。敵が時間をかけて作り上げた防御陣地に、メドーの援護なしで兵を突入させるなど。もう肉の盾もほとんど残っておらず、突撃し

たのはいずれも我が国の若者たちなのですよ」


 キリルの苦言を最後まで聞いたミハイロは、なぜか声をあげて笑った。


「お前の言うことは理屈だな。だがな、別の方向から見ると、儂のやったことにも筋が通るのだ」

「別の方向……?」

「お前、シューラのことをどう思う」


 突然苦手な相手の名前を出されて、キリルは言いよどんだ。その間を感じ取って、ミハイロは口元にまた笑みを刻む。


「嫌いか」

「好きか嫌いか二択しかないというのであれば、そうです」

「奴は多方に賄賂を配り、大した成果もないが失点もしないことで順調に出世してきた。お前とは正反対だから、それはそうだろうな」


 ミハイロはそこまで言って、キリルを正面から見据えた。


「そして儂もだ」


 確かに、ミハイロの家は由緒正しき軍人家系と聞いている。自分たちが命がけで維持している地位を、安全第一の土地持ちに食い荒らされればいい気はすまい、とキリルは思った。


「だから、これからする話をよく覚えておいてほしい。あの突撃を提案したのは、シューラだ。そういうことになっている。無駄な異を唱えぬよう願いたいな」


 ミハイロの言葉を聞いて、キリルははっとした。


 確かに、今回の無謀な作戦がシューラ発案ということになれば、彼の名誉はそれきりになるだろう。シューラには元々人望がなく軍で親しい友人もいないはずだから、いざこざも少なくまとめられるはずだ。


「……閣下は最初から、そのおつもりで?」

「そろそろ頭の替え時だ。デイト攻略が続く以上、やる気のない者を仲間にしておくわけにはいかん。犠牲になった兵には気の毒だが、そういうことだ」


 キリルはその言葉を聞いてほぞを噛んだ。この人は、どう転ぼうとも絶対に自分の損にならないよう動いている。その老獪さは、軍人というよりむしろ文官、政治寄りのものだった。


「軍人もな、上にいくと力だけではやっていけないのだ」


 またミハイロがキリルの心中を見透かした。


「お前の性分は軍人向きだ。だがまだ政治向きとは言えん。これ以上の地位を望むのなら、こういうことも覚えんとな。──さしあたっては、シェーラの件を頼むぞ」


 一方的に言い放たれて、キリルは多少腹が立った。しかし、ミハイロには軍の消耗を防いでもらった借りがある。そのことを持ち出される可能性があるので、反発するのは得策ではないと思えた。


 もしかしたら、ミハイロがあの時キリルを助けたのは、この時のためでもあったのか。恩を売っておいて、一番成したかったことをする時に邪魔をされないように。──だとしたら、到底敵わない。


「……承知いたしました」


 キリルは己の無力さを実感しつつ、うなずくしかなかった。




 日が落ちるまで、フロムは動かなかった。そろそろ完全に日光が絶える、という時になってようやく、光っていた赤の色が消える。体の表情が柔らかなものに切り替わり、あかりの意識が戻ってきた。


 大翔ひろとは彼女を起こしてやり、声をかける。それを聞いた灯は微笑んだ。


「……それにしても、ミルカは本当にすごい。真面目にやったら、フロムより強いんじゃないか?」

「やめてくれ、中のやつが本気で怯えてるから。ほら、迎えが来たぞ」


 灯は駆けつけてきた救護用の担架に乗せられて、天幕へ戻る。大翔も一緒に付き添い、彼女が眠ってからまた炊事仕事に戻った。


 戦勝記念でもあるし、敵が立ち去ったことでテルウの町から大々的に荷車を引けるようになったこともあって、豊富に食材が入ってきていた。


「奴ら、十分に食料をあさる時間もなかったようだ。テルウは国境が近いから、侵攻に備えてあちこちに隠し倉庫があるんだよ」


 ニコルが嬉しそうに言っていた。今日のメニューはデイト伝統の牛のシチューと窯焼きパン、それにナッツをキャラメルのような物で固めたデザート。さすがに行軍中ということで酒は出なかったが、食堂に集った者は酔った時のような浮かれた表情で騒いでいた。


 やはり料理を作るのも、食べている人の顔を見るのも楽しい。大翔が忙しいながらも充実した気分で働いていると、不意に後ろから声をかけられた。


「今、ちょっといいかな」

「ラシャさん、レイラさん。お疲れ様です」


 ラシャは右腕に包帯を巻き、足を引きずっている。レイラは骨折したらしく左腕を吊り、耳には大きな絆創膏のようなものがくっついていた。しかし二人とも致命傷は負っておらず、昨日に続き大翔は安堵した。


「実はね、ザザ少佐が君たちにお礼を言いたいとおっしゃっているんだ。今は灯さんは無理だろうから、君だけでも」

「わざわざ……そんな、いいですよ」


 ザザは戦闘の際、足を銃で撃たれて緊急手術のため運び出されたと聞いた。そんな人に会いに行くのは気が引ける、と大翔は首を横に振る。それを見てレイラが笑った。


「大丈夫よ。弾は摘出したし、大きな血管や骨は無事だったそうだから、安静にしていれば問題ないって」

「はあ……」


 それなら、と大翔は二人に付き従う。天幕の外に出ると、あんな激戦があったとは思えないほど冷たくて澄んだ風が吹いていた。空気の流れに体を晒し、首をすくめる大翔に、ラシャが言った。


「ああ、そうそう。少佐に会ったら、報酬の話をされると思うから。今から考えておきなよ」

「報酬?」

「最初に言われただろう。もう忘れたのか」

「そういえば……」


 にわかにうろたえる大翔を見て、ラシャは苦笑した。


「気後れしなくてもいいよ。君は今回の勝利の立役者なんだ。なんでも欲しいものを言ったらいいさ」


 並んで歩く大翔が戸惑っているうちに、ラシャの足が止まった。三人は軍の紋章が入った天幕のうち、特に大きなものの前に到着していた。


「ここだよ」


 見張りの兵に声をかけて、中に入る。大きな天幕だから中は豪勢かと思ったら、シンプルな装飾のものしか置いていない。着飾るのがあまり好きでない、軍人らしい性分なのだろう。


 天幕の奥に寝台があって、寝心地の良さそうなふっくらした布団がかかっている。それをかけられたザザが、上体を起こした姿勢で休んでいた。視界の端に三人を認めると、彼は右手を挙げる。


「すまんな、こんなだらしない格好で。大事はないが、しばらく動かせないそうだ」

「いえ、お元気そうでよかったです」


 血色の良いザザの顔を見て大翔は微笑んだ。


「本当にありがとう、大翔くん。そしてミルカ神。テラウは、デイトは救われた」


 丁寧に礼を言われ、頭まで下げられて大翔は一瞬戸惑った。次いで、こそばゆい思いが胸を満たす。嬉しいことは嬉しいのだが、やはり過剰に持ち上げられている気がしてならなかった。


「別に、俺はそんな……」

「おお、そうだ。報償の話をするのが先だったな。照れも謙遜もいらん。欲しいものやしたいことがあるなら言いなさい」

「いや、そういうことを言いたいわけじゃ」


 大翔が手を振っても、皆が答えを促すように見つめてくる。何か言わなければならない場面になった時……不意に、大翔の中でミルカがつぶやいた。


「そうか」


 その言葉に、大翔ははっと胸をつかれる。必死になりながら思ったことがあった。それを今なら、言ってもいいのかもしれない。


「すみません……ありました、やっぱり。したいこと。それでもいいですか」


 最初の言葉に少し困ったが、一旦つぶやくと言葉はするりと大翔の喉から出ていった。


「したいこと? 欲しいものではなくてかね」


 ザザはまばたきをした。大翔がうなずくと、先を促すように視線を送ってくる。


「俺を、戦闘糧食の開発部署に入れてもらえませんか」


 こう言われると思ってもみなかったのか、ザザやお付きの兵たちが目を丸くしている。大翔はさらに続けた。


「まずいのを我慢して無理矢理流し込むような食事では、フロムはもちろん兵士の士気も下がります。実際今回の戦いでも、腹が減っていても戦闘糧食は食べたくないという声をあちこちから聞きました」


 種類はそれなりにあるが魅力的なものはない。確かに栄養はあるのかもしれないが、味の面でまだまだなところだらけだ。それでは、戦場で灯が安心して食事をとることができない。


 灯のことを思うと、いつのまにか大翔の体の構えは取れていた。


「俺に、改良させてください。戦場でもっと安全に、美味しく食べられる糧食を作ってみたいんです」


 今回は、テラウの近くだったし、集合する部隊は食料を持ち込むことができた。だからアレンジもできたのだ。しかし、もっと条件の悪い戦場はいくらでもあるだろう。その時、灯とフロムでなく、皆が後悔しない選択ができるよう手助けがしたい。


 それは大翔だけでなく、ミルカの願いでもあった。だから、今大翔の心臓のあたりは、服の上からでも分かるくらいにはっきりと光っている。


「そうか……」


 ザザはしばし、大翔の顔と光る胸をじっと見ていた。相手はベテランの軍人、見つめられると全身に重圧がのしかかったように感じるが、大翔はそのままじっと我慢した。


「面白い子だ、本当に。こうして君と私が会ったのも、何かの縁なのだろうな。……分かった。やりたいようにやってみるがいい」


 ザザは言って、分厚い掌を差し出す。


「……ありがとうございます」


 差し出された手を、大翔はがっちりと握った。



 軍神フロムと食神ミルカ。大翔と灯。

 デイト悲願の完全独立に向けて、神と人間の運命は、この時に動き始めた。

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