第22話 ヒロインとヒーローのご登場です
「やぁ。久しぶりだね、マルガリータ嬢。まさか、こんな所で会うとは思わなかったよ」
「マルガリータ様、お元気そうで何よりですわ」
「アンバー様、インカローズ様……どうして……」
まるで、暫く会っていなかった知人にでも声を掛けるような気軽さで近寄ってくる、第二王子アンバーとヒロインのインカローズに、恐怖さえ覚える。
アンバーにとってマルガリータに対して行った仕打ちは、いつものちょっとした軽い命令だったとしか思っていない様相だ。
己の出す一言の影響力を、未だ理解していない子供の様な無邪気さが、逆に怖い。
ヒロインのインカローズは、第二王子の婚約者という位置に立っているとはいえ、元々は平民上がりの男爵令嬢である。
今まで雲の上の身分とも言えたマルガリータを見下せるのが余程気持ちいいのか、もの凄く意地の悪いにやりとした笑みを一瞬浮かべた。
(それ、完全に悪役令嬢の方の顔! 仮にもヒロインともあろう者が、その顔はしちゃダメでしょう……)
びくりと肩を震わせたマルガリータを気遣って、ディアンが一歩前に出てそっと背中に庇ってくれる。
だが、アンバーの矛先は最初からディアンであったのか、こちらもまた王子様というよりは悪役っぽい可笑しそうな顔を浮かべ、視線をマルガリータからディアンへと、さっさと変更した。
「元伯爵令嬢の奴隷を買った物好きが、まさか貴方とは驚きましたよ。兄上」
(兄上!?)
「俺も、お前が罪のない令嬢を、独断で奴隷に堕としたと聞いた時は、気が触れたかと思った」
(お前!?)
「罪もない? 笑わせないで頂きたい。その女はこの僕の婚約者を、手ひどく傷付けたのです。死を持って償わせて当然の所を、身分剥奪の上奴隷に堕とす事で許したのだから、感謝されるべき所でしょう?」
(ちょ、ちょっと……)
「マルガリータが、実際に手を下したという証拠があるのか? それにお前の婚約者と彼女は、仲の良い友人関係にあったと聞いている。まさかその卑しい女の事を、婚約者などと言っているのではあるまいな?」
(待って待って)
「いくら兄上でも、聞き捨てなりませんね。心優しいインカローズが泣きながら訴えた言葉に、嘘があるはずがない。僕は身分に囚われない、真実の愛に気付いただけです。それに卑しいのは、その女の方でしょう。奴隷としての暮らしが、お似合いですよ」
(会話の流れのペース、落として!)
「暫く会わない内に、どうやらお前はその女に狂わされたらしい」
背中に庇われているから、ディアンの表情は見えなかった。
けれど、絶対零度というか氷点下を思わせる冷た過ぎる空気が流れていて、ディアンがマルガリータの為に、心から怒ってくれているのが背中越しにでもわかる。
恐怖や困惑はもちろんあるのだけれど、少し嬉しいと思ってしまっている自分も、確かに居た。
けれど今は、ディアンの反応に喜びを感じている場合ではない。
衝撃の事実が投下され過ぎて、深く頭が考えるのを拒否してしまっているのだけれど、冷静な思考に切り替えなければ、処理が全く追いつかなくなる。
(兄上、って何? ディアンは黒仮面の男に仕える、ただの庭師じゃ……なかったの?)
怒りすぎて逆に全く感情が乗っていないディアンと、「酷いわ」と今更のヒロイン面で、明らかに泣き真似とわかるわざとらしく傷付いた振りをする、インカローズの演技に、アンバーは気付く素振りもない。
怒りの感情を全面に表してわめき散らすアンバーとは対照的に、冷静で的確に矛盾を指摘するディアンの攻防は、続いている。
けれど、マルガリータには途中から、それらの言葉は全く耳に入って来ていなかった。
(確かに、似ていなくもない……気はするけど)
思考停止しかけている頭で、目の前の二人をじっくりと見比べる。
髪や瞳の色素こそ全く違うけれど、パーツごとに見れば確かに似通っている所も多い。
二人とも、乙女ゲームの攻略社たり得る格好良さは、共通していた。
本来この場所で、ゲーム通りのイベントが発生していれば、聞く事が出来たはずの王家の秘密。
そうそれは確か、世間的には第一王子は生まれた時から病弱と言われていて、ベッドから起き上がることも出来ない為、早々に弟へと王位継承権を譲り、静かな場所で療養している事になっているが、本当は違うのだという話だったはずだ。
身分の高い貴族の間でも、その姿を見たことがある者はごく僅かだという第一王子は、黒い髪と瞳を持って生まれた不吉の子。
不幸な事に、第一王子は姿形だけではなく、膨大な魔力をも有して、産まれてきた。
どこまで本当かは怪しいけれど、産声を上げた瞬間に空に雷雲を呼び寄せたとも、山を割ったとも言われている。
第一王子を産んだ正妃は心を病み、二度と子を望めなくなったという。
この国には、第二王子のアンバーの他に第三王子も居るが、その二人共が側妃の子だ。
王妃の子が居るにもかかわらず、側妃の子を王位継承者にしてまで、王は不吉を抱えたその子を、世に出すことを認めなかった。
だが仮にも、王と王妃の正当な血を引く子を、何の咎も無く亡き者にすることは出来なかったのだろう。
父に子とは認められず、母に疎まれながら、第一王子は町外れでひっそりと軟禁に近い生活を余儀なくされているらしい。
ゲームの中では、兄の置かれた状況を嘆き苦しむアンバーから、無事に王の座に就いた暁には、「兄を王宮に迎え入れ、不自由な生活から解放してあげたい」という様な話を、最後に聞かされた気がする。
それはロマンチックなプロポーズの後に、さらりと語られたアンバーの優しさを増幅させる追加エピソード的なもので、告白イベと美麗なスチルに誤魔化されてしまっていた。
けれどよくよく考えると、煌びやかな乙女ゲームのはずなのに、この国の王家なかなか闇が深い。
王家が不吉の子と考えている第一王子を、アンバーが王宮に戻した所で軟禁生活から解放されるとも思えないから、居心地が良くなるはずもない。
余程その兄が悟りを開いた聖人君子でもない限り、王宮に戻されるのは複雑な心境しか持たないだろうし、むしろドロドロに揉める案件だろう。
(しかも両親にならまだしも、既に王位に就いた腹違いの弟に王宮に引き戻される、兄の気持ちも考えてあげて……って、画面に向かって突っ込んだ覚えがあるわ。二周目で)
そう、一周目はプロポーズイベだったばかりに、普通に聞き逃した。
ようやく落とした攻略対象との甘いイベントだったし、ヒロイン気分に浸っていた一周目だと、メインに考えるべきはアンバーであり、「兄想いの優しい人なんだな」位の感想しか持たなかったのである。
多分そう思わせるための、運営による演出であったと思うし、一周目はまんまとその思惑に乗せられてしまった。
けれど、その「兄想い」という良い印象付けの為だけに、第一王子にはかなりヘビーな運命が付加されてしまっているのだ。
何より、今ここでディアンと言い合っているアンバーの発する言葉の数々からは、ゲーム内の彼とは違って「兄想い」という要素が、微塵も感じられない。
(まんまと、アンバー様優しい……って思ってたけど、なんて言うか凄く腹黒いだけだったのでは?)
意識を遠くに飛ばしているマルガリータの目の前では、未だディアンとアンバーによる棘の刺し合いが続いている。
何度聞いても、アンバーはディアンを「兄上」と呼んでいるし、ディアンは第二王子を目の前に、完全なるタメ口だ。
むしろ、普通なら不敬罪で断罪されてもおかしくない位の、もう辛辣さしか感じられない台詞で応酬している。
ディアンの容姿は、黒髪と黒い瞳。思い出したイベントの内容と照らし合わせても、もうこれはどう考えても「ディアン=第一王子」で、決定事項ではないだろうか。
(と言うことはつまり……もしかしなくても、黒仮面の男=ディアンって図式も、当てはまったりしちゃう……感じ?)
マルガリータが真奈美の記憶を取り戻して、一番最初に出会ったのが黒仮面の男だった。
真奈美は日本人だった事もあって、黒い髪と瞳の人物には見慣れている。違和感は何も感じない。
だからこそ、近くで二人も現れた事に、何の疑問も抱かなかった。
けれど、この世界の常識で考えてみれば、そんな高確率で出現するほど、その容姿は一般的なものではなかったのだ。
この世界において、「黒は不吉な、忌むべき対象」。それが普通で、誰もが知る当然の理。
それが王家に、しかも正妃の子であり第一王子として産まれてしまったのは、確かに不幸な事だっただろう。
国全体が混乱する前に、出来るだけ誰にも知られず、存在ごと消してしまいたかったに違いない。
殺害や監禁ではなく、町外れに軟禁で収めたのは、親としての僅かな情だったのかもしれない。
(だからって、髪や瞳が黒いっていう理由だけで、ディアンがこんな扱いを受けるなんて、絶対におかしい)
屋敷の使用人達が、揃いも揃って優秀すぎるスーパー使用人である事も、仕える主人が一貴族の若様ではなく、絶対に隠し通さねばならない王子に仕える人材だから、というなら頷ける。
軟禁状態であるはずの王子である黒仮面の男が、何故奴隷オークションなんかに参加していたのかとか、何故庭師に扮していたのかとか、良くわからないところもあるけれど、第一王子についての情報は誕生したという事実以外、つまり年齢以外は一般にはほとんど知られていないと言って良い。
ある程度の範囲ならば、多少羽目を外すくらいは許されていたのかもしれない。
相手が奴隷ならば、外に出さずにずっと閉じ込めておく事が可能なのだから、もし事実を知られても口外される心配はない。
庭師としてのディアンに初めて会った庭園で、「黒仮面の男が怖くはないのか」とマルガリータに問われた、あの時。
自分が怖くないのかと聞かれているような気がしたのは、気のせいではなかったのだ。
だからといって、それだけで全てに気付けと言われても、無理に決まっているけれど。
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